編集後記

2013年8月号 連載
by 宮

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6月26日、1F(福島第一原発)は3人目の所長を迎えた。小野明氏(54)。「中学時代にオイルショックに遭い、資源のない日本は原子力しかないと思いました」。原子力がやりたくて東大工学部原子力工学科に進み、迷うことなく東京電力に入った。

当時、2F(福島第二原発)の1号機が運開したばかり。以来、1Fと2Fの現場を15年も歩き、「福島が第二の故郷になりました」と語る。燃料から運転、保全、バックエンド(高レベル廃棄物)までフルコースで経験し、自他ともに認める「原発の虫」である。

一昨年12月に神奈川支店から1Fユニット所長に呼び戻された時、食道癌を患った吉田所長から一通のメールが届いた。「急な話で申し訳ないが、いずれは君に頼むしかないと思っている」と。4月末に廣瀬社長から内示を受けた時は覚悟ができていた。同じ原子力の職場で知り合った夫人から「名誉なことじゃない」と励まされたと言う。

政府の廃炉対策推進会議のロードマップによれば、燃料デブリを取り出し、建屋等を片付けるまで半世紀の歳月がかかる。吉田氏の後を継ぐ20人以上の歴代所長に先駆の気概がなければ、この難事業はおぼつかない。

「吉田、高橋(毅・二代目所長)の代は、原子炉の安定と放射性物質の拡散防止という、目の前の危機との戦いでした。私の代になって初めて、少し長い目で仕事のやり方、進め方を考え、恒久的な組織作りができるようになります。その道筋をつけるのが、バトンを受け取った私の任務です」

7月9日、吉田さんが天に召された。死を覚悟した現場ほど尊いものはない。不眠不休で困難に立ち向かう姿は、まさに「男の中の男」――。その非業の死を決して忘れまい。〈一粒の麦、もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん。死なば多くの実を結ぶべし〉

   

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