仏検察が押収した電通と国際陸連前会長の極秘契約書。そこに不可解な1500万ドル。ル・モンドと共同取材で入手。
2018年3月号 BUSINESS [暴かれた極秘契約書]
電通の山本敏博社長
Photo:Jiji Press
五輪の旗の下にはスポーツの屍体が埋まっている。2018年平昌は韓国に政治利用され、2020年東京はコマーシャリズムに汚され、憲章が謳う「フェアプレー」の精神は踏みにじられた。
東京五輪はカネで買われたのか――。
2年前のFACTA16年3月号は、英ガーディアン紙との共同取材で、東京五輪組織委員会と日本オリンピック委員会(JOC)にそう問いかけた。ロシアの国家ぐるみのドーピングで国際陸上競技連盟(IAAF)のラミーヌ・ディアク前会長が、100万ユーロ(約1億3千万円)以上の収賄と資金洗浄容疑で15年11月に仏司法当局に逮捕されたからだ。同時に息子の一人で陸連のマーケティング・コンサルタントだったパパ・マッサタ・ディアクが国際指名手配され、母国セネガルに逃亡した。
前会長は国際オリンピック委員会(IOC)の有力委員でもあったため、かねて親密な電通の働きかけで東京五輪開催の集票に協力していた。ロシアのドーピングを摘発した世界アンチドーピング機関(WADA)が16年1月に公表した独立委員会報告は、当時のディアク会長が国際陸連への協賛金の支払いと引き換えに20年五輪の開催都市決定で票を売る用意があったと示唆している。注記には、もう一人の息子ハリル・ディアクとトルコの五輪招致関係者の会話内容が書かれ、「トルコはダイヤモンド・リーグか国際陸連に協賛金400万~500万ドルを支払わなかったためディアク会長の支持を失った」「日本はその金額を支払った」とあったのである。
契約書にあるIAAFのラミーヌ・ディアク会長(当時)のサイン
電通の秋山創一のサイン
電通の中村潔のサイン
電通の高橋惣一のサイン
JOCはそのパパ・マッサタに13年7月と10月にシンガポール経由で計230万ドル以上も支払ったが、竹田恒和会長は「正規のコンサル料」と国会で買収工作を全否定した。間接証言では決め手にならないと言わんばかり。それなら物証をつかもう。 仏当局は逮捕に先立つ15年11月3日、モナコの国際陸連本部を家宅捜索し、前会長のアカウントを含む29万通弱のメールなど大量の内部文書を押収した。前会長が理事会に諮らず電通と交わした極秘契約書も、そこに含まれていたはず。本誌取材班は仏ル・モンド紙のヤン・ブーシェ記者と組んでこのブツに狙いを絞り、ついに入手した。
「極秘」Strictly Confidentialと銘打たれた全84ページの文書は、めったにうかがい知れないスポーツ利権の闇の奥を白日のもとにさらした。契約書が4通あって、すべてディアク前会長が署名している。
①現行契約 独占マーケティング権(北米、欧州以外)を10年1月1日~19年12月31日まで供与する契約、08年9月30日に電通役員、秋山創一(現ビデオリサーチ特別顧問)が署名
②更改契約 国際陸連とそのオランダ子会社、電通3社の14年1月1日付の更改契約、15年5月7日にスポーツ局局長(18年1月1日から執行役員)高橋惣一が署名
③新契約 期間を20年1月1日から29年12月31日まで延長する契約、14年8月6日にスポーツ局局長(当時)中村潔が署名
④現行および新契約の修正条項 15年8月29日、高橋惣一が署名
この4通について電通に署名部分のコピーを送って確認を求めたが、社外秘を理由にコメントを拒否した。
文書には国際陸連の顧問弁護士の書状が付いている。政界の汚職や金融捜査で著名なパリ大審院の判事宛てで、契約書の細部に関する所感だ。昨年7月18日付だから、ディアクと交代したセバスチャン・コー現会長の執行部見解を反映したものだろう。弁護士は契約書に記された電通による「不可解な」1500万ドルの前払い、「特異な」契約条項、「隠れた支払い」を想定したと思われる取り決めなどに言及して、現執行部に火の粉をかぶらせまいとしている。
