最大の敗因は「美しい国」

2007年9月号 連載 [硯の海 当世「言の葉」考 第17回]
by 田勢康弘(政治コラムニスト)

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参院選直前、テレビの生番組で2回、安倍晋三首相と一緒になった。首相は秘書官らスタッフ20人ほどとともに予定時間より30分ほど前にスタジオに入る。専門家が念入りに顔のマッサージをし、スタイリストが選び抜いたスーツ、ネクタイ姿で本番にのぞむ。ほとんど笑顔はなく、緊張しきっている。劣勢の選挙情勢も、自分がテレビを通じて直接有権者に訴えれば、必ず理解してくれるはずだ、と信じているようだった。キャスターの言葉をときにさえぎって早口でまくし立てる。

「しっかり」と「私の内閣では」という言葉を連発する。「いいですか、これからお話しすることはとても大事なことですから、最後まで聞いてくださいよ」と前置きして話す。どう考えてもそれほど大事な話とも思えない言葉が続く。ただ一方的にキャスターに圧されているという印象を消すためのようにも見える。

ときどき反対の左側にすわる筆者のほうを向く。自信を失いかけている国家指導者の何ともいえない表情を直視することになる。「安倍政権はそれなりの成果を上げているとは思うが、国民がいま政治に求めていることとの間に、開きがありすぎるのだと思う」とそう発言したら、番組が終わった瞬間、「成果についてふれていただいてありがとうございました」と一礼した。

なぜ、自分の言葉が理解されないのか理解できない。こんなはずではなかった。だれのせいでこのようなことになったのか。何を間違えたというのか。おそらく安倍首相はそういう思いでいるのだろう。年金問題は自分の内閣で起こった問題ではないし、閣僚の失言や事務所経費問題だって、任命責任はあるかもしれないが、そんなこと事前に調べることは無理だ。

自分には「美しい国」を創るという使命がある。公務員制度改革などやりとげなければならない重要な改革がある。何よりも憲法改正を実現するためにもこの選挙に負けるわけにはいかなかったのだ。負けたのは事実としても辞めるわけにはいかない。自分を引きずり降ろしてまた、時計の針を元に戻そうというのか。古い自民党に還ろうというのか。おそらく安倍首相は敗北からかなり時間が過ぎたいまでも、組閣名簿のメモを前に煮えたぎるような思いでいることだろう。

参院選投票日の翌日の7月30日、安倍首相は記者会見し「批判は承知している。結果が大変厳しいことも認識している。しかし、ここで逃げてはならない。大変厳しい状況でも、政治の空白は許されないと決断した」と続投を宣言した。この記者会見はなかなか面白い。なるほど、こういう言い逃れがあるのか、と勉強になる。社長を守ろうとして結局は会社そのものをつぶしてしまう不祥事を起こす企業は参考にするといい。

危機に直面して安倍首相の対応はたしかに未熟さだけが印象に残ってしまうような稚拙なものであった。まず「問題ない」とかばう。そのうち問題が広がり、収拾がつかなくなると、陰で引導を渡す。その典型が赤城徳彦前農水相の事務所経費問題だ。テレビがアップで映す赤城農水相の表情から、多くの国民はうそ臭さを感じていた。見たこともないような歴史ある豪邸。そこを後援会の事務所に使用していたという弁明を実の母親が否定する。

最初の母親の説明を嘘だと考える人はほとんどいないだろう。母親の発言を勘違い扱いしてのその後の釈明は、行えば行うほど疑念をかきたてるものだった。驚くほどの童顔のこの政治家は、内容もまた空疎にすぎた。このような瑣末なことで閣僚を首になり、汚名はいつまでも残る。ホープの一人とまでいわれたこの政治家が、華々しく活躍するときがくることはもうないだろう。

世の中では自民党惨敗の主たる原因は、年金問題や閣僚の言動にある

とみている。そのことを否定するものではないが、本質的には「安倍晋三」という政治家の指導者としての資質にあるように思う。

「国のために死ぬことを宿命づけられた特攻隊の若者たちは、敵艦にむかって何を思い、なんといって、散っていったのだろうか。死を目前にした瞬間、愛しい人のことを想いつつも、日本という国の悠久の歴史が続くことを願ったのである」(『美しい国へ』)と三島由紀夫のような考えの持ち主が国家運営の責任者になることへの疑問を投げかけたのではないか。

さほど深く意味を考えずに「美しい国」という言葉を使っているのかもしれないが、そうだとすればその軽さに失望せざるを得ない。「脱・戦後レジーム」という言葉には同盟国アメリカが疑問を呈している。これは日米同盟の解消を意味するのか、それとも祖父岸信介ばりの国家主義をめざしているのか、と。そのどちらでもないというならば、レジームなどというべきではない。

自慢めくがこの参院選の結果を筆者はほぼ予測できた。投票日の20日前のテレビで「自民39(結果は37)民主56(同60)」とプラスマイナスをつけずに予測した。あてた、というよりもあたるだろうという確信に近い何かがあった。それはさまざまな選挙へのマイナス材料もさることながら、指導者への疑問が噴出してくるのではないかと感じていたからである。

指導者としての資質への疑念は、敗北の受け止め方で図らずも証明された。自分自身が敗因の真ん中にいるという認識が全くないことである。いかなる結果になってもやめないと開票前から決めていたという。いくら参院選が「首相選択」の選挙でないとはいえ、それでは「民意」とはいったい何なのか。その傲慢さが、資質に欠ける部分なのである。

権力の座にしがみつく印象を持たれた政治家が、逆境から這い出してよみがえることはほとんどない。35年、日本の政治を見続けてきて得た筆者の一つの教訓である。このまま続投するにしてもなぜそう決意したのかを説明する必要がある。まだまだやるべきことがある、というのは辞職せずに会社をつぶしてしまった社長がよく使う理屈だ。首相は、ひたすら政権衰弱の道を急いでいるようにしか見えない。人事で挽回するにしても、魂胆が見えているので、民主党で年金問題を追及した長妻昭議員を厚生労働相に抜てきするような驚天動地の人事でもなければ効果はあるまい。

著者プロフィール
田勢康弘

田勢康弘(たせ・やすひろ)

政治コラムニスト

早稲田大学卒。日本経済新聞社ワシントン支局長、編集委員、論説副主幹、コラムニストなどを歴任し、2006年3月末に同社を退社。4月から早稲田大学大学院公共経営研究科教授、日本経済新聞客員コラムニスト。

   

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