関経連「ポスト秋山」はダイキン井上か大丸奥田か――リーダー不在に悩む「夕暮れ」大阪経済界

2006年2月号 BUSINESS

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「大阪は民の街で、東京は官の街」という言葉をよく聞く。霞が関や永田町がある東京は、政治の中心都市であり、それに対し、難波(なにわ)は官とは一線を引く民間が自由に活動している都市といったイメージから語られる言葉だ。しかし、実態は全く違う。

 大阪市ほど官依存の都市はない。大阪市と大阪府は、競い合うかのように、あらゆる経済補助金政策を繰り広げている。総務省(旧自治省)から天下りを受け入れたことがないことが「自慢」の大阪市の職員は、課長クラスともなれば、「すべての政策は俺が動かしている」と言ってはばからない。

財政は破綻寸前なのに、大阪市職員の給与水準を示すラスパイラル指数は政令指定都市では川崎市に次いで2位。関淳一市長が改革を進めようとしているとはいえ、「公費天国」に変わりはない。ベンチャー支援などの新産業育成政策でも、小役人が幅を利かせている。

 その象徴的な2つの建物が、大阪市の中心部、本町に寄り添うように建っている。大阪府の外郭団体である大阪産業振興機構が運営する「マイドームおおさか」と大阪市の外郭団体・財団法人大阪都市型産業振興センター運営の「大阪産業創造館」だ。そこでは、同じような中小企業やベンチャー企業の支援が行われている。公金を使って、府と市が競うように産業振興策を展開する場だ。同時に公務員の天下り先でもある。不効率さは極まりない。

「役人天国」に成り下がった大阪からは、企業も逃げている。名実ともに世界一の自動車メーカーになろうとしているトヨタ自動車とその関連業種の好況を謳歌する愛知の工業製品出荷額を比べると、大阪は愛知の半分以下の15兆円程度しかない。近畿2府4県と、東海3県の比較では、2001年に東海3県に逆転された。鼻息荒い「中京経済圏」の前で影が薄くなる一方の「近畿経済圏」の現状に危機を募らせるリーダーは少ない。

「役人天国」に苦言を呈するコワモテの財界人もいない。大阪の経済界はリーダー不在の状態で、次世代のリーダーも当面現れそうにない。関西経済連合会の秋山喜久会長(関西電力会長)は2005年5月に3期目(1期2年)に入ったが、毎月定例の記者会見で経済情勢分析を30分ほど読み上げるだけで「西の財界総理」の存在感はない。

 過去2期の実績といえば、関西空港拡張の一点張りで予算獲得に動いた程度。規制に守られた公益企業出身だけに「あっと言わせるような仕掛けワザが全くない」(地元記者)と言われる。関電は04年に火力発電所での検査データ捏造、福井県・美浜原発での死亡事故と、マネジメントに起因する大不祥事を立て続けに起こしたこともあって、財界リーダーとしての求心力がなかなか働かないのだ。

関西経済連合会の歴代会長(肩書きは就任時)
初代関 桂三・東洋紡績相談役(1946年10月―47年2月)
2代飯島幡司・朝日新聞顧問(47年2月―47年9月)
3代中橋武一・大阪建物社長(47年9月―51年10月)
4代関 桂三・東洋紡績会長(51年10月―56年11月)
5代太田垣士郎・関西電力社長(56年11月―61年10月)
6代阿部孝次郎・東洋紡績会長(61年10月―66年11月)
7代芦原義重・関西電力社長(66年11月―77年5月)
8代日向方齋・住友金属工業会長(77年5月―87年5月)
9代宇野 収・東洋紡績会長(87年5月―94年5月)
10代川上哲郎・住友電気工業会長(94年5月―97年5月)
11代新宮康男・住友金属工業会長(97年5月―99年5月)
12代秋山喜久・関西電力社長(99年5月―現在)

 秋山氏は来年6月に「関電会長を退任する」と宣言している。ただ、3期目の任期が1年残っているだけに「関電会長を辞めても、相談役か名誉会長の肩書きを残し、関経連の会長は続投したがっている」(地元経済部記者)という見方が支配的だ。関西財界の地盤沈下はますます進みそうだが、秋山氏に代わる後任も有力候補がいない。

 現関経連副会長のダイキン工業の井上礼之会長を後継者にという声もあるが、「企業としての格が果てして適切か」(関係者)という指摘もある。ダイキン工業は11期連続の増収増益で企業として勢いはあるが、関西の名門、住友金属工業の子会社というかつてのイメージがぬぐえないのだ。

 井上会長自身も9月の記者懇談会で「何度も断っている」と語り、表面的には固辞の構えだ。ダイキン側にも事情があり、海外戦略を加速している中、井上氏の後継者と見られた北井啓之社長が2年前に病気で退任し、「後任の岡野幸義社長が社長としては頼りないため、井上氏が社業全般も見ており、財界どころではない」(地元関係者)とする見方もある。

