源氏物語を「楽しみ尽くす」方法/楽しみ処は無尽蔵/半世紀の愛好家・柳辰哉

2024年1月号 LIFE [大河ドラマで注目]
by 柳 辰哉(半世紀の愛好家)

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人気を博す都内書店の源氏物語コーナー

十一月九日は、二年前に九十九歳で亡くなった瀬戸内寂聴さんの三回忌でした。寂聴さんは七十歳のときに源氏物語の現代語訳を始め、六年がかりで完成させました。源氏物語の値打ちを一人でも多くの日本人に知ってほしいという願いを第一に訳したそうです。全国十九か所での展覧会のほか講演会やサイン会で各地を飛び回りました。その後「これだけ多くの人々に浸透したことを見届けてから死んでいけるのは、自分としては非常に幸せなこと」と八十六歳のときに書いています(田辺聖子氏との共著『小説一途 ふたりの「源氏物語」』より。角川学芸出版)。私は源氏物語の読み方を寂聴さんの著書で教えられたので、三回忌には、紅葉が始まった嵯峨野にある寂聴さんのお寺「寂庵」を訪ねて偲びました。

多くの識者が「源氏物語は若菜を読め」

秋の寂庵(京都・嵯峨野)

寂聴さんは、五十一歳のときに出家したことで源氏物語の読み方が変わったと記しています。それまでは登場人物の中で光源氏の最愛の妻の紫の上が一番幸せだと思っていたのが、最も不幸だと思うようになったそうです。それがなぜなのか、寂聴さんはじめ多くの読み手が源氏物語の中で一(いち)推しの「若菜」からの各帖をたどってみたいと思います。

源氏物語の五十四ある帖は通常、大きく三つに分けられます。第一部と第二部は主人公が光源氏、第三部は「宇治十帖」を中心にした源氏死後の物語です。第一部で源氏は、臣下としては最上の「准太上(だいじょう)天皇」という位に昇りつめます。広さが東京ドームの一・三倍ある「六条院」という巨大な邸宅を造り、四季を表す四区画の庭園付き建物に妻や養女を住まわせます。写真は、宇治市にある源氏物語ミュージアムに展示されている六条院の模型です。このミュージアムでは、源氏物語に関する様々な展示や豊富な参考文献を観ることができます。第一部の終わりを飾る「33藤裏葉(ふじのうらば)」は、源氏の六条院に天皇と上皇が一緒に行幸するという栄誉の場面で幕を閉じますが、主人公の幸せの頂点で終わらせないところが紫式部の真骨頂です。

六条院模型(源氏物語ミュージアム展示)

第二部最初の「34若菜 上」と「35若菜 下」は、合わせると物語全体の一割の長さで、運命の激変と言えるできごとが続発する最大の山場です。折口信夫(しのぶ)をはじめ多くの識者が「源氏物語は若菜を読め」と推奨し、「若菜を最初に読んでもいい」と言う人もいます。物語はここから「41 幻」まで主人公の思うようにならない展開ばかりで、第一部での人生の成功はあたかも、老後の暗転に向けた仕掛けだったかのようにも読めるほどです。以下ネタバレを含みますが、読み処(どころ)はまだまだ多いので楽しみにしてください。(たとえば、源氏が紫の上にほかの女性のことを語る場面は、いつも言い訳めいた気持ちを見抜く紫の上が一枚上手の“寸鉄”を上品な口調で返していて、会話のリアリティーに驚かされます)

不穏な展開の引き金は、前の天皇で源氏の兄の朱雀院からの、愛娘である女三の宮を妻にしてほしいという依頼でした。女三の宮はまだ十四、五歳。源氏は結局その降嫁を受け入れます。朱雀院の頼みを断りにくかったことに加え、老境の四十歳に達する彼が、女三の宮が皇女で、その若さと、かつて密通相手だった亡き藤壺中宮の姪にあたることにも興味を持ったためだと読めるように書かれています。

内親王の降嫁ですから、最も影響を受けたのは本妻格の紫の上でした。源氏はひと晩悩んだ末にこの件を「病気で気の毒な朱雀院の頼みを断れなかった」と告白します。噂に聞いていたもののまさかと思っていた紫の上は平静を装いますが、自分より格上の皇女が正妻として来ることで側室のような形になり、単なる嫉妬とは次元の違う苦しみの日々が始まりました。お輿入れの日から三日間、豪華な儀式とともに新妻のもとに連夜通う源氏は、次のように言い訳します。

『源氏物語絵色紙帖』絵土佐光吉筆 若菜上(重要文化財)

絵の出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

【「今夜だけは無理もないこととあきらめてくれるね。これから後もあなたの元に来ない夜があれば、それこそ我ながら愛想も尽きる。しかしそうかといって、あの朱雀院がどのようにお聞きになるやら……」】(角田光代氏の現代語訳「若菜 上」より。河出書房新社・日本文学全集『源氏物語 中』)

