2006年2月号 BUSINESS
2006年1月16日、ライブドアに東京地検特捜部の強制捜索が入った瞬間、あれほど大騒ぎしてきた「通信と放送の融合」の夢はいっぺんに色あせたかに見える。いやいやながらライブドアと資本提携していたフジテレビは、チャンス到来とばかりにさっさと取締役を引き揚げ、日枝久会長は勝ち誇った顔を見せた。
前年の05年という年は、放送業界から見れば心中穏やかならざる年だった。ニッポン放送株買収を通じてフジテレビに挑んだライブドアに続き、TBS買収が頓挫した楽天など、ネット企業が既存の放送メディアを飲み込もうとした騒動が立て続けに起きた。
そこでは熱に浮かされたように「通信と放送の融合」が唱えられた。メディアのデジタル化が進行し、伝送路などによる事業主体や制度の区分けが意味を成さなくなったために表面化した問題である。地上波デジタル放送への移行が迫るなか、旗振り役の海老沢NHK会長が辞任するなど、放送業界が激動期に入ろうとしているのは確かだった。
ホリエモンの「錬金術」が検察によって暴かれても、その激動が雲散霧消したわけではない。放送、通信、コンテンツといった業界を巻き込み、これからのメディアを語る上で避けて通れない分岐点は、実は派手な「資本の戦場」とは別のところにあった。05年7月29日のことである。通信と放送の融合が加速するか、と思わせる決定があったのだ。
この日、総務省の諮問機関である情報通信審議会が2011年7月のアナログ放送停止までに、地上デジタル放送を確実に全国に広げることを目的として、光ファイバーに代表されるIP(インターネット・プロトコル)インフラを使った放送も認める答申を条件付きながらまとめたのだ。「地上波テレビは電波で流すもの」と決まっていた領域に初めて通信回線=ネットという伝送路の選択肢が加わった瞬間であった。
が、この答申には、県単位が原則の放送制度を守るために放送対象地域内でしか視聴できないような仕組みを導入するべしという「運用面の条件」が付けられている。
なんという馬鹿な話か。インフラさえ整備されていれば、距離や地域を超越した存在であるはずのネットに地域を限定する方策を盛り込もうというのだから。その分コストもかかる。放送関係者の頭の中は、このインターネット大航海時代にあって、未だに鎖国状態にあるようだ。それにしても、放送関係者が金科玉条とする県単位の原則とは、いったいなんであろうか。
実は、この制度を無視すると地方放送局(地方局)のビジネスモデルが崩壊する可能性がある(NHKは別)。現在の地上波系地方局は、在京キー局を中心にした系列ネットワークに組み込まれている。資金力もあり、番組の制作能力もある在京キー局が制作した番組を配信してもらい、そこに自社で獲得したスポンサー(主に地元)のCMをつけて県域内の視聴者に放送するという図式だ。これが地方局の経営を支える基盤となっている。
そのため一部の例外を除いて、放送の電波も域内でしか視聴できないように調整されている。もし、これが光ファイバー経由で地方でも在京キー局の番組が視聴できてしまうとどうなるだろうか。地方局の経営基盤を脅かし、さらに言うなら存在意義そのものがなくなってしまう。これは地方放送局だけでなくCATV局でも事情は同じ。これが、放送業界が県単位の原則を死守したい最大の理由だ。
だが、その一方で、地方局は域内情報を視聴者に提供する使命も帯びている。地方局の自主制作番組が朝夕の情報番組やローカルニュースで占められているのはこのためだ。また、事故、災害、事件などが起きた際、地方局が取材、制作した情報が系列の在京キー局を通じて全国に流される場合もある。これら地方局の活動を支えているのが、在京キー局から卸される番組コンテンツというわけだ。
だが、IP放送による地上デジタルの再送信に難色を示す放送関係者にとって、少々旗色の悪い状況になってきたようだ。というのも、06年2月2日、政府の知的財産戦略本部が、IP放送を推進する姿勢を打ち出し、その手始めとして著作権法の抜本改正を提言したからだ。
実は、05年の7月に情報通信審議会が出した答申では、IP放送を実現するための条件として、前述の「県単位の原則」以外にも「著作権法上の位置づけの明確化」が盛り込まれていた。
つまり、知的財産戦略本部の提言により、IP放送の実現を阻む2つの大きな原因のうちの1つが解決の方向に転がりはじめたことになる。政府は、著作権法の抜本改正という必殺ワザを繰り出してまで、IP放送の開始に意欲を燃やしているだけに、これが突破口になり、次は、「県単位の原則」という外堀を埋めにかかる可能性も否定できない。
地方局の反発が目に見えるようなシナリオだが、長らく護送船団方式で延命措置を受けてきた彼らからすると、これが千載一遇のビジネスチャンスになるという発想は浮かばないらしい。地域を限定しないIP放送が可能になるということは、地方局が制作した番組を全国で見ることができるということでもある。県域で封じ込められていた地方局のビジネスを、全国へ広げる好機ではないか。
過去、地方局が自主制作した番組が全国的に話題になる事例がたびたびあった。例えば最近でいうと、テレビ朝日系列の北海道テレビが制作した「水曜どうでしょう」というバラエティー番組がそうだ。1996年から2002年まで北海道のローカル番組として放送されたこのコンテンツは、放送が終了した後になって、口コミ、ファンの個人サイト、ネットのビデオ・オン・デマンドサービスなどで話題となり、現在では全国32の放送局で再放送され、コンビニではDVDも売られている。この例は、地方にも才能や能力を持った人間がいることを示している。
ただ、県単位の制度が崩壊して「ビジネスの効率だけを考える局ばかりになると、地方から放送局がなくなってしまう。一種のユニバーサルサービスとして機能している今の制度の存続は必要だ」という反論もあろう。だが、そうなったからと言って地方から放送局がなくなるだろうか。
確かに今の経営規模の放送局の存続は難しいかもしれないが、地域の需要と運営コストに見合った適切な規模の放送局であれば存続は十分に可能であろう。前述の「水曜どうでしょう」などは驚くほどの低予算で作られている。予算が少なくても、知恵と工夫次第で優れたコンテンツを生み出すことが可能なのだ。
「そのような小さな規模の放送局では放送設備への投資に耐えられない」というのであれば、「ブロードバンド回線、次世代無線LAN技術、衛星放送といった、使えるものはフルに使いなさい」と言いたい。地上波にこだわるから設備投資にお金がかかるのであって、デジタル技術がこれだけ発達した現在、伝送路に固執する必要はまったくない。
「小さな局では、放送内容の信憑性や信頼性が問題になる」という反論も聞こえてきそうだ。だが、それは現在の放送制度に寄りかかったマスメディアの中で生きる人間の奢りではないか。ネット上の無料掲示板ではあるまいし、信頼性に欠ける情報が野放図に流されることなど考えられない。仮にそのような放送局があれば淘汰されるのは火を見るより明らかだし、それほど心配なら第三者的な諮問機関を作り内容の審査を行えばいい。そう、現在の放送局が行っているように。
護送船団方式で保護されてきた放送業界だけに、自由でオープンな文化で培われてきたネットというメディアと、そうそう簡単に融合することは難しいのはわかる。だが、50年前に作られた旧態依然としたビジネスモデルにしがみついていて明るい明日がやってくるのだろうか。