「エジプト後見人」スレイマンの素顔

モサド、CIA、MI6とがっちり。中東インテリジェンスの要。拷問も辞さぬ非情の男だが。

2011年3月号 GLOBAL
by ゴードン・トーマス(インテリジェンス・ジャーナリスト)

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デモに加わった青年たちと対話するエジプトのスレイマン副大統領(左端)

EPA=Jiji

1月半ば、1トン半の金塊を積んだプライベート・ジェット機が、チュニジアからエジプト上空を経由してサウジアラビアに飛んだ。乗っていたのはチュニジアに23年君臨した独裁者ベン・アリ大統領とレイラ夫人だった。サウジに事実上亡命した二人は、かつてウガンダから亡命した独裁者、故イディ・アミン元大統領が滞在していた宮殿に身を寄せた。

皮肉なことに、二人が通過したエジプトで、今度は30年独裁を続けてきたホスニ・ムバラク大統領の退陣を迫る100万人規模の民衆デモが勃発した。やがてイエメンでアリ・アブドラ・サレハ大統領、ヨルダンでアブドラ国王、シリアでバッシャール・アサド大統領を揺さぶるデモが発生し、イスラム社会を震撼させている。イランも例外ではない。

この1月にイスラエルの対外情報機関モサドの長官に昇格したばかりのタミル・パルドは、ベンヤミン・ネタニヤフ首相にこう報告した。イランの市街で反体制運動の抗議行動が再び計画されている「極めて確固たる証拠を得た」――と。

「アラブの春」にあらず

だが、ネタニヤフ首相にとってエジプトの混迷は悩ましい。一気に広がる民衆デモの動きを、米ウッドロウ・ウィルソン・センターの上級アナリスト、ロジャー・ハーディーは「“アラブの春”の始まりではない。非常にリスクの高い、激しい苦闘の始まりだ」と警告する。

現にバラク・オバマ米大統領やデビッド・キャメロン英首相ら西側首脳陣は「1月から2月初めの時点まで、予想もつかない方向にめまぐるしく展開する動きに、ただ拱手傍観するしかなかった」(同)という。

82歳のムバラク大統領はデモが1月25日に始まって以来8日間、執務室にこもり、29日には全閣僚の更迭を発表、在任30年で初めて副大統領を任命した。しかし最終的にはムバラクが「真の友」と呼んだオバマ大統領から引導を渡され、2月1日夜、9月の次期大統領選挙への不出馬を表明することになった。

副大統領に就任した元軍人オマル
・スレイマンは74歳。9月の大統領選挙で民主政権を樹立できるかどうか。最大野党、ムスリム同胞団との対話に踏み切ったが、同胞団が引き続きイスラム法シャリーアに基づく国家形成をめざすことに変わりはない。死者が出たカイロ中心部タハリール広場の衝突も、ムバラク支持者を動員したのはイスラム組織だと英対外諜報機関MI6や米中央情報局(CIA)、モサドは見ている。

今や「エジプトの後見人」となったスレイマン副大統領は、長身で頭髪が薄く、刈り込んだ濃いグレーの口髭を蓄えていて洗練された英語を話す。陸軍出身で、中東戦争で戦闘栄誉賞を授与されたが、総合情報庁(EGIS)長官時代の活動はほとんど知られていない。

彼はナイル右岸にあるケーナ市内の村落にあった泥壁の家で生まれた。19歳の時、痩身に父親の一張羅のスーツを着込んで、由緒ある軍事アカデミーに入学した。ムバラクは同窓の先輩にあたる。

そのムバラクが1981年に大統領に就任した当時、スレイマンはキャリア軍人の出世コースを邁進していた。86年にEGIS副長官に就任。爆弾テロや暗殺を展開する二つのイスラム組織を壊滅させ、ムバラクの信頼を得るとともに93年に長官に就任した。国際インテリジェンスの世界では、スレイマンは容赦ない非情さで知られている。

名が知れ渡ったのは84年、CIAのカイロ支局長ウィリアム・バックリーがベイルートでレバノンのシーア派組織ヒズボラに誘拐され、ウィリアム・ケーシーCIA長官がEGISに助けを求めた時のことだ。

