特別寄稿/福島原発事故の「大きな教訓」 by 坪倉正治 福島県立医科大学教授

チェルノブイリ事故と比べて、放射線被ばくより環境の変化(避難)に伴う2次的な健康影響が甚大。

2021年5月号 LIFE [原発事故の健康影響]
by 坪倉正治(福島県立医科大学教授)

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学校での放射線教育を手伝う筆者

東日本大震災から10年となる2021年3月、東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う放射線被ばくに関する国連のレポートが、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)から発表された。結論は、被ばくが直接の原因となってがんの増加などの健康影響が将来的に見られる可能性は低いというものだ。チェルノブイリ原発事故後にも出されたこの報告書は、世界中から放射線の影響を評価する科学者の集団によって作成され、この領域では最も権威ある報告書である。最初の報告書は14年に公表されたが、その後に明らかになった報告や事実を加味して、バージョンアップしたものとなる。

福島原発事故に伴う放射線被ばくは、大まかには ①私たちの生活環境にまき散らされた放射性物質から直接出る放射線と、②呼吸や汚染された食べ物や水を摂取することで体内に入ってしまう放射性物質から出る放射線の二つの経路によって引き起こされる。それぞれの経路からの放射線がどの程度かを計算し、足し合わせることで住民の被ばく量を推定する。14年の段階では保守的に(安全をとってより被ばく量が多くなる側に)計算されていた値が、その後の結果でそれよりも低いことが判明し、今回の報告では住民の被ばく量はさらに低くなることが報告された。チェルノブイリ原発事故と比べて、放出された放射性物質の量が一桁少なかったことに加えて、初期の避難や、早期の段階で牛乳やその他の食べ物の出荷停止などが被ばく軽減につながったといえる。現在でも福島県内に避難指示が解除されていない地域は存在するが、その他の地域での生活においては既に外部被ばくと内部被ばくともに問題ないレベルまで低減している。

「震災関連死」多くが高齢の避難者

国際シンポジウムで福島原発事故の健康影響について講演する坪倉教授

私たちのチーム(*1)は、震災後福島県の浜通り地区を中心に医療支援や放射線検査体制の整備、原発事故に伴う健康影響についての学術的な活動を継続的に行ってきた。発表してきた論文は150本を超える。私たちの発表は国連の報告書にも多く取り上げられているが、報告書の文言も「健康影響が将来的に見られる可能性は低い」と強めの言葉が用いられ、原発事故に関する放射線被ばくに伴う健康影響は一定の結論に到達したといってよいだろう。

その一方で、福島原発事故の影響は特になく、問題はなかったとは決してならない。避難によって被ばくは軽減されたが、環境の変化に伴う2次的な健康影響は甚大であり、社会の弱い部分にそのしわ寄せがいった。これがチェルノブイリ事故では十分に取り上げられなかった、福島原発事故の大きな教訓の一つである。先日、震災から10年目を節目に、アメリカの科学雑誌であるサイエンスにて、私たちの活動が紹介された(*2)

その中でも、最も注目されたのが2次的な健康影響である。

2次的な健康影響の最たるものは、原発事故直後の避難(特に施設に入所する高齢者の避難)に伴う影響である。震災関連死という言葉を聞かれたことがある方もおられるだろう。地震や津波による直接的な影響ではなく、その後の環境変化などの間接的な影響で命を落とされた方のことを指す。震災関連死は、自治体によって認定され、統一的な医学的基準によって判断されるものではないが、福島県内での震災関連死は21年2月の段階で2316人と宮城や岩手と比べて突出して高く、直接死の1606人をも上回っていた。多くが高齢で持病を持ち、老人ホームや病院などにおられた方である。

災害は社会の弱い部分をさらけ出し、最も弱いものから順番にダメージを与える。実際に原発事故の数カ月後には、震災当時に病院に入院されておられた方の何人かが、避難の後にお亡くなりになったとの情報が寄せられていた。私たちもすぐに調査を開始したが、とある老人ホームでは、原発事故後避難を行ったが、事故後90日以内に4人に1人の方が亡くなっていた。肺炎や持病の悪化など、事故前にできていたケアが継続して提供できなかったことが原因であることが多かった。避難しないという選択肢をとろうとした施設もあったが、周りからの物資の供給が途絶え、それもできなかった。

震災直後に飯舘村で健康診断

震災後1カ月は、震災後の長い期間の中で、住民の「2次的」死亡リスクが最も高く、最も人の命を失った時期であった。この避難のリスクにどのように対処するか、最適な答えはまだ見つかっていない。後から掘り起こせば、原発から20~30㎞離れた老人ホームにおいて、実際の避難によって引き起こされた生命のリスクは、留まって放射線を浴びていたら引き起こされたかもしれない生命リスクの約400倍大きかった。しかし、今回の事故よりも桁違いに大きな被ばくが起こっていた可能性はシミュレーション上からも否定できないし、避難のリスクが高いと知っていても、その場に留まって医療行為やケアを行うには、それ相応の数の医療者が必要となる。

災害時の避難弱者の問題は、原発事故に特有ではなく、水害や台風、地震など、他の災害でも取り上げられるようになってきており、まずは前もっての訓練や、行政などとの連携や、他地域との情報共有を進めることが重要である。私たちは原発事故の記憶が消えないうちに、地域の医療施設の経験と教訓を残す作業を続けている。

