「新型インフル」は空騒ぎ根拠のある危機管理を!

外岡立人 氏
医学博士・前小樽市保健所長

2009年10月号 LIFE [インタビュー]
W

  • はてなブックマークに追加
外岡立人

外岡立人(とのおか たつひと)

医学博士・前小樽市保健所長

1944年生まれ。北大医学部卒。独マックス・プランク免疫生物学研究所で基礎免疫学を研究。市立小樽病院小児科部長を経て、01~08年小樽市保健所長。05年に情報サイト「鳥及び新型インフルエンザ海外直近情報集」を開設。世界の報道をいち早く翻訳して情報提供する同サイトは幅広い読者を持つ。

写真/平尾秀明

――新型インフルエンザ(H1N1)の流行のピークが9月末にもやってきそうです。

外岡 新学期が始まり学級閉鎖が続出していますが、致死的流行病が広がっているわけではない。もっと正しい言い方をするならば、いま広がっている新型インフルエンザは通常の季節性インフルエンザ以上に病原性が高いものではありません。

実際、7月以降、冬場を迎えた南半球では感染が拡大しましたが、致死率は非常に低いものでした。死者3千人を想定していたオーストラリアでは、8月末までの死者は150人程度。南半球における感染状況を踏まえ、米英は被害予測を大幅に下方修正しています。

危険度に応じた対策プランを作れ

――南半球で死者が少なかった要因は?

外岡 従来の季節性インフルエンザによる死者は、9割以上が65歳以上でしたが、新型は高齢者には感染拡大せず、死者も少なかった。10代の学生を中心に流行しましたが、彼らによる家庭内感染もそれほどではなかった。その一方で、妊婦や持病のある患者が重症化するケースが見られました。

――学校や企業はどう対応すべきですか。

外岡 ウイルスが新しいだけに、その特性(毒性と感染力)が十分にはわかっていません。その意味で厳格な監視と拡大防止態勢が必要ですが、私は保健所長時代から、病気の危険度に応じた対策プランの作成を提唱してきました。表をご覧ください。これが、私の考える新型ウイルスの病原性に応じたパンデミック(世界的流行)の危険度分類と、学校や企業が採るべき対策の概要です。

人の世界でパンデミックを起こすウイルスとして、従来、想定されてきたのは、東南アジアを中心に家禽を殺戮し、人での致死率が60%以上にも及ぶ鳥インフルエンザ(H5N1)でした。その危険度は、図表ではリスク4にあたりますが、それと今回の新型インフルエンザ(リスク0~2)とはまったく次元が異なる病気です。発病者は99%以上が軽症で終わるでしょうし、無症状で終わる感染者も少なくないはずです。学校は通常どおり授業を行い、必要があれば学級閉鎖をすればよい。通常の季節性と同様の対策で十分なのです。

――「新型インフルエンザの最新情報は、外岡さんのサイトを見よ」と言われるほどです。

外岡 保健所長時代の2002年に新型肺炎(SARS)が流行し、個人的に集めた情報をネットで公開したのがきっかけです。04年に入ると鳥インフルエンザが話題になり始め、毎朝3時から出勤時刻まで海外報道をチェックし、重要情報を翻訳して公開するようになりました。5年にわたる情報収集・分析をもとに、さまざまな提言や警戒情報を発信してきました。今春の新型発生以降、アクセスが急増し、毎日数十通のメールが届くようになりました。読者は医療従事者、行政担当者、企業から一般市民まで、特に最近は子どもを持つ主婦の問い合わせが目立ちます。行政やマスメディアが発する情報が信頼できず、戸惑っているようです。

――肝心なことは何も伝えない政府発表や根拠のない過剰報道を批判していますね。

外岡 4月29日にWHO(世界保健機関)がパンデミック警戒レベルをフェーズ5に引き上げると、厚労省は大慌てで致死率60%の鳥インフルエンザを想定した行動計画を発動しました。米CDC(疾病対策センター)やWHOが「ウイルスは弱毒性」と発表しているにもかかわらず、厳重な対策を開始したのです。結果、空港検疫が強化され、防護服に身を固めた検疫官が空港ロビーや機内に乗り込む光景が報じられました。5月9日に成田検疫で、カナダから修学旅行帰りの高校生が感染していることが確認されるや、舛添厚労相が記者会見を開き、「落ち着いて対処をお願いしたい。早く発見して早く治療すれば必ず治ります!」とまくしたてた。今回の新型インフルエンザはいつから重大な感染症になったのか? 私は耳を疑いました。厚労相は「新型インフルエンザは、通常の季節性インフルエンザと同等か、それ以下のリスクしかない」と冷静に語りかけるべきでした。これに遡る5月2日、オバマ米大統領は、次のような声明を発しています。「H1N1は通常のインフルエンザと同じような経過をたどるかもしれない。我々が最大準備した対策は必要とされないかもしれない。しかし、我々は事態を深刻に受け止めている。現在は軽微だとしても、冬にはより致命的なインフルエンザとなって再出現することもあり得る」。この科学的メッセージに、国民の生命を守る米大統領の責任を感じました。

「マスク」「うがい」に科学的根拠なし

――関西では「マスク騒動」も起きました。

外岡 欧米ではインフルエンザ予防に市民がマスクをする習慣はなく、マスクの予防効果については、WHOや米CDCだけでなく、英国やカナダの保健省も認めていません。ところが、日本のメディアはマスク姿の人々が急増する様を脅威のシンボルのように報じ続けました。そうなる前に、厚労相はマスク着用の意義や効果について説明をすべきでした。欧米では「咳やくしゃみをするときは、ティッシュまたは袖の内側でぬぐいなさい!」という、いわゆる「咳エチケット」を広報しています。また、欧米の医学書に「うがい」の効用は載っていません。単に習慣がないというより、医学的な根拠がないためです。頻繁な手洗いと集団に入ることを避けることが周知徹底されています。

――日本は何かが欠けていますね。

外岡 日本の対応を見ていると、関係省庁はそれなりに頑張っているのですが責任者が見えません。最終責任は厚労相、いや首相が負うべきかもしれませんが、対策プランを統括する実質的な責任者、すなわち公衆衛生の危機管理を担当する「専門家」がいません。新型インフルエンザの流行に備えて専門家を中心とした危機管理チームを作り、国民の生命を守る責務とともに強力な権限を与えるべきです。米大統領を補佐する米CDCがモデルになります。このチームが科学的な根拠に基づいた正確な情報を絶えず発表し、人々が不安心理やパニックに陥らないよう万全を期すべきです。必要なのは、Evidence-based Crisis Management(根拠に基づく危機管理)にほかなりません。

   

  • はてなブックマークに追加