巣鴨プリズンを通過した影

『続・巣鴨日記』

2008年4月号 連載 [BOOK Review]
by 山本一生(近代史考証家)

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『続・巣鴨日記』

『続・巣鴨日記』(編者:伊藤 隆)

出版社:中央公論新社 税込み2100円

笹川良一の『巣鴨日記』をはじめて読んだときの驚きは、いまでも忘れがたい。有馬頼寧の巣鴨日記を調べていたころだから、7、8年も前のことであろうか。

競馬と競艇、のちに理事長と会長になった二人の日記はあまりにも違っていた。不安と自己嫌悪に苛まれる有馬日記に対して、笹川日記の熱力は圧倒的だった。プリズン当局の不当な扱いに抗議をし、報復まがいのリンチを受けても屈せず、はては日米親善と共産主義の脅威を訴えて大統領に書簡を出すなど、全編が確信と主張に満ちていた。何よりも、記された言葉には力があった。他の巣鴨日記と比べても特異で、読み終えたときには、巷間伝えられている「日本の黒幕」「最後のドン」なる悪評など、何処かへと消え去っていた。

本書には、その後見つかった当時の日記や書簡が収められている。人に歴史があるならば、日記には物語があるが、前書とともに読んでいくと、その萌芽が見えてくる。

例えば昭和21年3月9日の日記には次のように記されている。

「横山勘三郎と云ふ人入室す。新潟俘虜収容所へ約半歳勤務したが、脱走二回の俘虜を死刑する時加藤中尉所長より銃剣を突けと命ぜられたが断り、俘虜が突かれて倒れるのを起した…所長逃げたため人質の如きもので投獄されてゐる」

逃げた「加藤中尉所長」とは、『私は貝になりたい』の加藤哲太郎のことである。加藤については、カナダ人俘虜ケネス・カンボンの『ゲスト オブ ヒロヒト』では、「意地の悪い気質とサディスティックな性癖」とあって、映画やテレビで流布されている人物像とは落差がある。笹川日記では、どちらかというと前者の印象が強い。

加藤は逮捕後、巣鴨から匿名で雑誌に投稿し、再軍備と引き換えの戦犯釈放運動を批判したのに対し、受刑者の慰問をしていた笹川は怒り、執拗に筆者を捜したといわれている。二人の因縁がじつは、すでに敗戦直後に始まっていたことが今回の日記から読みとれる。

書簡集からは多彩な人間関係がうかがえるが、私などは、少年の手による3通の手紙に興味がいく。

「学校ではおいもを作りました。この間いも掘をしてみましたら、皆なだれかに取られてしまひました。早く取るやうな人がなくなればもつと日本がよくなるのにと思ひます」

21年9月の手紙で、「笹川さんの小父さんへ」と結ばれている。励ましを受けた笹川は、「三年生にしてはなかく上手に候へばほめられたく候」と返信する。

少年の名前は薩谷和夫。大林映画の愛好者ならば、尾道の西願寺に眠る美術監督に思いを馳せるだろう。名前も珍しく、年齢も同じなので、本人である可能性は高い。笹川の家に家族で寄留していたようだが、それからいかにして尾道3部作の美術を担当するまでに至ったのかを考えると、茫々たる思いにとらわれる。

本シリーズは全3巻で、第2巻には巣鴨の受刑者への慰問や慰霊、家族への救援に対する礼状などが、第3巻にはアメリカ側の作成した文書や笹川が提出した文書が収められていて、年末までには刊行されるという。物語の予感に満ちたシリーズになりそうである。

   

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