獅子身中の虫がいる?ネット広告やモバイル広告の会社と提携するたび、直前に株価が不自然に急騰する。
2006年5月号 DEEP [ザ・スクープ]
闘病中の直木賞作家、藤原伊織は「広告代理店のガリバー」電通の社員だった。その電通をモデルにして、昨年書いたミステリー『シリウスの道』にはこんな文章がある。
「この国の広告業界を特徴づける一業多社制は、彼らに話すまでもない。ある代理店がA電機をクライアントに持つなら、その代理店はけっして同業種B電機の広告作業を請け負うことはない。こういった一業一社制が、欧米ではビジネス上の常識だ。競争企業への情報漏洩リスクを恐れるからである。だが日本の広告代理店には、この国固有の歴史的な特殊事情がある。だからこそ、(中略)IDカードがなければ他の営業局に出入りできないし、PCではアクセス可能な範囲限定といった各種のファイアウォールが設けられている。競争する企業間の情報流通を内部で遮断するこの壁の存在は、日本の広告代理店の生命線といってもいい」
電通に問う。あなたがたはその生命線を守っているのか、と。
広告業界のシェア3割を握り、連結売上高1兆9104億円(2005年3月期)と「2兆円電通グループの実現」(04年1月5日の俣木盾夫社長の年頭挨拶)が視野に入って、自分を見失ったのではないか。
万博から五輪まで国家的イベントを仕切り、広告に金融機能を付加してマスコミの経営を支え、トラブル封じに力を発揮することで広告主と対等の関係を保ち、政治家のイメージ戦略の担い手として権力にも足場を築く──その千手観音のような姿は「帝国」と呼ぶにふさわしい。
この帝国ほど欲望に忠実で「何でも欲しがる存在」はないが、誰もが恐れて光をあてない聖域でもある。その最深部で、あってはならないことが起きた疑いがある。その深刻な衝撃は、外部ファンドによる「電通買収」というコケ威しの話の比ではない。
2月早々、インターネットや携帯電話による通信販売会社ネットプライス(マザーズ上場)に対し東京証券取引所の売買審査部は、同社と電通、その連結関連会社サイバー・コミュニケーションズ(cci)が1月19日に発表した業務・資本提携について、経緯を報告するよう求めた。
交渉はいつから始まり、どこで何が話し合われたのか、出席者の役職と氏名、会議の内容を細かく記せ、というのだ。明らかに東証はインサイダー(内部者)取引を疑っている。すべてを語るのは株価である。
ネットプライスの佐藤輝英社長はソフトバンクでEコマースを手がけたが脱サラ、ネット広告大手サイバーエージェント(CA)の出資を得て会社を興した。購入者が多くなるほど価格が下がる「ギャザリング」というビジネスモデルで急成長、04年7月、マザーズ上場企業となった。
昨年、40万円前後のボックス圏だったその株価が、昨年11月21日から突如出来高を伴って上昇、28日に49万3000円をつけた。
何が起きていたか。成長が見込まれるネット広告の制覇を狙う電通が、同社と提携協議を始めたのだ。ネットプライスにとって、電通との提携はテレビという旧来型メディアへの挑戦であり、電通という後ろ盾を得ることを意味する。誰かが舌なめずりしたとしてもおかしくない。
11月15日、ネットプライス本社会議室で佐藤社長と電通メディア・コンテンツ計画局(MC局)の主務らが1回目の顔合わせを行った。それから1週間と経たないうちにネットプライス株が不可解な上昇を始めた。
そして同29日、佐藤社長、MC局主務のほか、電通インタラクティブ・コミュニケーション局(IC局)の長沢秀行局長も出席して、電通本社会議室で第㆓回の会合が開かれる。あたかも利食いのように売りがでて、株価は40万円前後に舞い戻った。
しかし提携交渉は進捗し、12月9日にいよいよ具体化するためキックオフ会合を電通会議室で開き、長沢、佐藤氏らが出席した。6日後の15日、また株価が動意をみせる。翌日には出来高がはね上がり、株価も46万円台に急伸。19日にネットプライス側から電通に第三者割当増資引き受けの打診があると、一時48万円台をつけた。
