跡取り息子で首相秘書官の「康夫評」が興味深い。曰く「彼の心の奥は僕にも読みきれない……」
2008年4月号 POLITICS
首相官邸5階では毎日、首相執務室と秘書官室の間を、180センチを優に超す長身の男が忙しそうに行き来している。首相・福田康夫の長男、政務担当秘書官の福田達夫(41)である。いずれは、祖父(元首相・福田赳夫、故人)が築き、父・康夫が守った衆院群馬4区の地盤を譲り受け、福田家3代目として政界入りする--。周囲から注がれる目線を全身で感じつつ、達夫は「総理の息子」として、支持率が下がり出した福田政権で何をすべきか、思い巡らす日々が続いている。
跡取り息子の達夫が、なかなか心を開こうとしない「孤高の人・康夫」の支えになっていることは間違いない。「策謀」「欺瞞」「裏切り」といった、どろどろした権力闘争が渦巻く永田町に常々、違和感を抱く康夫にしてみれば、官邸内に達夫以上に信頼の置ける者はないはずである。一方、達夫のほうも、わかりにくい康夫の深層心理を的確に読み取ることが「自らに課せられた重要な役割」と肝に銘じているようだ。
例えばこんなふうである。先の薬害C型肝炎訴訟をめぐる動きのなかで、昨年12月に一律救済で和解が成立する前、康夫が口を滑らせたことがあった。「原告団が満足するような解決策を示したいが、司法の判断も無視できない」。この物言いは原告や野党から批判を浴びただけでなく、与党内からも「冷たい」と不評だった。こうした際の達夫の「康夫評」は興味深い。
「彼(康夫)は理屈が情に勝っているときと、情が理屈に勝つときがある。今は理屈が勝ってしまっている」
こんなこともあった。やはり昨年の12月、宙に浮いた年金記録約5千万件のうち約4割が照合困難になった事態を受けて、野党側が「公約違反」と反発したのに対し、康夫は記者団にこう語った。「公約違反と言うほど大げさなものなのかどうか」
当然ながら、この発言は野党や世論の批判に油を注いだ。達夫はこう呟いた。
「公約と年金は別次元の問題だと言えばいいのに、脇の甘い答え方をしてしまったな」
首相の側近中の側近が、こうしたホンネを漏らすのは「よほどのとき」に限られるはずだが、実の息子である達夫はしばしば首相を客観的に分析しようとする。
福田家をよく知る政界関係者は「あの父子は仕事以外の会話はほとんどしない」という。息子の達夫にしてみれば「同じDNAを持っているから、彼の考えは話さなくとも以心伝心でだいたいわかる」という思いもあろう。「表面的な物腰は柔らかいが本質的には神経質でキレると怖そう」。そんなイメージの康夫ほどではないにせよ、達夫も「性格がまっすぐで、裏表がない。……陰謀を張り巡らせるようなタイプでもない」(参院議員の山本一太のブログから)などと評されている。「不器用な感じ」(山本ブログ)は、福田父子が共有する「強み」であり、「弱み」でもある。
目下、首相秘書官は政務の達夫のほかに事務の4人がいる。財務相から林信光(1980年入省)、外務省から石兼公博、経済産業省から菅原郁郎と、警察庁出身の栗生俊一(いずれも81年入省)だ。「年長の林が秘書官室の仕切り役」(官邸筋)というのは当然だが、そう言い切れない面がある。「総理の跡取り息子」である達夫が政務秘書官として、陣取っているからだ。「アカの他人の秘書官たちには複雑な『康夫脳』の構造は絶対にわからない。それを読み解くのは達夫君以外にあり得ない」(首相に近い国会議員)
達夫の長身は、母・貴代子の実家である「桜内の家系」によるものらしい。貴代子は元衆院議長・桜内義雄(故人)の姪で、衆院議員・太田誠一のいとこに当たる。達夫は慶応大卒業後、米ワシントンDCの有力研究機関であるジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)に留学。帰国後、三菱商事に入社。11年にわたるサラリーマン生活を経て、04年に官房長官となった康夫の「指示」により議員会館にある福田事務所の私設秘書となり、昨年の政権発足に伴い官邸入りした。17年間のサラリーマン生活を経て、父・赳夫の首相秘書官に転じた康夫の歩いた道をほぼ踏襲している。
30年前に赳夫の首相秘書官となった康夫をよく知るベテラン記者は、当時をこう振り返る。
「康夫さんは福田邸に戻ってくると、新聞記者を相手に政治の話より、哲学めいた話を延々としていたな。不思議な雰囲気だった」
当時、達夫はまだ小学生だったが、祖父の秘書官を務める父の姿をどう眺めていたのか。福田家の跡取りゆえ、早くから観察と分析の対象であったとしてもおかしくない。達夫が開陳する康夫論は、時の政局論議より、よほど熱っぽい。曰く。「親父は『独善的』と見られがちだが、意外に人の言うことをよく聞いている」「人付き合いは下手だけど、実は心の芯はかなり温かい」
達夫にしてみれば、康夫の長所、持ち味が、世の中にうまく伝わらないのが悔しくてならないようだ。
たとえば1月15日夕の首相官邸大ホールでの出来事だ。薬害C型肝炎訴訟で国との和解基本合意書に調印した原告ら約100人と面談した福田は、原告らに「行政は皆さんの思いに立っていなかった。代表としてお詫び申し上げたい」と謝罪した。ところが、福田と原告団が心底打ち解けた場面があったのに、それは記者やカメラマンが会場から締め出された後だった。
達夫は「なぜ、カメラがいなくなってからなのか」と臍をかみ、「もっとメディアを意識すべきだ」と康夫に進言したという。が、その思いがどこまで康夫の耳に届いたのか、今なお確信をもてない様子だ。
小泉純一郎時代の政務担当首相秘書官・飯島勲は小泉の意向をすべて汲み取ったうえで、自ら築き上げた霞が関人脈をフル稼働させ、5年5カ月の長期政権へと導いた。一方、安倍晋三政権では首相秘書官・井上義行を筆頭に、官房長官・塩崎恭久、広報担当の首相補佐官・世耕弘成ら側近がバラバラに動いて方向を見失い「官邸崩壊」を招いた。
そして今、政権発足から半年がすぎた福田内閣は年金記録漏れ問題を皮切りに、ギョーザ中毒事件、暫定税率の延長問題、イージス艦衝突事故などに遭遇している。支持率が3割前後で低迷しているのは新たな事態への反射神経の鈍さが響いている。
しかし、政界筋で囁かれる「戦略なき官邸」との評は必ずしも当たっていない。すべての戦略は康夫脳の複雑回路に凝縮されているのだから、唯一の解読者である達夫が心理的プレッシャーを抱くのも無理はない。
「彼の心の奥は僕にも読みきれない部分がたくさんある。特に感情が動いているときほど、それを抑えようとするから……」
達夫の肉声には「総理・康夫」とDNAを共有する跡取り息子の苦悩が滲んでいる。(敬称略)