オバマ就任後の米軍事政策

2008年12月号 連載 [「軍略」探照灯 第32回]
by 田岡俊次(軍事ジャーナリスト)

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米国が超大国の地位を失いかねない経済危機と出口の見えないイラク、アフガニスタンでの2正面作戦――ブッシュ政権の2大失政は米大統領選挙では民主党に当然有利な要素であり、バラク・オバマ氏は圧倒的勝利をおさめた。だが就任後は逆にこの二つの巨大な負の遺産を彼が背負い苦闘する。二つの破孔を生じた船の船長に任命された格好だ。

オバマ氏の当選は将来の世界史年表に「米国に初の黒人大統領」と小さく載るだろうが、所詮は米国史の一齣にすぎない。一方、9月15日、証券会社リーマン・ブラザーズの破綻、保険会社AIGの事実上の国有化などでついに表面化した米国の経済危機は、1929年10月24日の「暗黒の木曜日」と同様、世界史の転換点として年表に太字で印刷されることになるのではあるまいか。

西側でも戦後体制終焉に

従来米国は年間7千億ないし8千億ドルもの経常赤字を出しつつ、ドルの威信と高利回りに引かれて海外から流入していた年1・2兆ドル(07年)の資金の約3分の2を赤字の穴埋めに使い、約3分の1を海外投資にあてて、外形上の繁栄を保っていた。これはネズミ講の胴元が集めた金の大半を生活費に費消するのに似ていた。米国人はこれを「リサイクリング」(還流)と呼んで、借金が増大する現実から目を背けていた。米国は対外純債務2兆5400億ドル(今年8月)を抱える最大の債務国で、最大の債権国である日本の対外純債権250兆円余(07年末)と裏返しの関係にある。

自転車操業が露呈して投資銀行の営業形態が否定され、ドルの信用も崩れた以上、米国への資金流入は急減し、米国は60年余続いた経済的覇権を失う公算が大だ。ドイツのP・シュタインブルック財務相は議会で「アメリカは世界の金融システムの中で超大国としての地位を失った」と述べたが、今回の打撃は多分金融危機にとどまらず、29年の例から見て数カ月の時間差で企業の連鎖倒産、大量の失業者の発生など、実体経済に波及するか、と考える。

30年代には不況に陥った米国がドイツなどから資金を引き揚げたり、各国が関税を高くして自国産業を守ろうとしたため世界恐慌になったが、今回は各国が協調姿勢を今のところ保っているだけに、前回ほど事態は悪化しないかもしれない。だが29年の米国は250億ドル以上の債権を持ち、年々約40億ドルの貿易黒字を得ていたし、財政も均衡していた。今回米国財政は大赤字、物作りも衰弱して貿易赤字なのだから、「ニューディール」時代のような大規模公共事業や、減反補助金で農産物の価格を高めるような政策を取る体力が乏しい。また80年代の日本のように自国の金余りで起きたバブルと違い、外国からの借金で起こした米国のバブルの傷は深いだろう。

すでに米国の新車販売は10月に前年同月比で34%以上減少し、自動車関連産業は米国で約1500万人を雇用しているから、その3分の1が失職するか、あるいは賃下げが広範囲に行われれば他の業種への影響も大きい。今年のノーベル経済学賞を受けた米プリンストン大学のP・クルーグマン教授は「国家の破綻は回避できるのではないか。だが不況は長期にわたる」と述べている。

この情勢は旧ソ連がアフガニスタンのゲリラに勝てず、88年5月に撤退を開始した結果、東欧支配のカギだった軍事的威信を失い、東欧における第2次大戦の戦後体制が終了したのに似ている。ドルはベトナム戦争中の71年、赤字に苦しんだ米国が金との兌換を停止した時点で基軸通貨の資格を失ったが、「威信」によってその地位を保ってきた。東側同盟の消滅で、それに対抗する西側同盟の存在理由も失われていたのだが、冷戦終了後約20年それが保たれたのはドルのご威光によるところが大きい。今回の米国発の経済危機は西側でも戦後体制を終わらせることになるのではなかろうか。第2次大戦の2大戦勝国が世界を牛耳っていたのは歴史的にはむしろ異常な状態で、今後の世界は本国の経済、社会の再建にいそしむ米国や、EU、中国、日本、ロシアなどが複雑な利害関係の中で合従連衡を繰り返す、正常で、難しい時代に向かいそうだ。

国防予算削減は不可避

米国は9月末に終わった08会計年度でも史上最大の4548億ドルの赤字を出しているが、今年度は税収減と金融機関、自動車産業の救済などが加わり、赤字は1兆ドルに達すると予測される。将来も含めれば金融機関救済には7千億ドルを投入し、そのほか連邦預金保険公社(FDIC)保証の金融機関債務が1・4兆ドル、無利子の銀行口座保証に5千億ドルで、計2・6兆ドルは米国政府の歳入総額に等しい。さらにオバマ氏は「95%の国民に減税」まで公約している。

米政府の予算では社会保険の給付など義務的経費が6割を占め、4割の裁量的経費中6割が国防関連費だ。09年度では国防関連予算5945億ドルと700億ドルの追加戦費が計上されている。「テロとの戦い」の戦費は年約1900億ドル(19兆円)だ。赤字の拡大を少しでも抑えるには軍事費を削るしかなく、オバマ氏は「就任後16カ月以内にイラクから戦闘部隊を撤退する」と公約した。

だが、ゲリラ戦では一応安定した形をつけて撤退するには、方針決定後数年を要するのが普通で、ベトナム戦争では68年に北ベトナムと和平交渉を始めたが、撤退できたのは73年だった。「アフガニスタンがテロとの戦いの主戦場」とオバマ氏は言うが、タリバンは外国軍への反感を強める民衆の支持を得て勢力を回復、史上何度も英軍、ロシア軍を撃退した天性のゲリラ戦士アフガン人を武力で制圧する見通しは立たない。末期のブッシュ政権もタリバンとの対話、和解を模索している。財政状況から見て、オバマ政権も対話路線を引き継ぎ、撤退することになるだろう。それまでの間、米国はさらに無益な出費を重ねざるをえない。

国防費を削るには、新規の軍艦、航空機などの発注や開発を停止、縮小し、冷戦後進めてきたドイツ、韓国、日本などでの駐留米軍の削減を速めるしかあるまい。沖縄の第3海兵師団はすでに形骸化しているから、グアム移転よりは解体するほうが節約になる。嘉手納のF15戦闘機24機、三沢のF16戦闘機18機も削減可能だ。日本の防衛はすでにほぼ全面的に自衛隊が担当しており、米軍がいなくても穴はあかない。

ただ、米海軍は仮に建艦がゼロとなったとしても10年後で原子力空母10隻、艦齢30年以下の戦略ミサイル原潜10隻、攻撃原潜38隻、ミサイル巡洋艦18隻、ミサイル駆逐艦64隻を持つ圧倒的に世界最大の海軍で、米国が経済的超大国ではなくなっても、日本にとって対立を避けるべき強大な隣国であることは変わらない。この機に横須賀、佐世保の両港と岩国の海軍飛行場の管理権は日本が取り戻しても、米海軍の利用を認め、多極化時代にも不戦条約としての価値は残る同盟関係を保つのが、双方にとり得策ではないか、と考える。

著者プロフィール
田岡俊次

田岡俊次(たおか・しゅんじ)

軍事ジャーナリスト

1964年早稲田大学卒。朝日新聞社防衛庁担当記者、編集委員、ストックホルム国際平和問題研究所客員研究員、筑波大学客員教授などを経て、現在CSTV朝日ニュースター・コメンテーター。

   

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