今回明らかになった新事実を理解するために過去を振り返ろう。2000年初頭まで、アディダスと電通の合弁会社でスイスに本拠を置くISLが、国際陸連や国際サッカー連盟(FIFA)、IOCなどの国際的なスポーツ・マーケティング利権を一手に握り、放映権の管理をしていた。
ところがISLは01年に経営破綻、FIFAやIOC幹部らへの贈賄事件でも詐欺、横領、文書偽造などで訴えられた。01年夏の世界陸上を控え、TBSとの独占中継権やテレビ神奈川、セイコー・エプソンとのスポンサー契約の調整を迫られた電通は、ISL元幹部を集めてアスレティック&マネージメント・サービシズ(AMS)を設立、その後はAMSが国際陸連のマーケティングを肩代わりすることになった。
AMSは電通と資本関係はないが、電通関連の仕事だけを請け負う別働隊のような存在で、問題の契約書も「AMSが関与したのは間違いない」と関係者は見る。
08年9月30日、国際陸連は19年末までの10年間、欧州と北米を除く独占マーケティング権を電通に与える契約(現行契約)を結んだ。顧問弁護士は契約の金銭的条件をこう説明する。「合意の見返りとして電通は年437万ドルを上限とする経費を差し引いた上で、契約によって生じた利益の40%(『利益分配』)を19年末以降(つまり契約終了後)に陸連に払い戻す。加えて、電通は毎年1800万ドルを陸連に支払うことになっており、この金額も19年末以降に支払う最終利益から控除されていた」
ディアク会長は交代1年前の14年8月6日、この独占契約を29年まで10年間延長する新契約に署名、9月9日に発表した。わずか8ページの新契約書だが、電通が支払うべき年間最低保証金が1800万ドルから2200万ドルに、経費の上限が650万ドルに引き上げられた。電通側代表として署名したのは、当時のスポーツ局局長中村潔である。ディアクは新契約を「国際陸連および傘下の地域陸上競技連盟の財政的安定を保証する」ものと絶賛、陸連と電通も同様の発表をした。
だが、新契約が自画自賛に値するのかどうか、顧問弁護士は率直に疑問を呈している。実際、弁護士が仏検察に提出したとみられる契約書には理解し難い条項が数多く含まれている上、④の「修正条項」の日付は15年8月29日と会長交代の2日前に、滑り込みで調印しているからだ。
顧問弁護士が「驚いた」としているのは、電通が19年末以降に支払うとしていた現行契約での「利益分配」のうち、新契約によると300万ドルを14年8月6日の署名前に先払いしていたこと。加えて1200万ドルを8月末までに支払い、計1500万ドル(約16億円)を利益分配の前払いにあてるとしていた。しかも19年末に精算したあと、実際の陸連の利益取り分が1500万ドルを下回っていても返金しないことで両者は合意していたという。穴は電通が埋めるから持ってけ、というのだ。
「なぜ国際陸連と電通の当初の合意にあった支払い条件が再交渉されたのか、まったく理由がわからない」と弁護士は述べている。それによると陸連の会計処理では、「電通利益分」が13年(つまり新契約署名の前年)に300万ドル、14年に1200万ドルとして計上されたという。
東京がイスタンブールを60票対36票で破って20年五輪開催を決めたのは、1年前の13年9月7日だった。契約更新前の先払いという不自然な形となったのは、ディアク親子に支払った「報酬」の会計処理に困り、翌年の契約更新にかこつけてキックバックに紛れ込ませたのではないか。
電通の山本敏博社長に質問状を送ったところ、広報が「国際陸連に対しては契約に基づき、正当な対価を支払っている」「個別取引の契約内容の詳細については開示しない」と素っ気ない回答で、1500万ドルを電通がどう会計処理したのかには触れなかった。同様の質問に対し、パパ・マッサタは「国際陸連が1500万ドルを受領する権利は(新)契約で定められている」とメールでル・モンドに回答した。だが、その振込先については回答がない。
業界関係者はこう見る。「最近のスポーツ権益の契約書はもっと緻密です。これは90年代の古いタイプで、覚書みたいに項目がスカスカだ。振込先の指定口座が契約に書いてないのは怪しい。連盟の公式口座でなく、前会長指定のダミー口座に振り込んだかどうか、国税が確かめるべきです。それに、係争時は第三国の法律に従うとすべきなのに、ザル法のモナコ法に準拠とあるのも甘い。最初から裏金との認識では?」