しばしの小康をはさんで26日、電通が増資引き受けを内諾すると株価は噴き上げて29日に51万円台、年明けの1月4日に増資引き受けとともに業務提携などで最終合意するとさらに弾みがつく。幹事証券や財務省関東財務局、東証などに説明に回った16日には前営業日比11%高の64万円に急騰、出来高も3・7倍と異常な活況をみせたのである。
この間、何のニュースリリースもリーク記事も出ていない。19日に電通、cci、ネットプライスの3社は役員会でそれぞれ機関決定、提携を発表したが、直前に冷水を浴びた。17日にライブドアの強制捜査でマザーズなど新興市場の株価が一斉に急落、ネットプライスも巻き込まれたからだ。株価は乱高下して次第にもとの40万円台に収束していった。96ページのグラフを見れば一目瞭然。発表前の幾波かの高値追いは、提携交渉の進捗から数日遅れで歩調が合い、東証が疑うのは無理もない。
表向き東証広報室は「照会したかどうかも含めて一切お答えできない」と言う。「ただ、全取引をシステム的にチェックしており、売買審査部が照会したということであれば、なんらかの“異常”が見つかったということです」
暗に認めたようなものだ。31歳とまだ若い佐藤社長が本誌の取材に応じ、東証の照会を受けた事実と交渉経過をあっさり認めた。
「守秘義務は社内で徹底させており、情報漏洩もインサイダー取引もなかったと確信しています。11月から電通さんとテレビでEコマースを展開する事業提携の話し合いに入り、資本提携へと進んでいくわけですが、最初の段階で機密保持契約を結び、社内でも限られた人間が、徹底した情報管理のもとで交渉を進めてきました。だから東証さんの照会には少し困惑しましたが、(こうした調査は)よくあることなのかと思い、手帳を見て電通さんにも問い合わせながら、交渉の過程を報告しました」
ネットプライスの伊藤直社長室長は、微に入り細にわたる東証の問い合わせに何度も回答している。
問題はもう一方の当事者、電通にある。株価の動きが不自然だったのはネットプライスだけではない。モバイル広告の先端企業で、年末から年初にかけて電通が資本・業務提携したシーエー・モバイル(外川穣社長)やオプト(鉢嶺登社長)も、怪しい値動きを見せたのだ。
たとえばCAモバイル。ネット広告業界の「勝ち組」サイバーエージェントの連結子会社で、親会社の藤田晋社長は女優奥菜恵との結婚と離婚で芸能誌を賑わせ、「渋谷ではたらく社長のblog」でも有名だ。
CAモバイルは2000年5月の設立以来、携帯ビジネスに特化し、モバイルのメディア、コマース、コンテンツ事業を展開する。モバイル広告に布石を打ちたい電通にとって格好のパートナーだった。そのCAモバイル株11・2%を18億円で電通ドットコム第一号投資事業組合とcciが買い入れると発表したのが昨年12月15日。ネットプライスの提携交渉と時期が重なり、CAモバイルの外川社長は、電通とネットプライスの交渉の場にも何度か同席している。15日には、譲渡に伴って親会社CAに株式売却益17億7750万円がもたらされ、当期純利益(06年9月期)の予想は20億円から35億円の75%増と上方修正されると発表した。CAモバイル自体は未上場だが、CAはマザーズに上場しており、電通との資本提携と利益の上方修正は当然ながら株の買い材料となる。
CA株は発表後3日で16%も値を上げた。問題は出来高急増につれた株価上昇が、発表前の12月12日から始まっていることだろう。前営業日の12月9日の出来高5877株が12日は3万2120株に一気に膨らむ。平均してそれまでの5倍の出来高という活況のなか、株価は発表までの4日間で約23%もはね上がった。
これはおかしい。
同じ現象は、ネット広告大手のオプトと電通との業務・資本提携の発表でも起きた。
