2006年2月号 BUSINESS
「どうも誤解しておられる方が多いようだが、クレジットカード業界はもうとっくに飽和している。なのに、よりによって横綱みたいな会社がまた新たに入ってくるようだが、そうした会社のトップは本当にカードビジネスを理解しているのかね」
大手信販会社の事業部長は9月某日、都内で行われたカードビジネスセミナーに登壇、冒頭からこんな発言をした。会場に居並ぶカード業界関係者が拍手を送る。事業部長が思いっきり揶揄した「横綱みたいな会社」とはどこか。
ほかならぬ携帯電話のガリバー、NTTドコモである。
「Anywhere in Life/生活のあらゆるシーンへ」――ドコモが2004年6月から採用したキャッチフレーズは、ダテや酔狂ではない。携帯電話を単なる電話やメール、iモードの情報配信のような用途のみならず、文字通り「生活必需品」にしてしまうことはドコモにとって社是なのだ。
その尖兵としてドコモが投入したのが「おサイフケータイ」だ。軽くケータイをタッチするだけで通信できる「非接触ICカード」を搭載し、電子マネー、交通定期、各種チケットからクレジットカードまで、日常のあらゆる決済や認証の役割を携帯電話で行わせようというもの。今や中学生でも5割弱、高校生なら9割以上もが持つ「ケータイ」を社会インフラにしてしまえというその意気やよし。ただ、それは携帯電話会社がそれらのサービスを運ぶ「土管」に徹していればの話だ。
そんな甘いことをドコモが考えているはずがない。2006年度初頭をめどに「ケータイクレジット」の名称でカードビジネスに参入、新ルールを持ち込むことでカード業界の支配をも目論んでいる。片手間のサイドビジネスなどではない。加入者には携帯電話のみならずプラスチックのカードまでも発行するという、堂々たる「本格参戦」なのだ。
今やクレジットカードの国内発行枚数は約2億6千万枚。20歳以上の人口で割ると1人2.6枚のカード保有枚数となる。競争の激化で「年会費無料」をうたうカードが増える一方、安価に製造できる従来の磁気カードは容易に変造できてしまうためスキミング被害の横行を招き、よりセキュリティの高いICカードへの切り替えが強く叫ばれている。
しかし、磁気カードなら100円もしないカード原価もICカードでは300~400円にもなる上、加盟店側のICカード対応端末への切り替えも莫大なコストがかかるため、ICカード化は遅々として進んでいない。
加えて近年カード会社が神経を尖らすのは「いかに自社のカードをメインカードにしてもらえるか」という問題だ。いくら新規カードを乱発しても、実際に使ってもらえなければコスト高なICカードの発行や明細の郵送コストだけで赤字になりかねない。
2006年度からの後発参入となるドコモの「ケータイクレジット」は、こうしたカードビジネス業界に、携帯電話のシェア5割強という強みをバックに、いくつもの新しいルールを持ち込もうとしている。ざっと列挙しただけで「携帯電話とICカードどちらでも利用できる」「決済端末の大盤振る舞い」「小額決済分野の開拓」などに加えて「自社携帯電話ユーザーへの優遇策」というおまけまで付くものだ。
ライバルであるau(KDDI)もボーダフォンも「おサイフケータイ」を投入した今、携帯電話へのICカード搭載は、ドコモの目論見通り着々と進んでいる。ドコモ一社でも今年度末の目標1千万台は軽々とクリアする見込みで、全体では2008年までに携帯電話全体の半数の4千万台程度がおサイフケータイになると見られている。いつでも持ち歩く携帯電話なだけに、今後のクレジットカードは「携帯電話でも使えます」を謳い文句なしには、メインカードの座を保つことは難しくなるだろう。
ドコモの戦術は巧妙だ。同社はあえて従来カード業界が導入しようとしていた国際規格の「TypeB」と互換性のない非接触ICカード技術である「FeliCa(フェリカ)」を持ち込むことで、カード業界の秩序を根底から覆してしまった。
従来の磁気カードによる加盟店の決済端末は、その多くはJCBや三井住友VISA、UCカードなどの事業者が置いたものだ。決済端末を設置した事業者は、費用負担の見返りとして他社のカードが決済に利用する度に一定の手数料を取ることができる。準備は着々と進んでおり、すでに今年の4月には三井住友フィナンシャルグループ(三井住友FG)と業務・資本提携を行った。ドコモは三井住友カードの株式の34%にも相当する約980億円を投資したわけだが、この費用は大半がフェリカの決済端末を店舗に設置するための投資となるという。それはあたかも、かつて携帯電話の新規獲得競争が激しかった頃、端末をタダでばらまいたのと同じようなイメージとなるだろう。