送り出す紫の上は物思いにふけりながら心の中で悩みを深めます。

【今までずっと長いあいだ、もしかしたらこんなことになるのではないかと幾たびも思ったけれど、光君も今さらそんなこととばかり、すっかり恋愛とは離れていたので、ならばようやく大丈夫だと安心しきっていたところへきて、結局はこうして世間にも並外れて聞こえの悪いことが起きてしまうなんて……】(角田氏の現代語訳・同書より)

源氏は、女三の宮が幼いばかりで人間的魅力に乏しいのを物足りなく感じ、紫の上の素晴らしさを再認識しますが、体面上軽視できない女三の宮と過ごす夜が次第に増えます。紫の上の苦しみはつのり、源氏に「出家したい」と再三願い出ますが、許されません。出口のない心の内を夫にも打ち明けられない紫の上は病の床につきます。源氏は度を失い、紫の上を六条院から元の二条院に移してつきっきりで看病をします。

「屈指の名文」紫の上の最期

六条院が手薄になった隙に起きたのが、長い間ひそかに女三の宮を慕い続けていた、源氏の旧友、かつての頭中将(とうのちゅうじょう)の嫡男・柏木衛門(えもん)の督(かみ)による体当たりの求愛でした。源氏が紫の上への愛を優先させているという世間の噂が恋心を一層かきたてました。熱意に負けた女房の手引きにより、ついに柏木は女三の宮と一夜を過ごし、懐妊に至ります。女三の宮は柏木からの手紙を茵(しとね)の下に隠したままうっかり忘れてしまい、源氏に発見されました。源氏は世間体から妻の不倫を隠し通しますが、当事者の二人に対し、遠回しながら言葉や視線で陰湿な攻撃をします。それを恐れるあまり体調を崩した柏木を、源氏は宴席で次のように言ってにらみつけ、酒を無理強いします。

【「…あなたの若さだって今しばらくのことですよ。決して逆さまに流れてゆかないのが年月というもの。老いはどうしたって人の逃れられない運命なのです」】(瀬戸内寂聴氏訳「若菜 下」より。講談社『源氏物語 六』)

柏木は病が悪化した末に、三十過ぎの若さで死亡します。

その三年後、紫の上は看病の甲斐なく病をつのらせ四十三歳で臨終のときを迎えます。別れの場面の源氏の様子と、紫の上の最期の言葉を、屈指の名文を心を込めて訳したという林望氏の現代語訳で引用します。

【…このまま変わらずに千年も見ていたいと源氏は思うけれど、そんなことはいかに願っても思いのままにはならぬことゆえ、命ばかりはこの世にずっと留めておく手だてのないことが、つくづく悲しいのであった。

「どうぞ……もう……あちらへ……お帰りくださいませ。ああ……気分がひどく悪くなってしまいました。もう……なにを申し上げる甲斐もないほど……弱ってしまいましたこととは申せ、まことに……ご無礼をいたします」】(林望『謹訳 源氏物語 七』「御法」より。祥伝社)

人生ってそういうこともあるよね

紫の上の命を縮めた原因は、いくつも複合していると思います。

当時の貴族社会の一夫多妻制、男性優位で政治と連動した性愛、出自で生き方が縛られる階級社会。背景としてこれらは見逃せません。その上で私には、源氏の紫の上への愛情が相手の幸せのためではなくひとえに自分のための愛だったことが根幹にあるように思えます。過去を遡ると紫の上は、源氏が若き日の禁断の恋の相手だった藤壺の代わりの存在として彼女が十歳のときに自宅に引き取り、十四歳になって妻にした存在でした。その後、多くの女性遍歴の過程でも常に源氏の理想にかなう最愛の妻でした。しかし、出家することで苦しみから救われたいという紫の上の再三の願いを源氏が最後まで許さなかったのも、結局手元から失いたくないという自らの感情のためだったと言えます。男女の間に真に相手のための無償の愛はありうるのか、人は結局は自分のために生きる孤独な存在なのではないか、という永遠の問題を突きつけられた感じがします。

さらに、若菜の帖からの第二部について多くの識者が指摘しているのは、想定外のできごとが連鎖反応のように相次ぐ事態を引き起こしていることです。つまり、朱雀院の依頼によって女三の宮が降嫁したのが最初のきっかけとなって紫の上の発病を招き、その看病の隙に柏木と女三の宮の密通が起き、女三の宮は不倫の発覚に悩んで出家しますが、出家を許されない紫の上は死に至ったわけです。しかも、源氏が紫の上を喪い、女三の宮の密通・出産という因果応報とも言える苦杯をなめたことは、前半生で源氏にやられっ放しだった朱雀院による意図せざる復讐のような見方もできそうです。千年前の作り物語なのに、人生ってそういうこともあるよね、と現代の私たちが思わされる、そこが紫式部の凄さだと感じます。

