2006年2月号 GLOBAL
05年11月21日、来日したロシアのプーチン大統領は小泉首相との首脳会談で、東シベリアの石油パイプラインのルートを2段階で建設する方式で合意した。日本側は太平洋のナホトカまで一括建設する方式を求めていたが、中国の大慶ルートを優先するロシア側の案をのまされたのだ。第一段階ではタイシェト(イルクーツク州)からスコボロジノ(アムール州)まで敷設し、ペレボズナヤ(沿海州)までの第二段階は埋蔵量などを調査した上で敷設するかどうかを検討するというものだからだ。
しかし一年前の04年12月、フラドコフ首相が「太平洋ルートに決定した」と明言したのだ。にもかかわらず、わずか1年でプーチン政権が手のひらを返したのはなぜなのか。その真相はいまだ謎である。鍵はロシアのエネルギー産業大再編とその中核にある天然ガス独占企業体「ガスプロム」にある。
布石は脱税でロシア最大の民間石油資本ユコスが解体され、シブネフチとの合併が宙に浮いたことに始まる。クレムリンは、ガスプロムと国営石油会社ロスネフチを合併させ、ユコスの生産子会社ユガンスクネフテガスを呑み込む計画を発表した。ドイツの後押しによる米欧有力銀行の協調融資でバックアップする態勢が組まれた。
ところが、これを独露同盟と警戒するワシントンの一部戦略家たちがこれを阻む動きに出てくる。一つがテキサス州ヒューストンの破産裁判所を使ってユガンスクの競売を差し止めるという「奇手」であり、もうひとつはガスプロムが対独輸出する天然ガスの4分の3が通過するウクライナに親米政権を樹立する(オレンジ革命)だった。
このビーンボールに対し、プーチン政権はガスプロムとロスネフチの合併を白紙に戻した上で、ロスネフチにユガンスクを事実上買収させ、その資金93億ドルの一部(60億ドル)を米欧銀行団でなく中国国営石油会社(CNPC)から融資してもらったのだ。「独露同盟」を阻む包囲網破りに中国が手を貸したことにより、マネーの力でナホトカ・ルートを実現させようとした日本は、ガスプロムをめぐる駆け引きが読めず、あっけなくうっちゃられた。プーチン政権は東シベリア・パイプラインの「大慶先行」によって中国に借りを返した形になる。
プーチンの巻き返しは、複雑な波紋を呼び起こす。ロスネフチとの合併によるガスプロム再国有化計画が再浮上、ここで再び米欧銀行団との融資交渉が始まった。さらに独露同盟再構築のあかしとして、05年9月、親米のウクライナやポーランドを通過しないバルト海経由のガス・パイプライン計画に独露が契約する。のちにドイツ新首相になったメルケル女史がプーチン大統領に会い、パイプライン契約は新政権も遵守するとしたのは偶然ではない。はしごを外されかけたウクライナは、ユーシェンコ大統領が内閣総辞職によって親米から親露に回帰しようとする。11月末にウクライナなど旧ソ連圏諸国に対し、ガスプロムがガスの値上げを通告したことからも、このにわかな「政変」がロシアの圧力によって引き起こされていたことは明らかだろう。
2008年に任期切れを迎えるプーチン大統領は、「第二の人生をガスプロムに求めるのではないか」という憶測がモスクワでは流れている。それほど、ガスプロムをめぐる利権の構図はロシアの鍵を握るのだ。中国のようにいち早くこの壮大な地政学ゲームを読み解けない限り、ユーラシアの東の果ての日本は常にカヤの外のままだろう。
※詳細を「プーチン・ロシアのエネルギー地政戦略」と題して全3回に渡って掲載しています