観光庁長官に「大分ハッタリ男」抜擢の怪

2010年2月号 POLITICS

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前原誠司国土交通相は、どこまでいっても人を見る目がない。ガセメールで議員辞職(のち自殺)に至らしめた永田寿康衆議院議員といい、日航の助っ人からはじき飛ばされた冨山和彦経営共創基盤社長といい、前原の眼鏡違いでどれだけ周囲を混乱させたことか。二度あることは三度ある。12月25日、観光庁長官にサッカー「大分トリニータ」の運営会社大分FC前社長の溝畑宏(49)を起用する“仰天”人事を発表した。

観光庁は二階俊博元運輸相の肝いりで誕生しただけに、色のついた初代長官の本保芳明(60)を更迭したかったのはうなずける。だが、大分では「よりによって」と悪評の高い元自治省(現総務省)官僚の“ハッタリ男”を抜擢したことに、トリニータの地元ファンも呆れ顔。08年のナビスコ杯でトリニータを日本一にしたのはいいが、放漫経営で9億円を超す債務超過となり、チームもJ2に降格、その責任をとって12月12日に辞めたばかりだったからだ。

誰よりもカンカンに怒っているのは、広瀬勝貞大分県知事だという。温厚な広瀬が「もう二度と大分の地は踏ませない」と激怒したのは、溝畑が03年まで6期24年も知事の座にあった前任の平松守彦の“負の遺産”だからだ。「大分トリニータのスポンサーは僕が見つけてきます」と安請け合いして東京へ行き、ソフトバンクにも打診したが、色よい返事が得られず、大分FCを放り出すように辞めたと思ったら、自分だけ「就活」して東京“凱旋”を決めたのだ。

京都大学の数学者の息子で京都生まれ、東大法学部を出た溝畑が大分に縁ができたのは、自治省から90年に県企画部次長に出向してからで、02年のワールドカップ日韓大会の会場誘致で平松知事に食いこんだ。「異色官僚」として立命館アジア太平洋大学の創立にも関わったが、地元では「はたで見ても気味が悪くなるほど平松にゴマをすった」とされる。

誘致のために頻繁に東京に通い、W杯の“黒衣”電通から銀座で接待を受けるようになる。大分の繁華街、都町でも「豪快に遊んでいて、公務員なのによくカネがあると感心されていた」という豪傑ぶり。

いったん自治省に帰るが再度大分を希望、94年に大分FC発足に参加し、96年にゼネラルマネージャーとなった。03年に当選した広瀬知事は「平松色」一掃を図って溝畑を東京に帰そうとしたが断られた。広瀬は通産省(現経済産業省)の先輩、平松の手前もあって溝畑を切るに切れず、04年に大分FC社長を任せた。

金ヅルとして頼ったのは、郷里京都で年商2兆円のパチンコ大手、マルハンを率いる韓昌祐会長。スポンサー獲得のためなら裸踊りまで見せる体当たりの説得に、マルハンは05年から胸スポンサーになる。韓会長は「日本一になるまで」と総額13億円も年間予約席を購入し続けた。

一時は「スポンサー700社」を豪語し、海外からエジミウソンやホベルトら有力選手や監督をスカウト、ナビスコ杯優勝に導いたまではよかったが、背伸びで財政事情が悪化する。不況で観客も減り、スポンサーも離反した。支援増額を要請されたスポンサー数社は「国がかりの事業のスポンサーになれるだけでも幸せと思え」という溝畑の横柄な態度に「もう降りる」と憤ったほどだ。

09年9月にはマルハンが完全撤退を発表する。パチンコ業界はJリーグの規定で胸スポンサーになれず、07年以降はスペシャルスポンサーとなっていたが、「経済的対価が望めない」と降りた。これで監督らチームの3分の1を切るリストラを断行、Jリーグから3億5千万円の融資を受けたが、今も存亡の淵を漂う。

その張本人を誰が観光庁に栄転させたのか。京都洛星中学、高校で同級生だった松井孝治官房副長官らしい。松井が溝畑に救命ブイを投げ、同じ京都出身の前原がOKした。溝畑長官は1月4日の初会見で、「日本を観光大国に」と言ったが、こんなお調子者にできるのか。「京都人脈」の罪は深い。(敬称略)

   

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