デジタルラジオでこけたFM東京

主導権を握ろうと欲張ったあげく、空き帯域のアテが外れて上場もパー。

2006年11月号 BUSINESS

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「マルチプレックスジャパン(MPXJ)発起人会が解散」――。

 これを聞いて、ピンと来る人はかなりの放送業界通と言っていい。9月中旬、一般の新聞などはこのニュースを“翻訳”して「デジタルラジオ本放送開始、2011年以降に延期」と報じた。極端な例になると「デジタルラジオ無期限延期」「白紙」とまで書いたところもある。

 結論から言えば、この表現は的はずれではない。06年度内に本放送が開始され、08年には全国主要都市へ展開、受信機発売も間近、と明るい状況にあったはずなのに、一瞬にして暗転したからだ。

 地上デジタル音声放送――通称「デジタルラジオ」は、CD並みの高音質やデータ放送などの文字情報、静止画・簡易動画など従来のラジオ放送にない新たなサービスを実現する。「ラジオ」と言ってもデータや画像も放送できるのがミソである。

 将来の事業化をめざし、03年10月から東京・大阪の2地域限定で実用化試験放送を開始した期待の星がなぜここにきて転げ落ちてしまったのか。業界の反応を探ってみると、「暗転したのはエフエム東京のみ」という冷ややかな見方が出ている。

亀ちゃんコメントは他人事

 事実、9月25日にデジタルラジオ実用化試験放送の免許主体、社団法人デジタルラジオ推進協会(DRP)が亀渕昭信(ニッポン放送前社長)理事長名で出したコメントは、デジタルラジオ頓挫騒動を受けたはずなのに、「悲壮感」とは無縁の他人事のような調子である。

「本年末から来年にかけて受信機の発売が期待される中、より充実したサービスを目指し、様々な取り組みを行っております」で始まり、その後も淡々と取り組みについて紹介。「今後とも十分な理解とご支援を賜りますようお願い申し上げます」と結んでいる。本放送のスケジュールに関することはおろか、MPXJ発起人会解散にすら触れていない。

 一方、29日に東京のTOKYO FMホールで「デジタルラジオ・ニュービジネス・フォーラム第2回情報交換部会」が開かれたが、そこでのエフエム東京デジタルラジオ事業推進室・藤勝之次長の説明は、十分悲痛なものだった。「当初(05年以前)の計画に戻るだけ」「MPXJ発起人会は解散しても、DRPでできる限りのことをする」などと「苦しい言い訳」に終始したのだ。

 何が起きたのか。当初、本放送は「早くとも2011年以降」とされてきたデジタルラジオが大きく動き出したのは、04年にスタートした総務省の「デジタル時代のラジオ放送の将来像に関する懇談会」(ラジ懇)からである。05年7月に公表された同会報告書では、

 ・06年度中の本放送開始

 ・08年に全国主要都市全国展開

 ・全国をサービスエリアとする事
 業会社設立

などが盛り込まれた。その前提は、アナログ放送停波後に空き帯域となるVHF周波数帯域(東京3~12チャンネル帯など)を譲り受けることだ。

 それを受けて設立が見込まれていたのがMPXJ。主な出資企業は、エフエム東京、TBS R&C、文化放送、ニッポン放送、J−WAVEの関東ラジオ5社で、リーダー格は当初資本金100億円のうち24%程度を負担したエフエム東京である。発起人会代表も、同社の後藤亘代表取締役会長が務める。

 エフエム東京は最初からデジタルラジオをリードしようと、他社が鼻白むほど前のめりだった。実用化試験放送開始時、ニッポン放送などとともに「大容量帯域の利用」を主張し、3セグメント分の帯域を確保する。文字・静止画・簡易動画といった「デジタルラジオならでは」の技術を駆使し、試験放送用とは思えない高コストなコンテンツを次々と投入していく。

「ラジ懇」報告書公表直前の05年6月には、将来のビジネスモデルや受信機普及を目的とする「デジタルラジオ・ニュービジネス・フォーラム」を設立。活動内容はDRPとの違いを探すほうが難しく、MPXJでも「他の4社がついてこないならエフエム東京単独でもいい」といよいよ“唯我独尊”になった。

 そこでドンデン返しが起きる。ハシゴを外したのはデジタルラジオにお墨付きを与えたはずの総務省だった。06年度本放送開始の「絶対条件」であり、当初からの規定路線と見られていた「11年以降のVHF空き帯域」の譲渡が怪しくなったのだ。

「金の卵」に我も我も

 総務省が空き帯域の譲渡先について打診したところ、公共事業用ブロードバンド(BB)無線、ITS(高度道路交通システム)関連システム、モバイルWiMAXなど150件近い電波割り当ての要望が寄せられ、デジタルラジオ放送に優先的に割り当てるわけにいかなくなった。

 そこで、総務省は来年6月の情報通信審議会の情報通信技術分科会「VHF/UHF帯一部答申」をもって正式決定とする方針を打ち出す。これはデジタルラジオ本放送開始の「担保」が白紙化されたにひとしい。その影響は大きく、MPXJ発起人会解散へとつながったのだ。

 しかもエフエム東京は、検討していた株式上場も水泡に帰した。8月23日の読売新聞インタビューで、冨木田道臣社長は「上場も一つの選択肢。いつでもできるように動いている」と、デジタルラジオ本格放送に投じる資金調達を上場で賄う姿勢をにじませたがMPXJ発起人会の解散でその夢は無残に断たれた。「事業化が白紙となった状況で出資を募ることはできない」とエフエム東京は理由を説明するが、3月の情通技分科会開始時にはすでにこの情報を得ていただろうから、約半年交渉を続けたうえでの結論と考えていい。

 総務省が「踊らせた」のか、エフエム東京が「踊った」のか――。「ラジ懇」と「情通審」の重さは比べるまでもなく、「懇談会はあくまでも懇談会」と総務省地上放送課も冷たい。一方のエフエム東京も自業自得である。4月の1セグ開始と同時に地歩を固めてしまえばよかったのに、3セグにこだわって時間をかけすぎ、独走の果てに金の卵を失ったのだ。

 今回の騒動、一番の被害者(?)は、実はKDDIだった。本放送開始を見越して、06年度内の受信端末発売を決めてしまっていたからだ。放送エリアは東京・大阪のみ、しかも実用化試験放送扱いという状況に困惑を隠せず、「話題を呼んで(別の地域から)東京、大阪まで聴きに来るリスナーが登場することに期待したい」などと無茶な想定にトホホの内情が透けて見える。

 3セグ放送の実施、別団体の設立、MPXJの主導権確保と、一心不乱にデジタルラジオに突っ走ってきたエフエム東京。03年以来、パートナーとして3セググループ運営に協力してきたニッポン放送のグループ脱退が決まり、本格的に孤立してしまった今、何ができるのか。

 覆水、盆に返らず――。

   

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