舛添と伊藤が「年金記録」で大暗闘

公明党の最後通牒に「ギブアップ路線」を覆した福田。待ち受けるのは「エンドレスの十字架」だ。

2008年8月号 POLITICS

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「社会保障制度を見に行ってまいります。中央銀行の関係者とも意見交換をしてきたいと思っています」

7月7日。首相補佐官・伊藤達也(社会保障担当)は米国、オランダ視察に出発した。2月の着任以来、初の外遊。ブログは明るく綴ってみせたが、実は傷心の旅。せっせと奉公に励んできた首相・福田康夫に一杯食わされた痛手をひきずっていた。

これに先立つ1日。厚生労働相・舛添要一は記者会見で、「消えた5千万件」の年金記録問題を巡って徒労感漂う「勝利宣言」に力んでいた。「政府・与党内にギブアップしようと言う方もいるが、絶対ダメだと申し上げた。最後の1人、最後の1円までやる。まさにエンドレスだ」

伊藤ら「ギブアップ派」と舛添ら「エンドレス派」の確執を認め、エンドレス派の言い分を福田が容れた、と誇示した。

「進退」まで口にした舛添

年金記録問題の泥沼化に音を上げ、「専任の補佐官が欲しい」と福田に泣きついたのは舛添だ。福田も年金、医療、介護の各制度を抜本的に見直す首相直轄の社会保障国民会議(座長=東大教授・吉川洋)の切り回し役を探していた。「厚労相の補佐官」を望んだ舛添構想をこれ幸いと換骨奪胎し、年金記録と国民会議担当の首相補佐官に伊藤を据えた。

年金記録問題は首相官邸が責任を持つ。舛添はそう受けとめた。だから、伊藤が慶大教授・竹中平蔵に近い中大教授・野村修也らの「特別チーム」を厚労省に送り込み、記録問題に手を突っ込むのも黙認した。ただ、内閣法上、首相補佐官には何の職務権限もない。福田の思いつき人事は指揮命令系統を曖昧にし、官邸と厚労省の間で年金記録というババの押し付け合いを生んだ。

「最後のおひとりまでチェックして正しい年金をお支払いする」

昨年7月5日、前首相・安倍晋三の号令で、政府・与党はこう約束した。伊藤傘下の「野村チーム」は全国の社会保険事務所などで保管する8億5千万枚の手書きの紙台帳のサンプル調査にかかった。劣化して保存状態は芳しくなく、記録の完全な照合は不可能。それが結論だった。

6月27日付で公表した報告書でも「調査した6事務所すべてで紙の汚損
・破損で判読困難なものが認められる」と惨状をほのめかしている。早々にこの実態を知った伊藤は「安倍の公約はもはや時間と労力を浪費する空念仏」と観念せざるをえなかった。

「国民に謝罪し、関係者を厳しく処分して幕を引くしか出口はない。政権への打撃を最小限にとどめるためには、洞爺湖サミット(7月7~9日)前に決着させるべきです」

伊藤は福田にギブアップ路線を進言した。職務権限のない伊藤は国民に謝る立場になく、福田も他人事を決め込んできた。「謝罪」のババをつかまされるスケープゴートは年金記録の所管大臣たる舛添しかいないという筋書き。伊藤の策動を知った舛添は「背信」に怒髪天を突いた。

「オレに謝罪しろってことは、詰め腹を切れってことじゃないか!」

「ねんきん特別便」は年内には現役世代も含めた全加入者に届く手はずだ。舛添は紙台帳は期待薄でも、特別便を受け取った全加入者から自己申告を督励、「5年、10年後でも記録訂正を受け付ける」かたちで、全員が納得するまで確認作業を続ける「エンドレス」にこだわった。 

