編集者の声・某月風紋

2011年7月号 連載
by 宮

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あの日から78日目。臨時高速バスに揺られ、南相馬市に入る。30キロ圏内の原町(はらのまち)は時間が止まったよう。不通となった常磐線ホームに上野行スーパーひたちが置き去りだ。土曜の午後だというのに、商店街はシャッターを降ろし、人の気配がない。100人を超える避難者が寝起きする小学校の体育館で市職員の話を聞く。

「緊急時避難準備区域の学校は全て閉鎖になり、子どもたちは毎朝、スクールバスで30キロ圏外の学校へ通っている。病院はやっているが入院はさせないルール。それでも住民は半分ぐらい戻って来た」

国道6号線を南下して20キロ地点へ。寂(さび)れたドライブインの前に「立ち入り禁止」の看板と警察車両。4、5名の警官が立ち、「撮影は自由だが車道に入るな」と言う。目の前を数十台のジープ、トラック、ショベルカーが轟々と過ぎる。自衛隊の災害派遣だ。運転席で防護マスクの白装束が手を振る。さながら戦場からのご帰還だ。

3月14日の午後、一級建築士のSさん(51)は二人の娘を連れて新潟へ逃げた。午前中にMOX燃料を使った3号機が大爆発したのに、昼のNHKニュースは「モニタリング数値に変化なし」。血の気が引いた。政府と東電はメルトダウンを隠している。数時間後、霊山(りようぜん)越えの相馬街道に避難車輌が押し寄せ、猪苗代へ抜けるのに一昼夜かかったそうだ。

6月7日の夜9時。東電本社で政府原子力災害対策本部の臨時会見。「IAEA閣僚会議に対する日本国政府の報告書」の統括者、細野豪志首相補佐官が滔々(とうとう)と説明する。「国民への情報公表については正確な事実を中心に公表しており、リスクの見通しまでは十分には示してこなかったため、かえって不安を持たれる面もあった」︱︱。開いた口がふさがらない。そもそも政府にはリスクを過小評価し、不都合な事実を隠した疑いがある。細野さんは「政府の初動に大きな間違いはなく、隠蔽はなかった」と言い張るが、御託を並べるに等しい。命からがら逃げた住民は、誰一人として政府公表など信じていないのだから。

   

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