抜擢された「タウンマネジメント」の生みの親

辻 慎吾 氏
森ビル次期社長

2011年7月号 DEEP [インタビュー]
インタビュアー 本誌 宮嶋

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辻 慎吾

辻 慎吾(つじ しんご)

森ビル次期社長

1960年生まれ。85年横浜国大大学院工学科修了、森ビル入社。2006年取締役(六本木ヒルズ運営室長兼タウンマネジメント事業室長)、08年常務、今年6月に初の生え抜き社長に。

写真/平尾秀明

――森稔社長(次期会長、76)から後継指名を受けたのはいつ頃ですか。

辻 一昨年の夏、夕食に誘われ、冒頭でいきなり「君に社長をやってもらおうと思っている」と切り出されて、びっくりしました(笑)。

――予兆はありましたか。

辻 先代の泰吉郎社長(稔氏の父)は亡くなるまで社長でしたし、社長がどのようにお考えなのか、わかりませんでした。オーナーであり、創業者であり、カリスマ社長である稔社長から、一族でもない、まだ40代(当時48歳)の私がバトンを受けるのはたいへんなことです。「森ビルは社会的存在。そもそも株主としての森家と事業を行う会社は別物だ。経営はいちばんできる人がやればよい」というのが、社長のお考えでした。

――その直後に副社長に昇格し、経営企画室長を務めましたね。

辻 それまで森ビルには経営企画室がありませんでした。稔社長の直下で経営全般を横断的かつ俯瞰的に見るポストに就き、猛烈に勉強させられました(笑)。すべての数字を押さえて、中期経営計画づくりに取り組み、後継社長をお引き受けしたのは1年半後。社長就任内定会見(今年3月8日)の2週間前でした。

――なぜ、森一族や先輩役員を飛び越えて抜擢されたと思いますか。

辻 新入社員の時から「街づくりがしたい」と直訴してきました。最初は表参道ヒルズの再開発に配属され、94年に大舞台である六本木ヒルズの再開発チームに呼ばれました。プロジェクトの最前線で、地権者交渉から権利変換計画、事業計画、行政交渉まで担当し、いちばん厳しい場面で、常に社長のそばにいました。

――辻さんは「タウンマネジメント」の生みの親と呼ばれています。

辻 社長から六本木ヒルズのテナントやオフィス、住民を巻き込んで、街全体の魅力を高める「タウンマネジメント」の仕組みを考えよと指示を受けたのは10年前。39歳の時に、タウンマネジメント室を立ち上げ、それ以来、責任者を務めています。京都や鎌倉が優れた「街のブランド」であるように、六本木ヒルズも素敵なブランディングができないか。その頭脳となるのがタウンマネジメント室であり、森ビルの理想を体現する街づくりに汗をかいてきました。

――二つの国際化が目標とか。

辻 森ビルが他社に先駆け中国へ進出したのは93年。大連、上海の都市開発に参画し、08年には上海のランドマークとなる上海環球金融中心がオープン。現在、韓国や台湾でコンサルティングを行い、昨年、香港事務所を開設しました。日本は少子高齢化で人口が減っていくなかで、これからは中国・アジアでのビジネスチャンスも目指します。

もう一つは内なるグローバル化。ヒトもカネも情報も国境を飛び越える時代に、いかに東京に外国人と外資系企業を迎え入れるか。東京が世界の都市間競争に勝ち残れるか、不安です。一昔前まで、アジアのヘッドクオーターは日本であり、東京赴任は栄転でしたが、最近は香港、シンガポールへの転勤が決まると、祝杯をあげています。東京のパワーダウンに危機感を抱いています。

森記念財団では25年後の東京の姿を、四つのシナリオで分析しています。「規制緩和」と「オープン化」を果たせず、老朽化とスラムが増殖する衰退都市となる可能性がある一方、あらゆる分野で「パラダイムシフト」「社会構造改革」が起こり、世界を牽引する「和」のグローバル都市に脱皮する道筋を示しています。東京の成長なくして、日本の繁栄はありえない。政府には「都市政策こそ成長戦略の要」と申し上げたい。

――電力不足でも停電しない六本木ヒルズが注目を浴びています。

辻 約100億円を投じた都市ガスによる独自の自家発電プラントを備え、夏場の電力制限とは無縁です。大震災の被害は皆無で、超高層エレベーターも2時間で動きました。地震と停電に強い「逃げ込める街」として、グローバル企業や外国人から引き合いが増えています。

   

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