「どんなに困難でも、国民が『もういい』と許してくれるまで続けるしかない。厚労省のほうから『作業をやめます』なんて絶対に言えません」

6月17日、官邸。舛添は閣議の後で首相執務室に乗り込むと、進退まで口にして福田に直談判に及んだ。

「ギブアップしろと言うなら、私は辞めざるをえません。内閣も倒れかねないのではありませんか」

舛添の恫喝めいた福田説得を横目に、官邸「奥の院」で伊藤は仕掛けた。福田は23日の記者会見で、社会保障制度改革に先駆けて「今、やるべきこと」を「五つの安心プラン」として発表した。その第5の柱が「厚生労働行政への信頼回復」だった。

「年金記録問題では厚労相直属の特別チームの調査結果も踏まえ、月末をメドに対応策を策定する」

原案になかった「野村チーム」重視の姿勢。土壇場で伊藤が福田に囁いて加筆した一文だった。

暗闘は熾烈の度を増した。ギブアップ派は27日の「年金記録問題に関する関係閣僚会議」でケリをつける腹づもりだった。ここが自民、公明両党首脳陣も出席する政府・与党の事実上の最高決定の場である。

「向こう2年間、記録のさらなる照合に全力を挙げる。その状況を踏まえてその後の対応を検討する」

「チーム安倍」まで乱入

伊藤と舛添の激しい攻防の末、「年金記録問題への対応の今後の道筋」と題した27日の方針文書にはこんな玉虫色の路線を盛り込む流れとなった。「2年」と期限を区切って「ギブアップ」色をにじませたい伊藤。さらに作業を続ける余地を残して「エンドレス」の旗を守りたい舛添。伏兵は「チーム安倍」だった。

「2年間とは何だ! これは安倍さんの公約を覆すものだ。許せない!」

安倍の下で昨年の「7.5方針」を立案した元官房長官・塩崎恭久。ギブアップ派の動きに怒り、参戦した。伊藤の親分筋の元幹事長・中川秀直に「こんなひどい話を放置するのですか。伊藤補佐官によく言い聞かせてください」とねじ込んだ。

「チーム安倍」の福田・伊藤ラインへの不信感は19日の社会保障国民会議の中間報告から強まっていた。

「どの時代も格差があるのは当然だが、格差が拡大しているかどうかは別次元。高齢化も大きな要因だと私は何度も国会で答弁したはずだろ」

中間報告を一読した安倍は声を荒らげた。断りもなくしれっと路線転換して「格差の拡大」を認め、「大きな問題」だと指弾していたからだ。

さらにエンドレス派の援軍となったのは公明党だ。「官邸は年金記録でバンザイ寸前だ。国民の憤怒を呼び覚ましてしまう」。政調会長代理・福島豊は代表・太田昭宏、幹事長・北側一雄のもとに駆け込んだ。

「記録照合の期限を削除しない限り、明日の閣僚会議に公明党は出ない」

太田と北側が鳩首協議して「最後通牒」を官邸に突き付けたのは26日夜。閣僚会議は翌朝に迫っていた。

「わかった。公明党の言う通り直せ」

与党内の緊迫を聞いた福田は深夜、あっさり決断した。重大な軌道修正を伊藤には秘書官室から事務的に連絡させた。どこか他人事だった。

「未統合分の統合・解明及び記録の正確性の点検を進め、国民が不安を持つことのない状況を目指す」

27日朝の閣僚会議。配られた最終案から「2年」の期限は消えていた。伊藤の姿はなかった。官邸内の自室にいることを示すランプは灯っていたのに、である。カヤの外に置かれたことへの無言の抗議だった。

が、「奥の院」は一筋縄では生きていけない所だ。不貞寝を決め込んだ伊藤は1週間後、福田を訪ねた。

「いやー、首相のご英断でした」

エンドレス派も重い十字架を背負う。7月9日、塩崎は舛添と向き合った。

塩崎「紙台帳とオンライン入力済みの記録の全件照合を政府の方針として明記し、完全解決の道筋を示せ」

舛添「きちんとやりますから」

ギブアップ派の「野村チーム」報告書は、欠損も入力ミスも目立つ紙台帳とオンライン記録の突き合わせ作業には「問題の解決全体から見れば限定的な手段」と懐疑的だ。(敬称略)

   

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