御手洗キヤノンの「二兎リスク」――薄型テレビ参戦控える経団連会長企業

2006年2月号 BUSINESS

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 自分の会社の社長が、日本の経済界のトップに立つことになっても、市場には何の評価もされないのか。

 「キヤノン40円安」

 2005年10月半ば、日本経団連の次期会長にキヤノンの御手洗冨士夫社長(70)が就任することが固まったと報じられたが、その翌週の東京株式市場の反応の冷ややかさに、同社の幹部は憮然として腕を組んだ。

 キヤノンにとって、近年にない「正念場」が始まった日だった。

 レーザービームプリンターで世界市場の六割を押さえ、複写機の設置台数でも世界一、デジタルカメラもソニーを抜いてトップに立つ。キヤノンが手がけている事業はいずれも高収益で、上場企業の04年度純利益ランキングでは6位。上にはトヨタ・日産・ホンダの「自動車御三家」と巨大な独占的企業であるNTT、NTTドコモしかいない。05年12月期も、六期連続で過去最高益を更新することは確実だ。

 そんな超優良グローバル企業でも、投資家の目は厳しい。キヤノン幹部は自社の株価に「低すぎる」と不満をみせるが、株価の低さは、端的に言ってしまえば、企業の成長性に対する投資家の期待度の低さだ。

 株価が1株当たり利益の何倍か(言い換えれば時価総額がいまの利益の何年分に相当するか)を示す株価収益率(PER)で、キヤノンは御手洗氏の経団連会長就任が固まった時点で約16倍。トヨタや東京電力などの「財界銘柄」と同水準だが、「デジタル技術銘柄」でみると、業績悪化に苦しむソニーは約23倍。ソニーと並ぶには、キヤノンの株価は6200円から8900円まで上がらなくてはならない計算だった。プラズマテレビなどヒット商品を連発中の松下電器産業とは、PERの差は、もっと大きい。

 市場では「プリンター分野には米デルなどが安い製品で殴り込んできた。複写機は成熟市場。デジカメはまだ世界で普及が進むだろうが、乱戦で利益が出にくくなった。キヤノンの強さ自体は続くだろうけど、今後はどこで成長をするのか」と分析されている。

5年でシェア20~30%めざす

 そうした評価を覆すのに、御手洗氏が何よりも力を入れているのが、独自の技術で開発した表面電界ディスプレー(SED)を使った薄型テレビ。04年10月に東芝と開発・製造・販売のための合弁会社を設立、05年8月から55インチ型の生産を始めた。一定の台数がそろったところで、06年春に発売する予定だが、スタートは早くも波乱含みだ。

 SEDは、ブラウン管と同様に電子を飛ばして蛍光体を光らせる。飛ばす側の電子源をガラス基板に百万個単位で並べ、もう一つの基板に蛍光体を敷き詰めるが、ブラウン管のように電子の飛距離は長くなく、二つの基板を隣り合わせにして奥行きをなくす。キヤノンは1980年代半ばに開発を開始。電子源を規則正しく並べるところに、インクジェットプリンターで磨いた「ミクロン技術」を生かし、2枚の基板の間隔は2ミリ、パネル全体でも7ミリの薄さで完成させた。

 実用化にあたっては、99年に東芝の西室泰三社長(当時)が御手洗氏に電話を入れて、提携が決まった。東芝はプラズマテレビで出遅れ、液晶テレビもふるわない。「SEDを反撃の武器に」と、長年培ったブラウン管の生産技術を提供する。

「SEDは、いま主流のプラズマや液晶のディスプレーに比べて、画像がずっとクリアです。プラズマは色がやや自然でなく、動きの速い画面で緑色を引きずるところがある。液晶は画面が白っぽく、やはりスポーツなど速い動きに残像が残る。その点、SEDは色が自然で、とくに黒が鮮明だから画面が引き締まるし、影も残像も出ません。それに、消費電力もプラズマの半分、液晶の3分の2ですみます」

 開発関係者は、こう胸を張る。問題は「テレビを買う人が、そこまで画質の違いにこだわるか。価格が高いか安いかのほうが、商品選びのカギになるのではないか」という点だ。だから、価格を少なくともプラズマ並みに抑えようとコストダウンを図っている。だが、「06年春発売」へ向けて、成果が十分に出ていない。

