なぜハマスは暴発したのか/日野原由佳・元NGO・国連現地職員

号外速報(10月18日 09:40)

2023年11月号 POLITICS [号外速報]
by 日野原由佳(元NGO・国連現地職員)

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圧倒的な取材力でガザの人道危機を報ずるBBC(北部からの避難民で溢れかえるガザ地区南部)

ハマスによる中東情勢の緊迫化は、なぜ突如として起こったのか――。封鎖されたガザ地区やレバノンやシリアに点在するパレスチナ難民キャンプの現場で人道支援に従事してきた筆者が、ガザ地区のパレスチナ人の状況やハマスの暴発の動機を分析する。

ガザ全人口の6割は24歳以下

ガザ地区からイスラエルへの砲撃(BBCニュースより)

突如のハマスのイスラエルに対する奇襲によって、中東情勢が緊迫している。しかし、ハマスの暴発はイスラエルによるガザの長期的な封鎖によってトリガーが徐々に外れてきていたと言わざるを得ない。

「天井のない監獄」--。パレスチナ自治区・ガザ地区は一般的に出入域することはできない。北はイスラエル、南はエジプトに入域する検問所があるが、検問所の許可が下りない理由でガザの人々でさえ出域することは難しく、外国人では外交官や人道支援関係者(国連・NGO職員)など、ごく一部の許可がある人々に限定される。

長期に渡るイスラエルの封鎖の結果として、ガザ地区には主だった産業がない。皮肉なことにガザ地区の高給職が支援団体(NGOや国連)で働くこと、つまり支援によって回っている経済なのである(通貨もイスラエルのシェケル=NISを使用)。

ガザ地区として経済的な自立がイスラエルの封鎖下で、度重なる紛争によって阻まれてきた現状がある。例えば、漁業をするにも6~15海里と、イスラエルによって監視されているため限られた漁場となっている。本来であればガザ地区は地中海の穏やかな海に面して、漁業や観光が盛んな土地になっていたのかもしれない。

国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)によるとガザ地区の失業率は45%以上であり、15歳~29歳の若者に至っては、失業率は62%にも上る(2022年第三四半期) 。

UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)による統計

https://www.unrwa.org/where-we-work/gaza-strip

Gaza Strip, CIA World Factbook

https://www.cia.gov/the-world-factbook/about/archives/2022/countries/gaza-strip/#people-and-society

一方でガザ地区の出生率は3・44と世界的に見ても高く(ヨルダン川西岸地区は2・96)、およそ200万人いるガザ全人口の6割を24歳以下 が占める若い人々で構成されている地域でもあるだけに、若者の高い失業率はガザ全体に暗い影を落としている。

「インシャ・アッラー」刹那的な生き様

封鎖の影響は日常生活にも及ぶ。インフラ面では電気は3~4時間/日ほどしか通じない。ユニセフによると安全な水へのアクセスも確保できておらず、ガザ地区周辺で取水される水の96%は飲料水として使用することができない。 ガザでシャワーに入ると塩水混じりの水で、飲むことは不可能である。

UNICEFによるガザの飲料水へのアクセス

https://www.unicef.org/sop/stories/175000-additional-parents-and-children-are-getting-access-safe-drinking-water-gaza-strip#_ftn1

さらに、ガザの人々は幾度とないイスラエルとの紛争により紛争慣れをしてしまっている。筆者がガザで人道支援をしていた時にもイスラエルの空爆があった。筆者は緊急でガザを出域しようとイスラエル側に向かっていると、路上ではコーヒーを飲み語らい合う中年男性たちや、子どもたちが路上を走り回っている光景を見た。誰一人として驚きパニックになっている人々はいなかった。

外国人として筆者はガザに何かあれば退避する先があるが、ガザの人々にとって避難する場所などなく、ガザそのものと運命を共にしている覚悟あるいは諦めを見た。度重なるイスラエルの空爆によって紛争が当たり前の日常に既になってしまっていた。

当時一緒に勤務していたガザの同僚たちと仕事を終えて日々別れるときに、「インシャ・アッラー(神が望めば)」というアラビア語のフレーズを用いる。アラブ圏の通常の挨拶であるが、ガザの人々が発言する「インシャ・アッラー」からは刹那的に生きざるをえない彼らの生き様そのものを表現しているようだった。

「子どもが来たのか?」と茶化される

ハマスは国際的にテロリストと位置づけられている集団であるが、ハマスの構成員らはそこに住む市民から構成されている。イスラエルが封鎖するガザ地区へ入域するにはハマスの検問を通過しなければならないが、彼らの一部は普通の人々で残虐なテロリストとは異なる側面もある。実際に、筆者がガザを出域する際にハマスの検問所を訪れた際は、彼らに「子どもが来たのか?」と茶化されることもあった。

