入退院繰り返す小沢代表の病状

2008年11月号 POLITICS [ポリティクス・インサイド]

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小沢一郎民主党代表がまた入院した。

小沢氏は1991年6月に「狭心症」の発作を起こして救急車で東京・千駄木の日本医科大病院に入院して以来、同病院に入退院を繰り返し、その度に小沢重病説が永田町に流れてきた。

今回はどうか。入院翌日の10月7日、鳩山由紀夫幹事長は「若干風邪気味。夏から休まずに全国を飛び歩いて遊説し、声帯を痛めたので治療している」と軽症であることを強調した。

小沢氏も8日に病院から一時外出し衆院本会議に出席。10日にはテレビ東京の報道番組の収録のため再び一時外出。番組で「解散が延びてちょうどいいので静養している」と語り、健在ぶりをアピールした。小沢氏は14日に療養を終えて党務に復帰したものの、微熱が続くなど体調は芳しくない。

民主党関係者によると、小沢氏が体調を崩したのは9月中旬。以降、ただでさえ汗ばむ残暑の中、常にマスクにマフラーという異様な出で立ちで外出し、記者会見でもマスクを外さず、首には包帯やマフラーを巻いたまま。党本部での会合のときもマスクに包帯という痛々しい格好だった。

「扁桃腺が腫れ、声が少しかすれていた。医者から『のどを冷やさないように』との指示が出ているので包帯やマフラーをしていた。それにしても治るのに時間がかかり過ぎ。風邪のせいで心臓が弱るのを恐れて、あえて入院したのだろう」(民主党関係者)

小沢氏は2年前の同じ頃にも緊急入院している。臨時党大会で代表に再任された日に会場からこっそり抜け出して入院したのだ。「くたびれたから」というのが理由だったが、病院では、心臓についてCTスキャンや超音波診断などの検査を入念に行ったという。

小沢氏は退院後、「動脈硬化はあるが危険、心配ということはない」と述べ重病説を否定したが、「ただ、知らずに放置しておくと、発作がやってきて、心臓が止まったらいっぺんに駄目だから用心しなければ」と、自ら心臓病という病の恐ろしさに言及した。

そもそも小沢氏の病名は91年の緊急入院以来、小沢氏発表の「狭心症」ではなく、より重症の「心筋梗塞」ではないかと囁かれてきた。

日本医大病院関係者はこう話す。

「91年6月に緊急入院したとき、小沢氏は心臓カテーテルの検査を受けています。心臓カテーテルには、治療のカテーテルと検査のカテーテルの2種類ある。治療の場合は風船つきの管を太腿か腕の血管から心臓まで入れて詰まっている血管内を押し広げるだけです。しかし、もう一方の検査のカテーテルは手術を前提に心臓に達した管から液を入れてレントゲンを撮り、詰まった箇所を確認します」

専門医によると、この場合の手術とは、太腿の静脈を取って心臓の血管と交換する心臓バイパス措置手術を意味する。つまり小沢氏が「検査のカテーテル」を受けていたとすれば、小沢氏は心筋梗塞を起こして手術を受けたということになる。また当初、7月16日に予定されていた退院が8月10日に大幅に遅れたことも病状の深刻さを示すものと受けとめられた。

退院後の小沢氏は朝6時半に起床して自宅近所を散歩するのが日課になった。一日に5、6箱吸っていた煙草「パーラメント」もスッパリやめ、太りやすい体質のため脂肪分の多い肉は絶ち、魚しか食べなくなった。また食後しばらく休息を取るよう医師に指導され、現在も公務での朝食、昼食会は断り、昼食後は銀座日航ホテルなどで昼寝している。このため昼食時間と重なる午後1時開会の衆院本会議などを小沢氏は度々欠席。自民党から「本会議に出席できないのでは政治家の職責を果たせない」との批判を浴びてきた。

自民党が行った直近の世論調査によると、300小選挙区のうち自民党が確実に取れるのは110にとどまり、非自民の当確が158という厳しい結果が出ている。小沢政権誕生の可能性が高くなってきた。もし首相になったら小沢氏は昼寝をして国会を欠席するつもりなのか。外遊に耐えられるのか。

また小沢氏は政治資金で不動産を買い漁った「疑惑の不動産」報道をめぐる裁判で「週刊現代」に一、二審とも完敗しており、もし首相になれば、自民党はこの問題を蒸し返すに決まっている。重い心臓病とスキャンダルを抱える小沢氏が、首相の座を本気で狙っているのか、はなはだ疑問である。

   

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