 神奈川県のキヤノン平塚事業所につくった生産設備の能力は、初年度の販売台数を確保するための月産3千台。ところが、市場に出すだけの信頼性が十分なSEDは千台程度しかできずに始まった。当然、コストが高くなる。発売に必要な台数も、なかなかそろわない。この一年、御手洗氏が平塚に足を運ぶ頻度が増した。文字通り、陣頭指揮を続けているのだ。

 もともとは、02年に発売する予定だった。だが、陣営では「技術の流失」を恐れ、分解してもつくり方がわからないように、様々なブラックボックス化を重ねた。東芝には液晶の技術を韓国勢に奪われた苦い体験があったし、キヤノンは独自技術の保護には労働コストの安い中国への進出も見送る手堅さだ。だから、主要な部品はすべて陣営内でつくる体制も固めた。そうしているうちに、3年の遅れが出た。

 結局、来年のサッカーワールドカップ向け商戦への本格参戦はあきらめ、勝負の時期を08年8月の北京五輪に置いた。業界予測では、世界の40インチ以上の薄型テレビ市場はその前後から拡大ペースを上げ、2010年には年間2千万台といまの5倍に達する。「そのときに20%から30%のシェアをとり、プラズマや液晶と3分する勢力になる」というのが陣営の狙いだ。そこへ向けて、07年初めに東芝がブラウン管を生産してきた兵庫県の姫路工場で月産1万5千台のラインを稼働させる。だが、それだけでは、2010年のシェアを20%としても20分の1の台数もまかなえない。東芝は矢継ぎ早に増産を予定する。

 キヤノンも、当初は東芝がつくった薄型テレビを受け取って自社ブランドを付けて売り出すが、遠からず自らも量産を始める。だが、平塚事業所の現状では力不足。御手洗氏は05年夏、てこ入れに、NEC系のコンピューターによる設計・製造(CAD/CAM)のソフト会社と真空技術を持つ会社を買収した。CAD/CAMは、SEDの主要部品を自社生産する製造装置をつくるのに生きる。真空技術は、電子を飛ばす空間の加工に欠かせない。

 ただ、関係者は「これだけで買収は終わらない」とみる。「テレビには電波信号の処理やビデオ録画など、独特の機能がたくさんある。それをつくるとなると、キヤノンの力だけでは不十分だろう」として、テレビを手がけてきた企業を次の買収候補に挙げる。

パイオニアかビクターを買収も

 おそらく、キヤノンがほしいのは、パイオニアや日本ビクターというクラスの企業ではないか。あまり小さくては力不足だし、大きくてあれこれ事業をやっていないほうがいいのだ。パイオニアはプラズマで先行したものの、松下に一気に差をつけられて苦戦中。一方、ビクターは松下系だが、薄型テレビでは松下のプラズマとは違う方式を開発中。やはり業績は芳しくない。松下の中村邦夫社長と御手洗氏は、価値観や行動様式に共通点が多く、気が合う仲だ。中村氏の決断があれば、新たな動きが生まれてもおかしくない。

 それにしても、ここまでこぎつけたのは、御手洗氏の強い意欲と危機感が続いてきたからこそだ。

 御手洗氏は、薄型大型テレビを「デジタルネットワークにつながる情報の窓口」と位置づける。家庭や事務室の真ん中に陣取り、パソコンや電話、ビデオカメラ、プリンターなど様々なデジタル機器とつなぎ、多様な画像を映し、映像の送受信や編集、印刷もする――というイメージだ。「いまのキヤノンの製品は『窓口』の周辺機器ばかり。それでは、ブロードバンド時代の脇役で終わる。SEDで『窓口』の地位も占めたい」。そんな狙いに実現性がみえてくれば、なるほど、投資家の成長期待は高まるだろう。

 だが、06年5月に経団連会長に就任することになって、あらゆる条件が変わった。ある会長経験者は「超多忙な日程に追われ、社長業との両立は不可能。引き受ける以上、経団連の職を軽視しては困る」とくぎを刺す。生産現場への陣頭指揮も買収先の選定も無理となったらどうするか。御手洗氏の戦略性と行動力を引き継げる後継者は、いまのキヤノンには育っていない。

 もともと市場では「キヤノンにとっての最大のリスクは、御手洗氏が不在になることだ」と「御手洗リスク」が言われてきた。それが、現実のものとなる。経団連会長就任までにSEDの量産を軌道に乗せ、新たな買収先も決め、後継者も選び出す――というのは至難の業。結局、できるだけ長く「二足のわらじ」をこなそうとするのだろう。キヤノンにとっても、御手洗氏にとっても、すさまじい日々が待つ。

   

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