明治以降の現代語訳を読み比べ

源氏物語の現代語訳や原文を選ぶための参考情報を記します。

まず現代語訳は、先がけとして明治の末に始めた与謝野晶子と、続く谷崎潤一郎・円地文子の訳について、川端康成が次のように批評したと瀬戸内寂聴氏が書き残しています。

【やっぱり「わかりやすいのは与謝野晶子」と言っていた。…谷崎さんの訳ですけれど、…「あれは訳とは言えません。あれは『源氏』そのものです」って言った(笑)。それから円地さんの訳は、「あれは円地さんの小説です」って。】(前出『小説一途』より抜粋)

確かに谷崎訳は原文の嫋々たる調子を残していますが、必ずしも賛同しがたい評価です。円地訳は格調が高く源氏通の根強い支持者が多くいます。

平成以降の現代語訳のうち、瀬戸内寂聴氏のものは、誰にでもわかりやすくという狙いが成功しています。講談社の文庫などで読めます。十冊それぞれに読み方の解説や語句解釈が付いていて便利で、和歌に口語の五行詩を付けているのも特徴です。

林望氏の訳は、難しい言葉や当時のしきたりなどの意味を注ではなく本文の中に入れ込んでいるので、そのまま読んで理解できます。言葉を補った具体例として、たとえば若菜下で源氏が女三の宮に琴の稽古をつけてそのまま泊まり込んだ場面、原文では源氏が眠りについたことだけが書かれているのを、訳では【三の宮を閨(ねや)へ抱き寄せた。】(林望『謹訳 源氏物語 六』「若菜 下」より。祥伝社)と訳しています。祥伝社文庫の十冊でも読めます。

『新潮日本古典集成 源氏物語 三』より

角田光代氏の現代語訳は、歯切れのよい文章で一気に読みやすい特長があります。源氏物語にところどころ出てくる作者・語り手のコメントを「草子地(そうしぢ)」といいますが、その部分だけ「です・ます」調で訳しているのも工夫の一つです。この十月から河出文庫版の刊行が一年がかりで始まって求めやすくなっています。

さらに、田辺聖子氏・大塚ひかり氏など多くの個性あふれる現代語訳が出版されていますので、一番嗜好に合うものを選ぶために、たとえば今回取り上げた「若菜」などの帖の山場がどう訳されているかを、試し読みで比べてみるのもよいかもしれません。

現代語訳を読むと、原文ならではの情緒を味わってみたくなる方もいると思います。ご存じの通り源氏物語の原文は主語が省略されたり敬語が理解しにくかったりして難解です。古典文法や古語の知識に自信のない読者が原文に触れる方法について、長年一般向けの源氏物語の公開講座や購読会に積極的に取り組んでいる東洋大学の河地修名誉教授が薦めるのは、『新潮日本古典集成』という新潮社の全集に八冊に分かれて収載されている石田穣二氏・清水好子氏校注の源氏物語です。各ページの上部に言葉などの注釈が付けられているだけでなく、原文の右脇に、必要に応じ部分的な現代語訳や省略されている主語が小さめの赤い文字で補われていて、注釈と併用することにより古語辞典を使わなくても意味をたどる助けになります。原文はほかにも岩波文庫版など選択肢は多いので、これも書店や図書館で確認されるとよいと思います。

最後に私が源氏物語鑑賞の大事な手引きにしている書籍を今回も一部紹介します。

▽『光る源氏の物語 上・下』中公文庫。国語学者の大野晋氏と作家の丸谷才一氏が読み進みながら物語の魅力を縦横に語り合う対談本です。ときには物語のここは下手だと容赦ない批判をまじえているのも興味深いところです。

▽『謹訳 源氏物語私抄 ―味わい尽くす十三の視点』祥伝社。全訳を果たした林望氏が、特にお薦めの名場面の魅力を読み解いています。瀬戸内氏の読み方とは違って、紫の上の人生が幸せだった面を強調しています。

▽『源氏物語――物語空間を読む』ちくま新書。国文学者の三田村雅子氏が、源氏による「六条院世界の構築」や「若菜」の帖の暗転などを多面的に論じており、大変勉強になりました。

次の第三話では、主人公の人生に大きな影響を与えた多彩な登場人物について深く味わいたいと思います。

著者プロフィール
柳 辰哉

柳 辰哉

半世紀の愛好家

1957年生まれ、東大法学部卒。NHKで記者として主に裁判取材を担当、社会部長・首都圏センター長・総務局長を経て退職。国際医療福祉大学に転職し医学部新設に携わったほかキャンパス・附属病院の事務責任者を務めた。現職はフリー校正者。源氏物語・和歌など古典文学を50年間愛好。

   

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