2次的な健康影響に関して、病名で重要なのは、生活習慣病の悪化と、うつ病などの精神的な影響だろう。原発事故に伴い、多くの人が避難を余儀なくされ、生活環境は激変した。付き合いも変わり、時間の使い方も変わった。一度変わった環境はそう簡単には元に戻らない。震災直後の11年5月、私たちは全村避難となった飯舘村での健康診断を行った(*3)が、その時には既に生活習慣の悪化と精神影響は深刻であった。現場で働く医療者の一人として、何が原発事故の健康影響の本質か目の前に突きつけられた瞬間でもあった。いかに外側から放射線の量だけ語ることが薄っぺらいことか思い知らされたものである。

「2次的」に増加した糖尿病リスク

仮設住宅での生活や、災害公営住宅への移転、避難指示の解除と原発事故からの復興には時間がかかり、生活環境の「変化」が繰り返し被災者の生活にのしかかる。私たちの健康は、周りの多くの方の見えざる手によって少しずつ支えられている。しかし、その手が様々な変化の度に変わり、その結果、変化の度に健康が揺さぶられてしまう。これらの悪化は、原発事故直後に比べれば随分と改善してきているものの、今現在でも重要な健康課題である。例えばうつ病の可能性をチェックするアンケート結果では、震災直後は参加者の15%程度がうつ病の可能性を示していたが、最新のデータでは6%程度まで減少している。その一方で、この6%という数字は、全国平均が3%であるから未だに倍である。

生活習慣病の中でも糖尿病はなかなか改善が見られず、地域によってはその悪化傾向に歯止めがかかっていない。糖尿病は脳梗塞や心筋梗塞のリスクとなることに加えて、それ自体がすい臓がんや肝臓がん、乳がんや大腸がんなど、発がんのリスクとなることも知られている。震災後の糖尿病の悪化の現状からは、放射線被ばくに伴う発がんリスクよりも、震災後に「2次的」に増加してしまった糖尿病リスクのほうがはるかに大きい。糖尿病の増加によるリスクを過小に、放射線被ばくによる発がんリスクを過大に評価しても、浜通りの北側の地域では40~70代の市民全体で、糖尿病の増加による生命リスクは、放射線被ばくの約30倍になりうる。

その他にも、がん患者さんが家族と同居しなくなったために、病院への受診が遅れて、より治療が遅れる傾向にあることや、がん検診の受診率が低下し、その回復がなかなか見られていないこと、病院やクリニックが閉鎖され、診療圏が変わることによって患者さんの受療行動が変わってしまうことも報告されている。救急車による搬送時間は延長し、搬送先病院も変化した。介護需要も変化し、原発事故前は大家族で暮らしており、家族の誰かが面倒を見ていたのに対して、事故後は独居が増えたため、行政のサービスを使う比率が増え、一人あたりの介護費用も増大した。被災者だけなく、除染や復興作業のために多くの新しい居住者が流入し、彼らの健康フォローも必要となった。

このように、原発事故後の2次的な健康問題は枚挙に暇がない。その本質は、様々なコミュニティーや人のつながりによって守られていた健康が、原発事故とそれに伴う避難によって破壊され、その後の環境変化が繰り返し起こるために、更なるダメージを受けてしまうことによる。現場で難しいのは、このような様々な健康問題のどの影響が大きいのか、優先順位を付けることが困難であること。どの問題であれば現在のマンパワーで有効な対策を打つことができるのかに対する答えが明確には無いことである。

現在私たちのチームは、この問いに答えが出せるように、2次的な健康問題を総括し、その影響の大きさをいくつかのパラメータで比較できるように取り組みを進めている(*4)

*1 震災前に私たちと福島との関わりはほとんど無かったが、震災直後からの相馬市や南相馬市での支援を通して、県外から10名を超える若手医療者が浜通りを中心としていくつかの病院で勤務し、活動をともにするようになった。

*2 サイエンスは科学雑誌の中で最も権威ある雑誌の一つである。2021年3月5日号で福島原発事故後の健康影響について、私が行ってきた放射線に関する健康相談や授業、学術発表を参照しながら5ページにわたって紹介された。

*3 全村避難の指示が出た飯舘村にて、当時の菅野典雄村長からの要請を受け、有志の医療者や学生が集まり、避難準備中の村民の方々の健康診断を行った。放射線被ばくに関する評価は行うことはできなかったが、一般的な健康診断に加えて、カウンセリングを行った。2次的な健康被害が既に始まっていることを実感させられた健診だった。

*4 私たちの研究チームで競争的研究費を取得し、生活習慣病をはじめとする2次的健康問題それぞれによる住民の余命の損失を計算し、何が最も寿命に影響を与えるかを明らかにする取り組み。

著者プロフィール
坪倉正治

坪倉正治

福島県立医科大学教授

1973年生まれ。東京大学医学部卒。震災直後から南相馬市立総合病院や相馬中央病院の内科医を務めながら、ホールボディカウンターによる内部被ばく検査も精力的に行い、被ばくに関する現地の課題と取り組む。昨年、福島県立医科大学放射線健康管理学講座主任教授に就任。

   

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