ベイルートに飛んだスレイマンは、MI6の現地工作員だったデビッド
・スペディング(94~99年にMI6長官)と知り合い、捜索に協力していた複数のモサドの工作員を通じて、当時のモサド長官ナフーム・アドゥモニにも知られるようになった。

バックリーは生還できなかったが、この捜索を通じてスレイマンはCIA、MI6、モサドとの関係を確立した。EGIS長官就任後は、中東で問題が生じた際にこれら3機関が、最初に頼りにする人物となった。

01年に癌で死去したスペディングの葬儀では弔問客にCIAのジョージ・テネット長官(当時)とともにスレイマンの姿があった。葬儀の後にロンドンの米国大使館で行われた会合の結果、CIAの技術者がスレイマンのオフィスに最新鋭の通信機器を設置することになった。これはCIAだけではなく、ジョン・スカーレット前MI6長官、モサドのメイール・ダガン前長官にも直接つながるホットラインとなった。09年にジョン・ソワーズがMI6長官、そして今年に入ってパルドがモサド長官に就任した後も、スレイマンは引き続き中東問題で3機関を結ぶ要となってきた。

だからこそ、副大統領に任命された後も、スレイマンはムバラク大統領の執務室の隣のスイートに移らず、警備で固められた都心の瀟洒なオフィスにとどまっているのだ。

スレイマンはロンドン、ワシントン、テルアビブを定期的に訪問してきた。パルド長官の側近筋によれば「スレイマンはいつもイスラエル・エジプトの和平条約が確実に機能しているかどうか貴重なインテリジェンスを提供してくれる」という。

刑務所でテロリスト尋問

オバマ政権が始動した09年2月、CIA長官に就任したレオン・パネッタが表敬訪問した相手の一人がカイロのスレイマンだった。パネッタは帰国後、オバマ大統領に「おそらく中東地域の協力者のなかではもっとも抜け目のない人物でしょう」と報告している。オバマ大統領自身もカイロ演説を行った09年に同地でスレイマンと会談している。その際、「米国こそ中東における誠実な仲介者であり、ジハード(聖戦)を率先して阻止する役割を担う強国です」とスレイマンは語ったという。

ロンドンでも、スレイマンはソワーズ長官と個室で昼食をとりながら「あなたの任務のために最善のインテリジェンスをエジプトからお届けできるようにします」と約束した。

世界でテロリストを拉致してエジプトに連行し、尋問するというCIAの組織化されたインテリジェンス活動でも、スレイマンは中心的役割を果たしてきた。エドワード・ウォーカー元駐エジプト・イスラエル米国大使によれば、スレイマンはエジプトの刑務所で行われる尋問を指揮していたことがあるという。

「尋問のために拷問などの汚れ仕事を部下にさせなければならないことを彼は承知している。多少のことでビクつくような男ではない」

だが、これはほぼ確実に人権擁護団体から激しく追及される火種になるだろう。スレイマンが唯一頼れるのはイスラエルなのだ。副大統領として彼は、79年以来続いてきたイスラエルとの和平を継続する新体制を模索する方針だろう。

最大の障害は、05年選挙で総議席の約2割を獲得したムスリム同胞団だ。同胞団が勢力を拡大すれば、「ファラオ」の国だったエジプトが「ムッラー」(イスラム法学者)の国になる恐れもなしとしないのである。(敬称略)

著者プロフィール
ゴードン・トーマス

ゴードン・トーマス

インテリジェンス・ジャーナリスト

脚本やBBC、米テレビ放送ネットワーク向けテレビ番組も手がける。2005年2月に放送されたフランスのテレビ番組でダイアナ元妃の事故死についてコメント、同番組の視聴者数は900万に上った。対テロ国際会議(2003年10月、コロンビア)で講演したほか、米中央情報局(CIA)、英防諜機関(MI5)、米連邦捜査局(FBI)、英対外諜報機関(MI6)など世界34カ国の諜報機関幹部を対象にした講演では、1時間半のスピーチの後の質疑応答に2時間が費やされた。ワシントンで米国防総省、その他機関の関係者を対象にした講演経験もある。FACTAのほか、英独など欧州やオーストラリアのメディアにも多数寄稿。著書に『インテリジェンス闇の戦争』(講談社、税別1700円)など。

   

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