キーウ発 ウクライナ首都侵攻「情報戦」

外務省は2月11日、在留邦人に退避勧告。本稿は10日夜、キーウで書かれました(編集部)

2022年3月号 DEEP

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ロシアとベラルーシの合同軍事訓練(2月3日)

Photo:SPUTNIK/Jiji Press

ロシアのウラジーミル・プーチン政権がウクライナに侵攻するリスクが高まってきた。

ロシアは2月10日、ウクライナ北部と国境を接するベラルーシで「合同軍事演習」を開始し、3万人規模の部隊と戦闘機、地対空ミサイルを投入した。黒海でも「演習」の名目で地中海から戦艦6隻を展開し、ウクライナ沿岸のアゾフ海と黒海を封鎖する構えさえ見せている。ロシア南部では突如、国境付近で三週間にわたる戦車部隊の「演習」を始めた。

ある西側軍関係者からはこんな情報も飛び込んできた。「ドネツクが動き出した」。ロシアが軍事支援する親ロシア派武装集団が実効支配するウクライナ東部でまとまった車両と兵士が移動を開始しており、戦闘準備に入っている恐れがあるという。

首都キーウは2日で陥落

2月10日時点の西側軍関係者らの見立てによれば、ウクライナ国境に集結するロシア軍部隊はすでに13万人規模に膨らんでおり、2月15日までに大規模侵攻の準備が整う。北京五輪が閉幕する20日から侵攻リスクが一気に高まる。この日はベラルーシとロシアの「合同軍事演習」の最終日でもある。ロシア軍は果たして撤収するのか、それとも前進するのか……。ベラルーシ国境とウクライナの首都キーウは直線距離で100キロしか離れていない。

アメリカのジョー・バイデン政権は情報機関がつかんだ機密を政府発表やメディアにリークする方法でロシアの動きを徹底的にけん制する異例の措置に訴えている。

ロシアがウクライナ侵攻の口実をでっちあげる「偽旗作戦」を実施するために、親ロシア派武装集団が実効支配するウクライナ東部に工作員を送り込んだとする機密を公表した。

国務省は2月、ロシアがウクライナへの侵攻を正当化するための動画を制作しているとの情報があるとも発表した。ウクライナ軍が越境してロシアを攻撃し、民間人に死傷者が出ていると見せかけているという。

イギリスもアメリカに呼応し、ロシアが親ロシア派政権をウクライナに樹立しようと、キーウでクーデターを画策しているとする秘密情報部(MI6)の機密情報を公表した。

ウクライナ国境周辺のロシア軍の増強に拍車が掛かるなか、アメリカの複数のメディアは2月6日までに情報機関のこんな分析も報じている。

「ロシアが大規模な侵攻に動けば、首都キーウは2日で陥落する。民間人の死傷者は5万人に上り、500万人の難民が出る」

ウクライナ政府は苦しい立場に置かれている。大統領ウォロディミル・ゼレンスキーは近い時期に侵攻はないと主張し、国民にパニックに陥らないよう求めた。1月末の記者会見では差し迫った侵攻の危機を繰り返し警告するアメリカにも反発した。

「尊敬する国々の首脳が明日にも戦争が起きるかのように話している。これはパニックだ……私がウクライナの大統領だ。誰よりも現状を認識している」

ウクライナ政府が恐れているのは社会不安や経済危機に陥ることだ。ロシア侵攻の懸念が高まるなかで、ウクライナの国債や通貨に売り圧力がかかっており、外国資本の流出や国内企業も首都から逃げ出す動きがある。パニックに陥った市民が買いだめや預金の引き出しに走れば、ロシアの侵攻よりも先に経済混乱が深まりかねない。

イギリスが公表したように、ロシアがウクライナ国内の親ロシア派勢力と結んで、混乱をあおり、クーデターを仕掛けることも警戒する。あるウクライナ政府高官は、家族の訪問を理由としたロシアからウクライナへの入国者が増えていると指摘し、工作員が流入しているかもしれないと懸念を示した。

首都キーウは表向き平静さを保っているが、市民の不安は日増しに高まっている。

20歳の学生がこんなことをもらした。

「アメリカは侵攻が差し迫っているというし、大統領は心配ないという。何を信じてよいのか、どう動けばよいのか分からない」

自ら情勢を判断し、首都から西に退避したり、「最悪の事態」に備えたりする人は少数派だろう。多くは侵攻の脅威から目を背け、思考停止に陥っているような印象がある。逃げる場所も資金もないという市民が大半を占める現実もある。

「今すぐキーウから離れろ」

長年のモスクワの取材先からはこんなメッセージが届いた。

「もしも、キエフ(キーウ)にいるのであれば、今すぐそこを離れろ!」

プーチンが軍事侵攻を決めるとすれば、この10日間が焦点、その場合、首都侵攻がメーンシナリオだという内容だった。プーチンの狙いはあくまでウクライナを支配することにあり、ほかの軍事作戦ではそれは達成できないからだという。

具体的に空港、鉄道、首都を東西に分けるドニプロ川にかかる橋梁を空爆し、ネット・通信網、電力、ガス、水の供給網を破壊してシージ(包囲)作戦を展開、ゼレンスキー政権の転覆をはかり、親ロシア政権を樹立するというシナリオまで指摘した。

「包囲攻撃で水や食料、電気の供給が途絶えれば、都市は長くはもたない。政権はすぐに降伏するはずだ。市民が抵抗しても簡単に制圧できる。大半は占領軍に従うだろう。戦車の姿を目にしたら最後、脱出のチャンスはないぞ」

ウクライナ政府はそもそも、ロシアが大規模な侵攻に踏み切るリスクは低いと見ていたフシがある。複数の政府関係者は、圧倒的な軍事力で主要都市に侵攻しても、ロシアは多大な占領コストを負えないと指摘していた。

武器を手にして戦うと回答した3割の市民を含めて、過半数が侵略に抵抗するとした世論調査の結果などがこうした見方の支えになっていた。

大規模侵攻の可能性は低いと言い切っていたそんなウクライナ政府関係者の見方も変わってきた。

ある高官は、「プーチンがウクライナ軍や市民の抵抗を見くびっているとしたら、侵攻を強行するおそれがある」ともらした。

アメリカの情報機関が傍受した通信記録によれば、ロシア軍当局者らはウクライナへの大規模な侵攻の計画に懸念を抱いていると、CNNは報じている。プーチンや閣僚らが想定しているよりもロシア側は大きな犠牲を伴い、困難なものになるとしていたという。

こうしたロシア当局者が計画に反対を表明したり、命令に背く意向を示したりした証拠はないとも指摘している。

多大な犠牲者を出す戦争の決定を下すのはウクライナ支配に取りつかれた大統領だ。ブラフか本気なのか。この数カ月、プーチンの真意を巡って、欧米も右往左往してきた。大国による主権国家への明らかな侵略行為を前に国際社会にはこれを止める術がない。ウクライナを巡る情勢はそんな現実を世界に突き付けている。

   

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