従来、カード業界が「利ざやが少ない」と敬遠してきた小額決済中心の店舗も含め、今後数年の間に従来の磁気カード決済端末の合計台数を越える規模で全国で完備しようとしている。具体的にはコンビニエンスストアや、マクドナルドのようなファストフード店舗でも今後はドコモのカードが使えるようになるだろう。小額決済ができる場所が多いことが、メインカードの地位を占めるうえで重要な要素だけに、ドコモはここで既存カード会社との差別化をした上、いやいや携帯電話へカードを搭載した他の事業者からも決済端末を通して利用手数料を取ろうという算段なのだ。
要するに、携帯電話の基地局を全国に敷設したように、今度は店舗にフェリカ決済端末をばらまこうというわけだ。ドコモにしてみれば、1基1億円とも言われた第三世代携帯電話「フォーマ」(FOMA)の基地局を1万カ所以上も敷設するのに比べれば、たかだか数万円の決済端末など「お安い投資」というわけだ。FOMA基地局への莫大な設備投資がひと段落した現在、携帯電話の通信収入による利益率約2割という利潤を、今後はせっせとクレジットカードに投資しようというのである。
加えて、ドコモの携帯電話ユーザーに対しては、ポイントや年会費などでさまざまな優遇をはかり、新たに社会人になる若い世代には「メインカードはまずはドコモで」などのキャンペーンも打ってくることだろう。今後、「ケータイクレジット」の加入者は、携帯電話の契約をドコモから他社に替えたが最後、クレジットカードの優遇まで失うことになる。
つまりドコモは、総務省が中心になって2006年後半から導入する番号ポータビリティ(電話会社の契約を他社に替えても、以前と同じ電話番号が使える仕組み)に対しても、こうしたさまざまな障壁を設けて消費者の契約変更を阻止しようといわけだ。カードビジネスで儲けてなおかつ携帯電話のシェアも保てる。一石二鳥というわけだ。
しかし、ドコモがカードビジネスに参入する本当の狙いはこれだけではない。冒頭のカード業界関係者の言葉通り、クレジットカード事業はそれ自体は莫大な利益を生むものではない。多くのカード会社が本当に利益を稼ぎ出している部門は、実は消費者金融並みの年利20%以上という高利を取るキャッシング事業なのだ。さるカード業界関係者は、「結局、おサイフケータイは、ドコモにとってサラ金並みの高利貸しを公然と行うためのアリバイづくりでしかなかった」と吐き捨てるように語った。
既存のカード会社もこうした流れには逆らえない。クレジットカード国内最大手のJCBは、今年4月から携帯電話で小額決済が使える「QUICPay(クイックペイ)」を、そして日本信販とUFJカードが合併して産まれたばかりのUFJニコスも、クイックペイとほとぼ同じ内容の「Smartplus(スマートプラス)を8月からスタート。ドコモの独走を阻止しようと、ローラー作戦で加盟店、契約者双方の獲得に奔走している。
そしてここでもまた、ドコモの軍門に下るまいとするカード事業者とドコモは、消費者不在の「局地戦」を繰り広げようとしている。12月1日、ドコモは自らが定めたクレジットカード決済の独自規格「iD(アイディー)」をスタートさせ、早速三井住友カード1社のみがそれに追随した。しかしJCBやUFJニコスなどクレジット会社10社、そしてKDDIやボーダフォンは、「反ドコモ包囲網」の色彩も濃厚な「モバイル決済推進協議会」を独自に結成。アイディーとは決済端末に互換性のないクイックペイ方式を推進していくことで合意した。わざわざ両方の決済端末を導入しなくてはならない加盟店舗の迷惑などお構いなしというわけだ。
しかし「モバイル決済推進協議会」が最初に遭遇するのは、クレジット機能を搭載する携帯電話の会社が、来春からは同時に最大のライバルになるという皮肉だ。つまり、今後はサービス拡張ひとつ取っても、作戦はのっけから敵にジャジャ漏れになってしまう。これで本当に公平な競争が担保されるかどうかには大いに疑問だ。
携帯電話という「土管」を武器に、その上で提供される金融サービスまでも支配しようと企むドコモ。この国の「ケータイ一極集中」は、いったいどこまで進んでしまうのだろうか。