『「普天間」交渉秘録』
2010年9月号
連載 [BOOK Review]
by 石田修大
秘密にされた記録、「秘録」というのは、関係者が世を去ったり、テーマが過去の問題になってから、今だから話そうと公にされるケースがほとんどである。その点、日米、あるいは政府・沖縄の間で現在進行形の懸案事項である「普天間」の交渉過程を、当事者であった元防衛事務次官が明かした本書は、異例といってよいだろう。
米軍普天間飛行場の移設問題は1996年、SACO(沖縄特別行動委員会)最終報告により、名護市に移設することで日米が合意したが、以来今日まで陸上案、海上案など入り乱れ、具体化できぬままになっている。その間、多くのメディアは小さな島に広大な米軍基地を抱え込まされた沖縄の負担を強調、防衛、外務両省や政治家の定見の無さを批判してきた。
だが、内閣審議官としてSACOにかかわり、その後も官房長、防衛局長、事務次官として在日米軍の再編問題に取り組んできた著者は、県知事、建設業者ら沖縄関係者こそが解決を遅らせたと批判する。05年10月、日米がキャンプ・シュワブ宿営地案(L字案)で合意した折も、そうだったという。
政府は米側が事前に提案したキャンプ・シュワブ陸上案での合意を前提に会談に臨んだが、米側は突如名護浅瀬案を主張し、「沖縄も賛成している」と言いだした。この案は沖縄の建設業者らが考え出したもので、彼らはワシントンの国防総省関係者に働きかけ、米側に提案させた。騒音や環境の面でも浅瀬案は問題が多いと、著者は小泉首相にも説明、米側との折衝の挙げ句、陸上案を手直ししたL字案での合意に漕ぎつけた。
ところが、今度は稲嶺沖縄県知事が「容認できない」と申し入れてきた。大田前知事の対抗馬として自民党が担いだのに、いつまでも優柔不断な態度に、著者は「あなたは(知事就任後)7年間何もしなかった」となじった。それに対し、知事は「沖縄では大きな仕事は20年かかる。大したことはない」と平然と答えたという。
さまざまな思惑を秘めて、したたかに仕掛けてくる沖縄関係者の動きが具体的に書かれる。それだけではない。対米関係では外務省も黙ってはいないし、身内の防衛施設庁も一心同体ではない。小泉首相の信頼を受けた著者を、苦々しく思う政治家もいるし、直属の上司だった久間防衛相に至っては、著者にも秘密で県知事と会い、地元の要望を容れようとする。
著者の心情は、阪神を最後に引退した江本孟紀と同じだったのではないか。「ベンチがアホやから野球がでけへん」。次官在任4年、防衛省の“天皇”とまで噂されたが、最後にわずか2カ月仕えただけの小池防衛相にあっさり首を切られてしまう。それもまた沖縄サイドの要請に応じたものだった、との情報が書き添えられている。
官房長時代から記録していた日記を基に書き下ろした本書には、実名入りでいきさつが綴られている。それだけに「普天間」交渉の裏面史として、高級官僚の政官界遊泳の実態を示す記録として大変興味深い。検察が押収できなかった日記はこれが全貌のはずがなく、関係者の具体的な反論を読みたいが、官を辞し、山田洋行からの収賄容疑で公判中の著者を相手にする勇気はあるまい。