盧 躍剛氏 氏
中国青年報「氷点週刊」元編集副主幹
2009年5月号
GLOBAL [インタビュー]
A
「中国青年報」に20年間務めたベテラン・ジャーナリストで、ルポを得意とする硬骨漢。04年に共青団書記処常務書記への公開状などで、周強・中央書記処第一書記(現湖南省長)ら共青団幹部を痛烈に批判した。中国の著名知識人50人のひとり。「氷点」解任もその報復人事だったと言われる。写真/平尾秀明
――中国の胡錦涛・国家主席の出身母体、共産主義青年団(共青団)の機関紙「中国青年報」が付属週刊誌として刊行していた「氷点週刊」が06年1月、19世紀のアヘン戦争と英仏の円明園襲撃(60~61ページ参照)の記述を例に、「中国の子供たちはいまだに狼の乳を飲んでいる」と中国の歴史教科書の偏向を批判した袁偉時(中山大学教授)論文を掲載した。直ちに当局に停刊を命じられ、李大同・編集主幹も盧さんも解任された「氷点」事件は、日本でも大きく報道されました。その当事者が訪日を許されたのには驚きましたね。その後、どうされていたのですか。
盧 06年から3年間、新聞研究所にずっといて、現代史、改革開放の歴史、中国共産党の研究に従事しています。あとは第3インターナショナルの歴史ですね。研究目的は、この30年来の中国の改革開放の原動力がどこにあったかを探すものです。
――「氷点」事件の舞台裏を書いた李大同さんの『在地獄的入口処』(邦題『「氷点」停刊の舞台裏』)が日本で対訳本として出版されているのをご存じですか。
盧 (本を手に取って笑い)ほうほう。
――当局の忌避に触れる論文をあえて雑誌に掲載したのは、ぎりぎり許容限度を試しても逮捕はされないと計算していたからでは?
盧 (笑って)それは計算していました。1949年の建国以来、中国は現在の(検閲)制度をとっていますが、長い歴史のなかで芸能人や一般人、政治家が舌禍にあって処分されたり外地に追われたり、死刑になったこともありました。そういう処刑や処分は文化大革命期、あるいは文革前に起きたわけですが、文革後も(党や政府と)文芸や心理、歴史的な観点から異なる意見を発表して社会的に大々的な批判を受けた例は確かにあります。
――権力闘争の隠れ蓑だったことも?
盧 83年末の精神汚染批判の運動は、資産階級の精神汚染を清算するという運動でした。86年末から87年にかけての資産階級の自由化に反対する運動も、一群の学者や作家を名指しで批判しました。言論の自由を制約していることの継続でした。しかし中国は大きく進歩しています。以前のように逮捕されたり死刑にされたりすることはなく、大々的に批判しても、家族や友人への蔑視はありません。「氷点」でも編集主幹と私が職を失う羽目になりましたが、新聞研究所への異動は80年代とは比べものにならないほど軽い。全国的な批判にさらされることもなく、生活も特に制限はないし、こうして取材を受けることもできます。
――共青団の精神的支柱は今でも故胡耀邦(元党総書記)ですよね。彼の没後、中国のリベラリズムは後退したのでは?
盧 胡耀邦が亡くなってから、自由化の問題や出版の自由、これらに対する一般の国民の関心がやんだわけではありません。
――「氷点」停刊には各界から抗議の声が湧き起こり、当局もほどなく復刊を認めました。日本から見ると、改革開放で政府に依存しなくていい中産階級が中国にも育ってきたからかな、と思えますが。
盧 そのような理解は正しいと思いますが一面的ですね。言論の自由を含む政治改革を求める人たちは、いろいろな階層にわたっています。中産階級はそのなかの一階層に過ぎない。中産階層はとても理性的で、勢力も徐々に拡大していますが、彼らは改革開放の受益者です。既得権もありますので受け身で、彼らの行動力が今後の政治改革の主軸になるとは必ずしも見通せません。農民工、農民、中産階層などを含めて特定の階層によらない、もっと大きな政治改革要求があります。
――それが民族主義、ひいては反日運動に転じる恐れはないのですか。
盧 アメリカの金融危機による輸出縮小とか農民工の失業は拡大しており、社会に大きな問題を及ぼす可能性があります。しかしそれは民族主義とはちょっと違います。今は農民工が失業していますが、食べられなくなるわけではない。農村に帰れば土地がある。今起きているのは、収入全体が減っていることです。ただ、農民工は80年代末あたりから始まっていて、すでに2世代にわたり、その生活様式は伝統的な農民とは言えません。
――20世紀には、失業と「遊民」がファシズムや民族主義の培養土になりました。
盧 鋭い指摘ですね。中国の王朝交代や共産党政権が誕生したときも、主要勢力は農民でした。おっしゃるような「遊民」は中国で言えば「盲流」、余剰人員でしょうか。93年以前は農民工という言葉がなく、「盲流」と呼ばれていました。でも、中国の農民工は盲目ではない。おカネを稼ぐという非常に具体的な目的があります。決して高い目標ではない。2億~3億人の規模なら、今の中国経済は吸収可能だと思います。1920年代にドイツやイタリア、日本などで大量の失業者が発生しファシズムに結びついたと言いますが、それと今の中国は異なる状況です。
――失業が発火点にならないとしても、改革開放が進めば、共産党は一党支配を維持できなくなるのでは? 胡錦涛主席が内部でそう警鐘を鳴らしたとの報道もありますが。
盧 「言論の自由」の空間に対し制約がだんだんなくなってくれば、制度の問題に当然発展してくるものです。最終的には憲法に規定されている権利の実現に行きつくのだと思います。これは中国の民主化運動の目的の一つであって、自分たちの内的な努力によって一歩一歩獲得へと進めているところです。
――「氷点」事件では、保守勢力もまだ根強いことが見えた気がします。
盧 政府自身がかつてのように一枚岩ではなく、強硬な見方を保てなくなってきました。しかし(一時停刊に)知識人は失望を感じました。でも、我々は失望には慣れました。我々は十分な忍耐力と自信を持っています。中国社会はゆっくり漸進的に変化すると考えています。一つのルートが詰まっても、また別のルートがあるでしょう。
――ウェブサイト検閲は依然厳しい。
盧 確かに緩いところと厳しいところがある。インターネット内の表現は徹底的には止められず、制御も管理もしきれない。当局は管理したいという意欲はあるわけですが、実際にできるかどうかは別の話。ひとたびネットで文章を発表すれば、読者は1千万人以上です。速度と広がりは比べものにならない。中国のすべてのメディアは挑戦を繰り返して言論の自由の空間を広げています。「魔高一尺、道高一丈」(従来の格言「道高一尺、魔高一丈」をひっくり返した言い方で、善は悪を凌駕するという意味)ですよ。そこが中国社会の面白いところです。