パキスタンが対テロ「宥和」に転換

タリバン残党や辺境武装勢力と和平協定を結ぼうとする新政権。「敵に塩」と米英はハラハラ。

2008年7月号 GLOBAL [Nashim Zehra Eye]
by ナシーム・ゼヒーラ(ハーバード大学アジアセンター特別研究員)

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パキスタンにとってテロのリスクは歴然としている。最新例は6月2日、首都イスラマバード中心部でデンマーク大使館が標的にされ、8人が死亡した自爆テロである。ノルウェーとスウェーデンの大使館が一時閉鎖され、他国の大使館も館員や在留自国民に緊急警報を発した。

2日後、インターネットのイスラム系サイトに、国際テロ組織アル・カイダが犯行声明を載せ、さらなる攻撃を宣言した。声明によると、2005年にデンマークの日刊紙が預言者ムハンマド(マホメット)のターバンを爆弾に模した風刺画を掲載、世界中に転載されたことに対し、潜伏中のビン・ラーディンが予告した報復の実行だという。

2月の総選挙で大勝した人民党副総裁のユーセフ・ギラーニ首相が3月に発足させた新政権にとって、テロ対策は焦眉の急だ。政策はムシャラフ大統領独裁時代より、ずっと透明に実施されている。人民党やムスリム連盟シャリフ派などの連立与党、軍部、諜報機関、大統領、そして民兵組織との合意に基づき、包括的かつ持続的にイスラム武装勢力とも歩調を合わせているのだ。

強硬一点張りだった政策を転換したのは、武装勢力を掃討しようとする過去の政策が失敗に終わり、人民と乖離し、国軍は深手を負い、主流派の政治的支援もなかったからだ。新政権は国際社会にそれを理解してもらおうとしている。

食糧、医薬、パスポートも

英タイムズ紙に対しギラーニ首相は、テロとの戦いには多面的な戦略をとると語った。過去の軍事中心の戦略では望んだ結果が得られなかったからだ。首相はまた「部族が支配する辺境地域に対処する戦略も見直す必要がある」と明言した。

この決定はすでに新政策イニシアチブに盛り込まれ、①情報収集方法の改善、②国軍の代わりに準軍事組織の活用、③治安上の理由で封鎖された道路の再開、④食糧不足地域への食糧供給、⑤武装勢力掃討作戦のため近隣地域に避難した諸部族の再定住を支援するなど地元のニーズに応えて住民の支持を獲得すること、⑥武装勢力との対話――などが柱。

政府は難民たちに小麦粉、テント、医薬品ばかりか、機械読み取り式パスポート(!)まで支給している。おかげで、アフガニスタン国境付近の南ワジリスタン地区の中心地ワナを逃れてきた3千人以上の住民が、再び故郷に戻ったのだ。

5月21日、連立政権の一角を占め、アフガン国境付近の北西辺境州新政府を率いるアワミ国民党(ANP)は、米軍のアフガン侵攻で政権の座を追われたタリバンの残党の拠点スワト地区で、そのタリバンと和平協定を結んでいる。

タリバン側は、外国人武装勢力全員の引き渡しと、テロリスト及び自爆テロ研修センターの解体を約束した。また、官公庁や警察署、軍人、橋梁、道路、女子校を標的にした攻撃は今後手控えると誓った。見返りとして、政府側は、非効率的で汚職にまみれた統治体制の改革に焦点を置くという妥当な要求を呑んだ。

スワトの住民はかつての族長(ワリ)のもとで、簡素で慎ましい家父長的統治に慣れ親しんできた人々だが、パキスタン併合後は統治の非効率と搾取がはびこり、不満が募っていた。新政府のこうした宥和努力に、ワシントン、そしてロンドンも懸念を深めている。米英両政府とも、政策転換とその理由づけに留保を付けているのだ。

ブッシュ政権はパキスタン政府が武装勢力と締結した新たな和平協定に批判的だ。パキスタン政府は、米国との協力で逮捕した「テロリスト」数人を交渉の末に解放する決断も下した。これに対し米政府は容疑が立証されていないにもかかわらず、釈放を妨げたのである。

米政府は、パキスタン当局が北西辺境州の族長らと合意に達すれば、辺境州で政府の権威は弱まり、イスラム武装勢力の力を増大させると懸念しているのだ。和平協定は武装勢力に新たな戦闘を繰り広げる時間とスキを与えてしまうという。

パキスタンの国家機構に、武装勢力メンバーを識別し、とらえる意志や能力があるとは、米国もほとんど信じていない。「武装勢力との対話の必要性を理解する」という表現が一部声明にはあるが、実際には米高官は公私とも、パキスタンのタリバン系司令官バイトゥラー・マスードのような武装勢力との対話には反対だ。6月2日付のヘラルド.トリビューン紙が報じたように、マスード司令官は会見で、堂々とアメリカにイスラム聖戦を宣言し、「米国及びNATO(北大西洋条約機構)軍がアフガニスタンから撤退するまで戦う」と明言している。

挑戦を受けた米政府は、マスードのグループをテロリストに指定する意向だ。今後、米国で大規模なテロ攻撃があるとすれば、その源となるのはパキスタンの部族地域であり、アフガンを拠点とする武装勢力もテロの供給源だとの認識なのだ。

ブッシュ政権は、パキスタンが対テロ戦争に本気なのかどうか懐疑的である。米政府の上層部はパキスタン当局筋の一部にこう通告している。有事の際、米軍はパキスタン政府の許可がなくとも米大統領の承認だけで「(攻撃)価値の高い標的」を攻撃する、と。明らかにパキスタン新政権のテロ政策は(米国にとって)「受け入れ困難」なのだ。

米国はあくまで「掃討」固執

5月末、米シンクタンクのフーバー研究所軍事力予防行使研究チーム「スタンフォード・グループ」(ジョージ.シュルツ元米国務長官主宰)が、日本で開いた会合で、他のほとんどの米国のシンクタンクと同様に、パキスタンの部族地域の武装勢力に対する武力行使の可能性を論じた。こうしたセミナーなどを通じて米国が繰り返しパキスタンに発信しているメッセージはこうだ。

「パキスタン新政権に力がないなら、米国が代わってやろうではないか」

新政権がテロ対策の転換を進める一方で、パキスタン国民の見解も二つに割れている。ひとつは、武装組織に力の行使をしても効果がないので、軍事力をバックにした対話ならうまくいくだろうという見方。地元住民の支持も得られ、部族地域や北西辺境州の主要都市で政府の権限も拡大できるというのである。もうひとつは「良いテロリスト」などいないので、どういう脅威があるかをしっかり見定める必要があるという見方である。政府の優柔不断のせいで支払った代償は大きく、武装勢力幹部を武力制圧しなければならないところまできたとの考え方だ。

ギラーニ政権の方針は、武装勢力を政治に参加させ、テロリストの攻撃を防ぎ、地元住民の支持を勝ち取ることだ。ブッシュ政権は諜報活動で武装勢力の位置を把握し、武力によって武装勢力幹部を「掃討する」方針を継続することだろう。

その白熱した議論の行方は、パキスタンの政策を左右する。

著者プロフィール
ナシーム・ゼヒーラ

ナシーム・ゼヒーラ

ハーバード大学アジアセンター特別研究員

パキスタンの安全保障ストラテジスト。大統領管轄の外交政策・国家安全保障諮問委員会(2000~02年)、国家カシミール委員会の委員を務めた(01~02年)。イスラマバード在住。

   

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