 松下電器産業の森下洋一会長も関経連副会長だが、森下会長はすでに、日本経団連のナンバー2である評議会議長の役職にあり、格下の関経連会長ポストは受けないだろう、と見られている。関電と並ぶ関西財界御三家の住友金属工業や東洋紡も、かつての勢いがないのは周知の事実だ。頼みの公益企業のJR西日本も、107人が死亡した福知山線脱線事故の後遺症で財界活動どころではない。

 経営者としての実績、言動などから、「ポスト秋山」を敢えて挙げれば、現関経連副会長の奥田務・大丸会長だろう。大丸で海外勤務の経験もあり、関西経済同友会の代表幹事時代、自分の頭で考えた発言をしていた。実兄は、日本経団連会長の奥田碩・トヨタ自動車会長だ。ただ、財界では、流通産業は一ランク下に見られる傾向があるため、不利だが、井上氏が断固固辞すれば、奥田・大丸会長は有力候補に浮上するだろう。

 なり手がいない財界団体に存在意義はあるのか。日本経団連の奥田碩会長はかねてから、「関西には財界が多すぎる」と指摘、関西財界のあり方に疑問を投げてきた。昨年6月、奥田氏が大阪で記者会見した際、「秋山会長は早く辞めるべきだが、代わる人材と企業がいるかどうかだ」と語り、地元では反発を買った。

 関経連も存在意義を示すため、ベンチャーから成長した引越しのアートコーポレーションの寺田千代乃社長を女性で初めて副会長に起用するなど、アピールに懸命だが、「秋山会長が仮に3期目を任期通り全うしても、次の会長職にはなり手がいない」のが現状だ。

関西経済連合会 会長と副会長
会長秋山喜久・関西電力会長
副会長森下洋一・松下電器産業会長
立石義雄・オムロン会長
武田國男・武田薬品工業会長
宇野郁夫・日本生命保険会長
井上礼之・ダイキン工業会長
下妻 博・住友金属工業会長
津村準二・東洋紡績会長
水越浩士・神戸製鋼所会長
奥田 務・大丸会長
寺田千代乃・アートコーポレーション社長

 人材不足は関経連だけではない。関西経済同友会も代表幹事(2人)の適任者がなかなか見つからない。代表幹事に内定していたJR西日本の垣内剛社長は、列車脱線事故によって多数の死傷者を出した不祥事を理由に、内定を辞退した。代わりに、NTT西日本の森下俊三社長を選んだ。ここでも公益企業頼みだ。代表幹事は常任幹事から選ばれるが、森下氏は常任幹事に就いておらず、「常任幹事以外から代表幹事を選んだのは30数年ぶり」(関係者)と言われ、人材難を象徴するデータと言えよう。

 2005年12月には、松下正幸代表幹事(松下電器副会長)の後任が内定するはずが、人材難から後継選びに手間取り、例年よりほぼ1ヶ月遅れの1月12日、次期代表幹事に「がんこ寿司」で知られる「がんこフードサービス」の小嶋淳司会長(70)を内定。16人の常任幹事の中では最長老であり、70代が代表幹事に選ばれたのは過去に1例しかないという。

 売上げ規模が200億円を超える外食チェーンとはいえ、外食産業から財界トップが選ばれたのは関西では初めて。「最初は、サントリーに話をもっていったようですが、固辞したので苦肉の策で選んだ。小嶋氏自身も当初は、規模が大きな会社の方がいいのではないか、と難色を示していたようです」(地元記者)

 大阪商工会議所も、会頭を野村昭雄・大阪ガス会長が務め、ここでも公益企業が財界を担っている。井植敏・副会頭(三洋電機取締役会議長)は会頭候補だったが、三洋電機の業績悪化と社内の混乱で財界活動どころではない。

 大阪は、役人が社会を牛耳り、馴れ合い社会だ。大阪市改革委員会のメンバーに外部学識経験者として参加している上山信一氏の肩書きは慶応大学教授が多く用いられるが、2003年から大阪市立大学創造都市研究科教授を兼任している。そこでは自治体の職員に主に行政改革論を教えている。

 学問の自由が保障されていても、大阪市から給与をもらっている学者が外部有識者といえようか。それをおかしいと指摘する財界のご意見番もいない。耳の痛い意見を言い、自治体から嫌われることを恐れるのは、「勲章が欲しいからだろうか」と勘ぐりたくなる。

 役人の規制と馴れ合いの土地柄では、新しい活動はしづらい。新しく入ってくる企業もない。関西発のベンチャー企業でも、成功し始めると、東京に出て行く。財界銘柄の老舗企業も、表面的には関西を盛り上げることを装いながら、住友グループなどは本社を東京に移転させている。

 一方で、関経連や同友会、大商では会員企業・組織の減少に悩む。会員の範囲を拡大し、大学や弁護士事務所にも声をかけ始めた。しかし、これが抜本的な対策になるとは思えない。かくして関西はリーダーなきまま沈没が続く。

   

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