国際陸連の理事会は電通との契約についてカヤの外だったようだ。新契約や修正条項などの内容を、理事会は知っていたのかと問い合わせると、こう回答してきた。
「以前の規則では、国際陸連の契約締結に関しては会長に一任で、執行部は個別契約の細部を知らされないのが慣行だったと理解している。17年に改定された新規則では会長の権限が変更された」(国際陸連広報ジャッキー・ブロックドイル)
パパ・マッサタが開催地投票当日の9月7日、会議中の父に送ったと見られるメールをル・モンドは入手している。
「アフリカ票について情報。シェイク・アハマド〔クウェートのIOC委員〕が全力を挙げてマドリード投票でアフリカ票を固めようとしている!!! 休憩時間中に止めなければならない。マッサタ」
ディアク会長は「会議の後で話そう」と返事した。結局、立候補していたスペインのマドリードは第一回投票で敗退した。ディアク親子の連携が効いたのだろうか。
顧問弁護士が、通常の取引慣行と異なる「特異な」条項として疑問符をつけるのが、利益分配の計算。電通と国際陸連の契約では、第三者から得た利益を元に、経費と最低保証費を控除した上で40%を陸連の取り分としているため、パパ・マッサタやAMSなど多くの仲介者が入ってピンハネすれば陸連の最終的な取り分が減ってしまう。「電通はしばしば陸連のマーケティング権を他企業に転売しているため、かなりの利益が各階層に落ちることを意味する」と弁護士は述べた。現行契約は、電通は契約執行にあたり引き続きAMSのサービスと幹部の協力を必要とすると明記しており、「AMSは毎回、多額の隠れた利益が得られる立場にある」とこの弁護士は指摘する。
これと同様に、放映権やスポンサー契約ではパパ・マッサタが間に入って手数料を得ることができる構造になっていた。電通もAMSも、パパ・マッサタが国際陸連とコンサルタント契約を結び、AMSの委託も受けているという「両サイドから利益を得られる」立場にあることを承知の上で、こうしたピンハネ構造を選択したと弁護士は大審院宛ての書状で非難している。
弁護士は電通への不信を隠さない。TBS系列が独占放送する「世界陸上」のほか、国際陸連主催のワールド・アスレチック・シリーズ(WAS)に関する全メディアとマーケティング権を含む知的所有権を電通に移転することで合意しているが、WASの利権に関し電通は陸連の合意なしに事前に相談さえすれば転売する権利があるのは「驚きだ」という。「国際陸連は電通の会計監査をする一切の権限を有していない」ため、発生した利益の40%が実際に陸連に支払われたのかさえ確認できないからだ。
ル・モンドに対しパパ・マッサタは「国際陸連と電通間の契約で手数料を得たことはない」と否定し、自分の仕事は「AMSが契約で定めた独占販売地域で、スポンサー契約とテレビ放映権を売っただけだ」と回答している。電通とのパートナーシップにより国際陸連は01年から30年間で4億9200万ドルの保証金を手に入れることになった、とも述べた。
別働隊のAMSは沈黙している。
これが広告業界では売上総利益で世界5位の電通の実態なのだ。国内では「ブラック企業」の烙印を押され、海外ではスポーツビジネスで「毒サラ」の深みにはまった。元専務、高橋治之が君臨したジャパンマネーの黄金時代も今は昔。中国や中東の札束の前で、電通は危ない橋を渡らないと対抗できないのだ。東京五輪組織委を事実上仕切っているのは電通スポーツ局である。オトモダチの森喜朗会長、竹田JOC会長とともに「カネまみれ五輪」を踊らせるが、ロシアのドーピングまみれと変わらない。
日本に五輪開催の資格はあるのか。
電通を震えあがらせよう。FACTAオンラインをご覧あれ。4通の秘密契約書をインターネットにさらせば、TBSはじめ民放やNHKなど放映権の買い手や、企業の広告担当者も、あっと驚くだろう。ディアク親子に払った怪しげな“裏金”を米司法省が贈賄と認定したら、海外腐敗行為防止法(FCPA)違反で米国内は営業停止になる。汚れた20年東京五輪の下には電通の屍体が埋まっているのだ。(敬称略)