「震災ボランティア」一味違う三菱商事

2011年7月号 BUSINESS
by W

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床下の泥を運び出す三菱商事のボランティアチーム

大震災から3カ月がたった今も10万人もの被災者が避難所生活を強いられている。ゴールデンウイークには多くのボランティアが駆けつけたが、今では半分以下に減っている。復旧は始まったばかり。ボランティアには息の長い活動が望まれる。

死者・行方不明者500人以上を出した仙台市宮城野区は倒壊家屋とガレキの山だ。稲作農家のSさん宅も津波に襲われた。電気、ガス、水道が止まったので避難所で40日も暮らした。「自宅の布団で寝たい」と帰ってきたが、床下はヘドロで埋まり、畳も家具も泥だらけ。耐えがたい汚臭に苦しみ、仙台市のボランティアセンターに助けを求めた。

朝9時半。ブルーの作業着をまとった10人のグループがマイクロバスから降り立った。現地ではすでにお馴染みの三菱商事のボランティアチームだ。前日に引き続き、Sさん宅の床下に潜り、スコップで泥をかき出し、リヤカーで運び出す。床下から這い出した尾城敬郎さん(44)と小松俊介さん(24)の軍手は泥だらけ。滂沱の汗だ。「ヘドロのままだと根太が腐り、シロアリが出る」「身を屈めても頭がぶつかる。這いつくばって泥をかき出す苛酷な作業です」と話す。西岡直毅さん(24)は大学時代にテコンドーの日本チャンピオン。「私は阪神大震災を経験し、あの時のボランティアの皆さんに恩返しがしたかった」と語る。リーダーの馬場央自さん(58)は「我が金属グループでは30人の募集に3倍の応募がありました。今回は力仕事なので屈強な男ばかりです」と笑う。日頃は金属の取引で世界を股にかける商社マン10人が一致団結して手ごわい汚泥と格闘した。

前号で報じたように、三菱商事は震災復興支援基金として100億円の巨費を投じた。その支援内容も、災害遺児・高齢者支援に25億円、就学困難に陥った大学生500人に25億円など「中身が濃い」と評判だ。

加えて、「お金だけでなく汗もかこう」という声に応じ、1年で延べ1200人の社員を、ボランティアとして派遣することにした。

4月初め、仙台市臨海部を視察した小林健社長は、その惨状を目の当たりにした。「津波被害の恐ろしさに言葉を失い、無常感に襲われた。同時に、何かしなければという使命感が込み上げてきた」。さらに、ボランティア休暇とは、この日のためにある制度と思ったそうだ。社長の決断は早かった。とはいえ、会社側の支援はボランティアのお膳立てのみとなる。一チーム10人が現地へ向かう足と、雑魚寝をする宿泊先を確保し、有志を募ったところ、我も我もと手が挙がり、4月下旬にスタート。3泊4日で活動し、4日目に次の10人を送り込むというスキームで、すでに160人が現地で汗を流した。

そもそも企業による災害ボランティア派遣は緒についたばかり。1年で延べ1200人ものボランティア派遣は、社員が6千人の三菱商事にとっても前例がない。経験、ノウハウがない中、まったく手探りでの着手になった。復旧の初期に求められるのは、ガレキの撤去や住居清掃などの力仕事である。そこで、まずは仙台市のボランティアセンターで割り振られる仕事に従事することとし、現地に社員1人を常駐させ、サポート体制を固めた。ボランティアセンターの幹部は「企業ボランティアは30社を超えるが、三菱さんは10人で毎日来てくれるのでマッチングがしやすい。細く、長く現地に入ってくれるので、大きな力になる」と喜ぶ。

復旧が進めばニーズも変わる。三菱商事は、夏休みに被災地の子どもたちを招くキャンプなどのイベントも予定しており、今後も被災地のニーズに応える活動が期待される。

「現役が忙しい時は、我々OBを呼んでくれというメールを沢山貰っています」と小林社長は苦笑いする。近い将来、現役とOBの混成チームも発足するかもしれない。

   

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