「北方領土」とロシア大統領の下心

「中ロが組んで足元を見られた」と騒ぐなかれ。12年大統領選をにらみプーチンへの“示威”。

2010年12月号 GLOBAL
by 畔蒜泰助(東京財団研究員)

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国後島の地熱発電施設を訪れ、ヘルメットを渡されるメドベージェフ大統領(11月1日)

AP/Aflo

尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突事件で日中関係が悪化するなか、11月1日、さらなる外交ショックが菅直人首相と民主党政権を襲った。ロシアのドミートリー・メドベージェフ大統領(45)が北方四島の中で二番目に大きい国後島を訪問したのだ。ロシア帝国から旧ソ連時代を経て現在にいたるまで、同国の国家元首が北方領土を訪問したのは初めてだ。

民主党政権下の日本外交の混迷もあって、一部のマスメディアは「それみたことか」と言わんばかりに「ともに日本との間に領土問題を抱えるロシアと中国が結託し、対日圧力をかけた」と分析していた。対中弱腰外交でロシアにも足もとを見透かされたというのだが、これには明らかに裏付けがない。

筆者がロシア筋から得た情報によれば、国営ノーボスチ通信はむしろメドベージェフ大統領の国後訪問を支持する中国人専門家のコメントを掲載しないよう抑制をきかせていたという。中ロが組んだとの印象を避けようとしたのだ。

「子飼い」イメージ払拭

とすると、今回の大統領の行動をどう理解すべきなのか。すでに多くの識者が指摘しているように、ロシア国内の政治情勢を反映したもの、と理解するのが妥当だろう。

2012年に迫った大統領選で再選をめざす同大統領は、「強いリーダーシップを持つ大統領」とのイメージづくりを積極的に行い、国民の間で支持率を上げておく必要がどうしてもあるのだ。

そこには、依然として彼の前に立ちはだかる大きな影がある。3選を禁じた憲法に従い、大統領2期を務めたあとは自ら首相に就任、なおロシアの最高実力者であるウラジーミル・プーチン(58)である。

プーチンは与党・統一ロシアの党首として「選挙マシン」を掌握しており、同党が次の大統領選挙で誰を候補にするかの最終決定権を持つ。筆者が出席した8月31日~9月7日のヴァルダイ会議(プーチン大統領時代の04年に始まった国際会議)でも、登場したプーチンは自ら再出馬する可能性を否定しなかった。

ロシアでも「プーチンはいったん中抜きして3選をめざすのではないか」という観測が根強く、2年後でもまだ60歳だけに、年齢的にも実力的にも再出馬すれば最有力候補となることは確実だ。

そんな状況でメドベージェフの側近たちが描く再選戦略は、国民の間の支持率を上げることでプーチンの後押しを得ること。そのためには、独自路線を積極的に打ち出し、国民の間に残る「プーチンの子飼い」とのイメージを払拭するしかない。

自分を大統領にしてくれた前任者との微妙な“サヤあて”。ヴァルダイ会議の最中にも、それを実感させられる場面に出くわした。

今年で7回目にあたる同会議は08年の大統領交代後も、約50人の会議参加者がプーチン首相とともにメドベージェフ大統領との対話の機会を与えられるのが恒例だった。ところが、今年は違った。9月3日、主催者のノーボスチ通信が、会議後の9~10日に開かれるヤロスラブリ国際会議への参加希望者を募ったのだ。

要は「今年のヴァルダイでは大統領にお目通りする機会はありません」ということだ。その代わり大統領が登場するヤロスラブリ国際会議に続けて参加できるよう、ノーボスチ通信が急遽アレンジしたのだ。

ヴァルダイ会議が「プーチン・プロジェクト」であるのに対し、大統領自身が評議会議長を務めるシンクタンク、現代発展研究所などが主催するヤロスラブリ国際会議は、まさに「メドベージェフ・プロジェクト」と言っていい。

ちょうど1年前の09年9月10日、メドベージェフ大統領は「ロシアよ、進め!」という論文を発表した。リーマン・ショック後、大きく値下がりした石油・天然ガスに依存するロシアの経済構造を近代化するために五つの優先的な産業分野を特定したほか、民主化の積極的な推進、汚職との闘いなどプーチン時代とは一線を画すリベラル色の強い路線を打ち出してみせた。

すでに1年が経過したが、具体的な成果は乏しい。全国の白熱灯をLEDに替えることなどを柱とした省エネ法の制定と、モスクワ郊外にロシア版シリコンバレーを目指したスコルコボ技術革新センターの設立を決めたことぐらいだ。国内的にはさほど評価されていない

これに対しプーチン首相は今年のヴァルダイ会議でも、国際エネルギー機関(IEA)の需要予測に触れ、ロシア経済の将来に楽観的な見方を披露していた。実際、リーマン・ショック後、1バレル=40ドル近くに急落した原油価格は現在、90ドル近くまで回復している。

プーチン首相は「選挙マシン」を掌握するだけでなく、石油・天然ガス・原子力を含むロシアのエネルギー産業の主要権益も自らの側近・友人らを通じて手中に収めている。大統領退任後もロシア国内での影響力は衰えるどころか、むしろ強まっているのだ。それだけに、今年のヴァルダイ会議に参加せず、ヤロスラブリだけに登場したメドベージェフ大統領とその側近たちは、一つの賭けに出たと見てよいだろう。

「俺の話を聞きたければ、ヤロスラブリに来い」。そう言わんばかりのこの出来事を、ヴァルダイ会議参加者の多くは、大統領選を前にしたメドべージェフ対プーチンの微妙な関係と見て取った。

現に今年のヤロスラブリ会議で大統領は「経済の近代化と政治システムに代替案はない。民主主義はロシアの発展に必要不可欠な条件である」と力強く述べている。そこにもリベラル色をにじませようとした彼の苦心の跡が透けて見える。

ただ、彼には「選挙マシン」を握るプーチン首相から独り立ちし、関係を決定的に悪化させる選択肢はない。あくまでも次期大統領選でプーチンの後押しを受けるために、独自路線を打ち出すというかなりアクロバティックな立ち居振る舞いをせざるを得ない状況にある。

リベラル路線に独自色

メドベージェフ大統領による北方領土訪問も、このようなロシア国内の複雑な政治状況の文脈上で理解すべきだろう。もともとプーチン首相の支持基盤だったと言える軍や保守層にも、北方領土問題で譲らぬ姿勢を見せたことは一定のアピール効果はあったと見る。

プーチンは、予算を司る首相という立場で国家全体を動かす術をマスターしてしまったので、必ずしも大統領職への復帰は望んでいないとの見方もある。いずれにせよ、12年大統領選がメドベージェフ再選となるのか、プーチン返り咲きとなるのかはプーチンの胸三寸だ。

翻って、前原誠司外相のたび重なる警告にもかかわらず、メドベージェフ大統領にあっさり国後島の土を踏ませてしまった日本政府も、ロシア大使召還のような目先の対応だけでは済まない。メドべージェフ対プーチンの微妙なバランスに目を凝らしながら、アジア・太平洋地域における中国の台頭という戦略的な文脈の中で、対ロシア外交を立て直していくべきであろう。(敬称略)

   

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