「A級戦犯合祀」の真相突く決定版

『靖国戦後秘史 A級戦犯を合祀した男』

2007年9月号 連載 [BOOK Review]
by 石

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 『靖国戦後秘史 A級戦犯を合祀した男』

『靖国戦後秘史 A級戦犯を合祀した男』(毎日新聞「靖国」取材班)

出版社:毎日新聞社/1500円+税

昭和30年代初めのヒット曲に、島倉千代子の「東京だョおっ母さん」がある。上京した母親を連れて二重橋、靖国神社(九段坂)、浅草を巡る内容だが、一昨年暮れ、懐メロのふる里を訪ねる企画で、はとバスに乗って3カ所を巡回した。

小泉前首相の靖国参拝が外交問題に発展していた時期で、靖国神社ではガイド嬢は「250万柱が祀られています」と説明しただけ。聞くと「いろいろなお客様がいらっしゃいますから、敢えて説明しないのです」との答えだった。島倉がテレビなどで歌う場合にも、時間がないという理由で、九段坂を歌う2番はカットされることが多かったという。

そんな政治的配慮も影響して、一般に靖国神社の話題は敬して遠ざけられ、語られることが少なかった。従って首相の参拝がなぜこれほど紛糾を巻き起こすのか、問題の所在を正確に知る人は極めて少ない。

昨年8月の毎日新聞連載記事を元にした本書は、「国家や歴史、宗教、民族、死生観などが複雑に重なり合っているはずの『靖国問題』を、首相参拝は是か非かという問題に『デジタル化』したのは小泉首相だが、そうさせたのは『私』たちだ」「靖国問題は『私』たちに『国家と死』という長く鋭い問いを突きつけている」という視点で、問題点を洗い出している。

3部構成のうち2部を、戦後の靖国神社の宮司2人に当てている。富田朝彦・元宮内庁長官のメモで、昭和天皇が「松平は親の心子知らずと思っている」と不快感を示したという「A級戦犯を合祀した宮司」松平永芳氏と、「筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」という「A級戦犯を合祀しなかった宮司」筑波藤麿氏である。

2人の対応を詳細に跡づけることで、戦後GHQの民主化要請に対し、娯楽化路線まで提案して神社の存続を果たした筑波宮司時代、昭和53年の就任直後にA級戦犯合祀をはじめ皇国史観に基づく靖国の戦前回帰路線を推し進めた松平宮司時代以降が、明瞭に対比させられる。

不勉強と言われればそれまでだが、最も驚いたのは靖国神社についてほとんど何も知らなかったと、改めて痛感させられたことである。筑波、松平両宮司の個性や靖国の特殊性はもとより、A級戦犯も含め靖国の246万柱の祭神は一座としながら、それ以外に皇族の北白川宮能久親王、永久王が別格官弊社であった靖国に合祀されていること、卑近な例では戦後、はとバスツアーのコースに組み込まれたのも、神社の生き残り策だったという意外なエピソード。

小泉首相時代、外交問題として注目された靖国問題は、安倍首相に代わって「参拝したともしなかったとも言うつもりはない」と棚上げされ、参院選の自民党惨敗で暫くは政治的課題としては避けられそうだ。だが戦後62年、戦後生まれが定年を迎える時代になって、靖国神社を支える遺族会は高齢化甚だしく、行方の定まらぬ靖国のあり方に対する不安やいらだちは募る一方だろう。

戦前戦後を通じて靖国神社は時の政治情勢に翻弄され続けてきた。最も身近な太平洋戦争の記憶すら風化してしまった現在、靖国もまた風化の彼方に置き捨ててよいものか。著者は「『靖国的矛盾』とは、戦後日本が自らの戦争責任追及という問いを封印してきたツケでもある」と締めくくっている。その意味でも、時宜にかなった意欲作である。

   

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