両社が、ネットマーケティング分野全般での業務提携に合意、同時にオプトが発行する新株と新株予約権を電通が引き受け、新株予約権を全て行使すれば電通が16・6%の大株主となると発表したのは12月22日。将来は電通が、鉢嶺社長に次ぐ第2位の株主となるわけで、オプト囲い込みへの強い意向が感じられる。
だが、東証ジャスダック上場のオプト株の出来高が急増するのは、発表より13日早い12月9日からである。それまで500株前後の出来高だったのが、9日は3265株にはね上がり、価格も前日終値から3万5000円も高い50万4000円で引けた。以後まっしぐらに上昇し、20日には74万4000円と12月8日の終値から48%も急騰したのだ。発表時には利食い売りと見られる値下がりが起きるという異常さ。インサイダー取引以外の合理的説明をみつけることは難しい。
ところが、当事者はそういう認識はもっていないようだ。
CA、CAモバイル、オプトの広報担当者に書面で問い合わせたところ、各社とも「インサイダー取引があったという認識はありません」とにべもない。CAとCAモバイルは、12月9日に大和総研の「フロンティア企業業績見通し」で、同12日には同総研の「インターネットセクター(WEB2・0関連企業)」で、それぞれ推奨され、ドリコムとブログの広告配信サービスで提携すると発表したことなどが、株価に影響を与えたのではないかと回答してきた。
「株価が不確定要素により変動しており、想定される事項としてご認識いただければと思います」(CAモバイル広報担当)。つまり想定内ってこと? ふざけちゃいけない。
オプトの広報担当者は「特に不思議な値動きとは思っていない」という見解を示したうえで、上昇理由についての言及は避けた。
肝心の電通は広報室が、本誌に木で鼻をくくったような答えしか返さなかった。たとえば──。
本誌 ネットプライスと電通およびcciとの業務・資本提携につき、電通が正式に機関決定したのはいつの時点で、どの場で行われたのか。その決定に関与した役員数および役職者数、機関決定の責任者は誰か。
電通 本年1月中旬に然るべき機関決定を行っております。また、社内で実務遂行上事前に情報に接したすべての関係者が情報受領ならびに株式売買禁止について、所定の確認書に署名しております。
本誌 ネットプライス株の上昇について、電通内ではこの機関決定との連動の有無を社内調査したのか。電通は社内関係者に対し、株式取引の有無などを調査したのか。またその周辺で機関決定や協議の内容を知りうる立場にいた社員の社内調査は行われているのか。行われていないなら、なぜなのか。
電通 情報管理、モラル管理を徹底しているので、ご質問のような調査は行っておりません。
要するに何もしていないのだ。一枚の確認書でいいなら、東証や証券取引等監視委員会(日本版SEC)は要らない。投資案件についての電通の機関決定は毎月2回、高嶋達佳副社長が主宰する投資委員会の場か、電通の連結子会社、電通ドットコムの場で行われている。問題の3社との提携の起案は、森隆一常務取締役と杉山恒太郎常務執行役員が関わり、委員会決裁後は常勤取締役会に付議されたので、ほぼ役員全員が情報漏洩の“容疑者”になりうる。
証券業界でも、電通関連株のおかしな値動きを口にする人は少なくない。「電通と業務・資本提携する相手先企業の株価が、発表前に必ずといっていいほど出来高増加を伴って上昇する。インサイダーを疑われる企業は少なくないが、電通は意欲的に提携を進めているだけに目立つね」
もっと目立つのはこの叅社との提携に関わった電通社員の顔ぶれが重なることだ。電通が「ファイアウォールこそ生命線」と言い張るなら、彼らの名誉のためにも嫌疑を晴らす社内調査をすべきだろう。東証が板情報(銘柄ごとの価格別の注文株数)を洗い直せば、ファイアウォールの虚構がたちまちあらわになるのではないか。(以下次号)