編集者の声・某月風紋

2011年6月号 連載
by 宮

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震災から43日目。仙台から仙石線と代行バスを乗り継ぎ石巻へ。地元タクシーを案内役に女川町に向かう。運転手が言う。「リアス式漁港のやられ方はどこも同じ。原爆が落ちたようですよ」

町立病院が立つ丘から見おろす港町は跡かたもない。20メートルを超す津波が押し寄せ、町全体が「洗濯機の底」で掻き回された。鉄骨がむき出しになった4階建ての屋上に乗用車がひっくり返っている。腐った魚臭が鼻を突く。幼き日に大きな犬の死骸に出くわし、うなされたことがある。身の毛のよだつ光景は、それ以来だ。

某日、郡山市郊外の「ビッグパレットふくしま」を訪ねる。約2千人の避難者が、段ボールで仕切られた3畳ほどの居場所で寝起きしている。ボランティアの炊き出しに並ぶ長い列。川内村から強制退去したSさん(58)は森林組合に勤めながら、5反の田んぼと牛を飼う。硬くて冷たいフロアーで一月半をすごした。近く白河市内のホテルに移り、夏ごろ仮設住宅に入る予定と言う。「昨日、清水社長が謝罪に来たが、東電はどうなります? 潰れやしませんか」

二十数年前、総務庁行政管理局というお役所で通商産業省の機構・定員の査定をしたことがある。資源エネルギー庁の「官官接待」は豪勢で、夏休みに女川原発にも案内された。仙台駅で黒塗りのベンツに迎えられ、山間原野を2時間近く走った。そそくさと中央制御室などの視察を済ませ、お目当ての「秘湯」に向かった。原子力は「脱石油」の救世主。「国策原発」を疑うキャリア官僚はいなかった。

連休明け、菅首相が浜岡を止めた。前々日に双葉町の集団避難所に5時間も滞在したという。心に期するものがあったはずだ。政府関係者は「福島原発の水棺方式と同様にアメリカの圧力があった」と言う。5月下旬、フランスでサミットが開かれる。浜岡の震災リスクは桁外れ。「レベル7」の放射能垂れ流し国に抗(あらが)う術はない。つべこべ言わずに防波壁を築くことだ。地元静岡の川勝知事は「大英断」と言った。菅さんも少しは胸を張ってよい。

   

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