第一三共で「塞翁が馬」の社長交代劇

2010年7月号 BUSINESS

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第一三共は6月28日の株主総会で庄田隆社長(61)が代表権のある会長となり、中山譲治副社長執行役員(60)が社長兼CEOに就任するトップ交代を決める。

中山氏はサントリー出身だが、第一製薬がサントリーの医薬品事業を買収後は、第一製薬の取締役になっていた。さらにその後、第一は三共に統合されて第一三共になったが、中山社長の誕生は、買収された側の幹部が買収した企業のトップに就くという、いわば「塞翁が馬」の出世劇である。第一三共は国内3位の製薬メーカー。中山氏は4月に設置したばかりの日本カンパニーのプレジデントを兼務し、国内トップ企業を目指すという。

中山氏は大阪大学大学院修士課程を修了後、米ノースウエスタン大学大学院でMBAを取得し、1979年にサントリーに入社。2000年に取締役・サントリー生物医学研究所社長となり同社の医薬品事業を率いた。ところが、サントリーは医薬事業からの撤退を決め、第一製薬に医薬品事業を譲渡したため、中山氏も03年にサントリー取締役を退任し、第一の取締役に転じた。第一三共発足後は海外事業を担当していた。

第一と三共が統合したのは07年4月。それ以降、森田会長、庄田社長の下でインドのランバクシー買収による「ハイブリッド経営」を打ち出すなど、我が国の製薬企業の中で独自の路線を走り始めていた。

さらに今春スタートした日本カンパニーのプレジデントに中山氏を指名するなど一連の組織・人事改革を行った。さらに10~12年度の第2期中期経営計画の策定も終えた。庄田氏自身は5月に日本製薬工業協会(製薬協)会長(任期2年)を退き、次に日本製薬団体連合会(日薬連)会長に就任する予定であり、社長交代の絶好のタイミングだった。

中山氏が庄田氏から次期社長の打診を受けたのは今春という。我が国での事業を統括する日本カンパニー構想は中山氏の発案ともいわれており、新組織への移行は中山体制への布石と見られている。

中山氏はサントリー出身とはいえ、第一製薬時代にも次期社長候補に挙がっていた。第一三共統合後の処遇も、将来のトップ人事を念頭に置いたものだったとの見方もできそうだ。

合併会社のトップ人事はたすき掛けがお決まりだ。第一三共でも「第一が会長、三共が社長」から「第一が社長、三共が会長」という具合にシフトしてきた。中山氏の実父は医師出身で「お茶の水博士」の愛称がある中山太郎元外相(元衆院議員)。ちなみに祖父の中山福蔵氏は元参院議員、祖母の中山マサ氏は女性初の閣僚(元厚生相)となった元衆院議員だ。中山家は政治家を輩出する大阪の名門一族。その毛並みのよさも中山氏を後押ししたようだ。

中山氏は社長交代の記者会見で、次期社長を打診された時に、サントリー出身でありながら自分を選んでくれた、三共出身の庄田社長の懐の深さに感動したと述べた。旧三共側も中山氏の柔軟で率直な人柄を評価し「たらいまわしではない納得のいく人事」(役員)という声が多い。

サントリー出身の中山氏は製薬とは異なる業界も経験している。高付加価値の医薬品と利益率が高いとはいえない食品飲料とはサプライチェーンのあり方が違うが、医薬品でも後発医薬品などコスト意識が違う事業分野もある。さらに、一般用医薬品(OTC)などの事業を持つ第一三共全体は、より広範なヘルスサービスの視点から新規事業の展開を期待される面もあるだろう。

第一三共の抱えるリスクに米食品医薬品局(FDA)との問題がある。FDAは医薬品製造基準に照らして、ランバクシーのインド国内工場から米国への輸入を差し止めている。中山新社長は早急にFDA問題を解決すると言明した。

第一三共の目標はグローバルファーマイノベーターである。それには我が国を代表する製薬企業としてプレゼンスを高めなければならない。ところが、第一三共の国内販売は不振にある。まずこれをクリアしなければならない。中山氏は「医療サービスを担いながら、企業としての利益を追求する。二つの責務をバランスよく実現したい」と抱負を語り、第2期中計に示した数値目標達成へのこだわりを強調した。

   

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