狙われた桜井誠が「在特会」を離脱

橋下市長との「罵倒対決」で名を売り、著書はバカ売れだが、公安警察は見逃さない。

2015年1月号 DEEP

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バカ売れの著書『大嫌韓時代』(青林堂)

12月4日、警察庁警備局は国内外の治安情勢をまとめた「平成26年版治安の回顧と展望」を公表した。「極左暴力集団」「オウム真理教」など毎度おなじみの「危険分子」の名が列挙される中で、「違法行為の発生が懸念される」として今回初めて仲間入りした団体がある。「在日特権を許さない市民の会」(以下、在特会)だ。過激なヘイトスピーチがたびたび問題視される保守系市民団体という紹介より、「橋下徹大阪市長と子供のケンカのような罵り合いを演じた桜井誠がつくった団体」と言った方がピンとくる人も多いだろう。

公安警察はこれまでヘイトスピーチ団体を「右派市民グループ」とひとくくりにしていた。それがここにきて「在特会」だけを名指しにした背景には、桜井誠の知名度が急に上がったことがある。橋下との「世紀の泥仕合」が全国ネットで放映された後、桜井の著書は売り上げが急増。出版不況のなか、8刷9万部にも及び、講演依頼なども増えている。つまり、「信者」を急速に増やしている活動家・桜井誠を、当局も無視できなくなったのだ。

「桜井誠」とは何者か

そんな逆風を察知したのか、桜井は11月で在特会の会長を退任し、在特会からも退会すると宣言した。かねて後進に道を譲りたいと考えており、2年間の任期を終えたと本人は説明しているが、「我が身に司直のメスが入ることを恐れているようだ」(桜井を知るジャーナリスト)と見る向きもある。

いずれにせよ公安警察がマークする桜井誠とは何者なのか。まず「桜井誠」はペンネームであって本名は高田誠。1​9​7​2年、福岡県北九州市出身の42歳。高田の生い立ちを追ったジャーナリスト安田浩一の著書『ネットと愛国』(講談社)によると、高田は、孫正義の生家にほど近い住宅街で、「無口で目立たない」少年時代を過ごした。高校卒業後、地元で20代前半までアルバイトなどをして過ごし、97年ごろに上京。警備員や役所の臨時職員などの仕事をするかたわら 「Doronpa」なるハンドルネームを用いて「独学」で学んだ日韓の歴史問題を論じるブログを開始。並行して「日韓歴史問題研究会」を立ち上げ、2​0​0​5年7月30日には「ネット言論から始まる韓国問題~暴走する韓国の反日~」という公開シンポジウムを催す。05年といえば、「竹島の日」が制定され、韓流ブームから一転、日韓関係に緊張が走り始めた時期だ。当然、この市井の「日韓史研究家」を名乗る若者に、メディアのお呼びがかかる。

スカパーやネットで番組を配信する「日本文化チャンネル桜」にゲストとして招かれ、TBSの討論番組にも出演。タレントを前に自信満々で持論を展開する高田は次第にネットの世界で「カリスマ」になってゆく。そこで06年に、高田が中心となってネット上の勉強会「東亜細亜問題研究会」が設立された。在特会の初期中核メンバーの多くは、その参加者だ。この勉強会を母体として、「在日を他の外国人と平等に扱うこと」を目指して、入管特例法を廃止するために在特会という組織が発足した。

その当時、高田に大きな影響を与えたのが、同じく保守系市民団体「主権回復を目指す会」(以下、主権会)の代表をつとめる西村修平だ。サラリーマンから政治団体「國民新聞社」の記者に転じ、中国によるチベット侵攻やシーシェパードなどへの抗議を続ける西村に高田は心酔し、後にこのように述べている。

「この人のやり方を見て、少なくとも私はその今の在特会、行動する保守運動のスタイルというのを決めたわけですし。ものすごい影響のあった人、ひとりの活動家として私はこの人に憧れたことも事実なんですよ」(ニコニコ動画Makoトーク2​0​1​4/9/13)

実際に在特会設立当初、両団体共催デモの映像を見ると、「朝鮮ウジ虫、ゴキブリは帰れ!」「キムチ野郎」などと声を張り上げているのは西村であって、高田はその傍らで不安そうに周囲を窺っているだけだった。

だが、師弟関係はほどなく終わる。抗議活動で逮捕されたメンバーへの対応をめぐって、西村と高田は対立し、袂を分かったのである。その後、西村は過激路線から穏健派に「転向」した。11年からは韓国大使館の前で一言も言葉を発さずにプラカードを掲げる「無言抗議」を続けるなど、「在特会と仲間ではない」というアピールに力を入れている。さらに、14年9月21日には「在特会によって貶められた愛国運動と日章旗」なるシンポジウムを開催し、在特会を批判するジャーナリストらと、高田に公開討論会を申し込むなど「不遜の弟子」への攻撃を強めている。

維新の党に声を届ける

高田を「標的」にしているのは当局や西村だけではない。今年に入って東京、名古屋、大阪で行われたアンチデモは、いずれも在特会支部・協力団体を上回る規模となり、先のシンポジウムの翌日に新宿で行われた差別撤廃デモには約2千人(主催者発表)が集まった。このような「アンチ在特会」の勢いが増していることも高田が退会した原因ではないかと囁かれている。

「在特会の過激さのシンボルであり、敵だらけの『桜井誠』が身を引くことで、組織を守り、新たに生まれ変わろうとしているのではないか」(元在特会メンバー)

確かに、高田の後任となった八木康洋会長はホームページで自らの任期を「変化の2年」にすると宣言し、こう述べている。

「先の大阪市長との対談の後、橋下氏が約束してくれました通りにします。政治家に直接声を届けます。会員の皆様は維新の党の議員に届けるために、支部運営や執行役に意見を出していただきたいと思います」

実は維新の党と在特会は、例の罵倒対決の前から深い関係が取り沙汰されてきた。15年の統一地方選では、在特会の元会員が維新の公認候補になっている。さらに、元会員が立ち上げた「教育再生 地方議員百人と市民の会」には、大阪維新の議員たちが多く名を連ねている。

橋下との面談で、政治家になれと勧められた高田は「政治に興味はない」と切り返したが、新会長の言うように、会員が政治家(維新)に働きかけるとなれば、もはや高田の居場所はない。政治に直接声を届ける道を選んだ在特会にとって、「桜井誠」は用済みということか。

   

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