読売が不毛な「出版妨害訴訟」

巨象のような大新聞がアリのごとき出版社の言論・表現の自由を踏みにじるとは─。

2012年6月号 LIFE

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七つ森書館のノンフィクション・シリーズ「人間」のパンフレット

作家の江上剛氏は、本名を小畠晴喜といい、高田馬場や築地の支店長も務めた第一勧業銀行(現みずほ銀行)の銀行マンだった。

彼が文筆業の道を歩き始めたころ、出版社の編集者に戒められたことがあったという。

「小畠さん、会社を辞めてはいけませんよ。銀行に勤めながら書くのはいいでしょうが、辞めて食べていくのは大変だから」

その編集者は、プロの物書きの生活がいかに厳しいものであるかを承知していたのだろう。そして、活字文化の未来が必ずしも明るいものではないことや、金融界にいる限り、小畠氏が一目置かれる存在であることも。

「補償はお金で」と申し入れ

小畠という名前が金融界やマスコミに知れ渡ったのは、第一勧銀が総会屋に巨額の利益供与をしていたことが発覚した1997年のことである。

利益供与事件では、同行の頭取経験者らが次々に逮捕され、宮崎邦次元会長の自殺という悲劇的な事態に至った。さらには大蔵省、日本銀行、政界などに波及し、自殺者6人、逮捕者45人を出す未曾有の金融不祥事に発展した。

広報部次長だった小畠氏は、第一勧銀の上司ら3人とともに利益供与事件の事実究明と収拾に奔走し、「一勧4人組」と呼ばれた。彼らの苦悩と金融界の混乱は、読売新聞社会部が翌98年に、新潮社から出版した単行本『会長はなぜ自殺したか―金融腐敗=呪縛の検証』に詳細に描かれ、大きな波紋を巻き起こした。金融界とその監督官庁がその中枢まで汚染されていた実態と、たとえ4人にせよ、銀行幹部の隠蔽行為に対して異を唱えるサラリーマンがいたという事実が読者に驚きを与えたのだった。

ところが、小畠氏ら硬骨の4人組の存在を世に知らしめた読売社会部のその本が今、当の読売新聞社によって封殺されようとしている。

発端は、東京都文京区の「七つ森書館」(中里英章代表)が2011年9月から刊行しているノンフィクション・シリーズ「人間」の一冊に、『会長はなぜ自殺したか』を選出したことだった。七つ森書館はスタッフ5人の小さな出版社だが、『高木仁三郎著作集』『原子力市民年鑑』『自然エネルギー白書』など脱原発系の本を刊行し、3・11後の時代にあって注目を集める出版社である。

このシリーズは、評論家の佐高信氏に監修・解説を依頼し、日本のノンフィクションの秀作を復刊し世に広めることを狙ったもので、第1回配本として、佐木隆三氏の『越山 田中角栄』、立石泰則氏の『松下幸之助の昭和史』、久田恵氏の『サーカス村裏通り』の3冊を同時に刊行していた。

その後も、石川好氏が大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『ストロベリー・ロード』、中薗英助氏の名作『何日君再来物語』、鎌田慧氏の『反骨 鈴木東民の生涯』を復刊、選ばれたものはいずれも出版界では評価が定まった作品ばかりだ。

問題の『会長はなぜ自殺したか』は、読売新聞社会部の清武英利次長(当時。その後、読売巨人軍球団代表兼GM)が中心になってまとめたもので、総会屋の癒着と腐食の連鎖を詳細に追及し、社会部の組織取材の原点と評価されていた。

七つ森書館などによると、10年12月から読売新聞社と交渉を始め、著者名を「読売社会部清武班」とすることも合意したうえで、11年5月に出版契約を結んだ。『会長はなぜ』の取材記者も務めた読売新聞社会部次長(当時)が交渉の窓口となり、読売新聞社の法務部と協議したうえで結ばれた出版契約だった。

ところが、その約半年後に、清武球団代表が読売新聞グループ本社の渡邉恒雄代表取締役会長・主筆を記者会見で告発し、「球団私物化」を批判すると、対応が一変した。昨年12月、読売側は「清武問題」を理由に、「出版契約を解除したい。補償はお金でする」と申し入れたという。

出版とは全く無関係な理由であるため、七つ森書館は刊行を延期したうえで契約履行を要望したが、読売新聞社は代理人交渉に乗り出し、今年4月11日、出版契約の無効を確認する訴訟を東京地裁に起こした。

読売新聞社の主張は「読売新聞社の出版契約は局長が了解、決定するのが通例だが、今回は権限を持たない社会部次長が署名しているから無効である」というものだ。しかし、七つ森書館は、読売の法務部などと連絡を取って契約したのであって、今になって「局長が知らなかった」というのは牽強付会としか言いようがない。

世界最大の新聞社と豪語する読売新聞社が、小出版社を訴えることによって出版を妨害した、と批判されても仕方ないのではないか。

「新聞の特権」ばかり主張

新聞社は事あるたびに、自らを活字文化の代表であり、日本の教育や民主主義の維持発展に多大な貢献をしてきたとして、新聞購読は必要欠くべからざるもので、新聞の特権――再販制度や新聞特殊指定の維持も当然と主張してきた。

〈新聞は広く国民に、日々生
起する内外の広範な情報や多様な意見、評論を正確かつ公正に提供することにより、現代社会の全体像を分かりやすく伝え、民主主義社会の健全な発展と文化の向上に大きく寄与しております〉

これは02年9月、日本新聞協会が自民党政務調査会に税制改正を陳情した要望書の一節だ。当時の協会会長は、読売の渡邉会長だった。

今回の出版妨害訴訟を指示したのが、その渡邉会長だとしたら、「民主主義社会の健全な発展と文化の向上」が聞いて呆れる。巨象のような読売グループに比べればアリのような小出版社でも、カネで言論・表現の自由は売らないことは誰でも知っている。野球界のように、勝利や選手をカネで買える世界ではないのだ。それを権力者に告げる「忠臣」はもう、読売には誰もいないのだろうか。

本誌の取材に対し、読売新聞広報部は「正式な手続きを経ないで進められたために起きた問題。著作権者である当社が望んでいない出版物を出さないように求めることに、出版妨害の批判は当たらない」と反論した。その主張を、読売の記者たちはどう受け止めるのか。

   

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