パレスチナ人にとって今回のハマスの暴発は単発の事件ではなく、これまでのパレスチナ人が土地を追われ難民になった「ナクバ(破局)」からの連続的な歩みでもある。昨今のイスラエルと湾岸諸国による国交正常化でパレスチナ問題が風化していくのをパレスチナ人が一番恐れていた。そのため、決して許されることのない武力行使に出てしまうハマスという存在こそが、彼らの封じられた声を挙げる唯一の手段であるという見方もできる。

さらに、パレスチナ内政面でもハマスは行き詰っていた。ハマスはイスラエルを敵対視していることに加えて、パレスチナ自治政府のマハムード・アッバス議長らファタハが仕切るパレスチナ内政への不満も苛立ちの要因となっている。ハマスは合意したにも関わらず、ファタハの内部分裂により2021年に実施される予定だった選挙も延期されており、88歳のアッバス議長も高齢であることもあってか、リーダーシップの先行きが不透明な内政状況が続いている。

国際社会からテロリストと言われようとも、ハマスはガザ地区で選挙によって選ばれている事実もある。封鎖下の極限状態で生活するガザの人々の行き場のない不満の受け皿となっている面がある。

土地を追われたパレスチナ人の執念

ガザ地区のみならず、レバノンやヨルダン、シリアにもイスラエル建国に伴って難民となった人々のキャンプが多数存在する。シリアにいた一部のパレスチナ難民はアラブの春によって触発されたシリア危機によって、シリアからも追われることとなり2度の難民を経験した人々もいる。レバノンの難民キャンプは極めて劣悪であり、限られた土地に増築を重ねて日が差さない環境下であったり、排水環境の悪さから、衛生面や慢性的な悪臭といった問題も多い場所である。彼らは「パレスチナ難民」というステータスのため難民キャンプと呼ばれる区画を超えて生活することはできない状況にある。

レバノンにあるパレスチナ難民キャンプは首都であるベイルートの一画から郊外まで点在しているが、関係者でなければ近づく人はいない場所である。

筆者はレバノンにあるパレスチナ難民キャンプで仕事に従事していたが、レバノンの難民キャンプではパレスチナ難民らは劣悪な生活環境にも耐え、彼らが追われた土地であるパレスチナに帰還することを強く願っているのである。

難民キャンプ内の壁には至るところにエルサレムの神殿の丘や岩のドームといったイスラム教の聖地でありエルサレムを象徴する絵が多く描かれている。世界中に散らばったパレスチナ人にとってエルサレムは連帯の象徴であり、イスラム教の三大聖地の1つを持つ者としてのプライドがある。「ナクバ(破局)」から75年近く経過する現在は難民も4世代、5世代目と世代を経ても自分たちの土地へ帰還するという強い覚悟を感じた。

イスラエル戦車(ヒズボラ博物館展示、2018年筆者撮影)

レバノンではヒズボラがハマスと同じく国際的にテロリストという位置づけであるが、レバノン国内では政党としても活動している。

筆者は2018年にレバノン南部にあるヒズボラが運営するヒズボラの博物館(Mleeta Resistance Touristic Landmark)へ訪問したことがあり、ヒズボラによってこれまでのイスラエルとの交戦模様を実際に使用された銃器とともに展示されていた。

とりわけ展示の最後には見晴らしの良い広場へ案内されるが、そこはイスラエル北部が見える場所であり、博物館の案内人が敵はあの方向にいるとイスラエルの方向を指さしていたのが印象的だった。

イスラエルによるレバノン侵攻時のヒズボラのゲリラ戦の様子(ヒズボラ博物館展示、2018年筆者撮影)

子どもは生まれる場所を選べない

ガザ地区の度重なる紛争のために、日本や国際社会は多くの支援を実施してきた。しかし、この数日でこれまでの復興が振り出しに戻り、ガザの人々の日常が破壊されてしまった。

筆者は紛争で負傷した子どもたちのリハビリにも携わってきた。紛争とは関係のない多くの子どもたちが空爆や流れ弾にあたる等、被害者でありながらも希望を持ちながら日常生活を取り戻せるよう医療従事者と子どもたちの家族と取り組んできた。目の前の日常を一生懸命生きる子どもたちや周囲で支える人々の姿が目に浮かぶ。

生まれる場所は選ぶことはできないのに、世界のどこかでは政治に翻弄されて罪もない人々が日常を奪われてしまう現実が目の前にある。

イスラエル・ハマス双方の即時停戦を望み、一刻も早い人道支援で多くの人々の命が救われることを祈りながら綴る。

著者プロフィール
日野原由佳

日野原由佳(ひのはら ゆか)

元NGO・国連現地職員

1988年群馬県出身。2011年ウェールズ大学スウォンジー校(英国)卒業。早稲田大学大学院政治学研究科修了。
2016年NGO・パレスチナ事務所、2018年NGO・レバノン事務所、2019年国際移住機関・ケニア事務所、2020年、国際移住機関・エチオピア事務所において人道・復興支援に携わる。
2021年松下政経塾入塾(42期)。研究テーマ「多様性や包摂性を尊重した共生社会の実現」。米国政治学会フェローとして米国連邦議会下院外交委員会で外交政策業務に従事。

   

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