編集者の声・某月風紋

2012年6月号 連載
by 宮

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〈智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ〉

幼き日、あどけないと云う儚(はかな)くも美しき言葉を教えてくれたのは高村光太郎である。

智恵子のふるさとは阿多多羅山(あたたらやま)の麓、福島県二本松市。この地には2万余の人びとが家を追われた浪江町の「仮の役場」があり、市内11カ所に計1069戸の仮設が立ち並ぶ。

土曜の昼下がり、六軒長屋のプレハブ40棟からなる「安達運動場仮設住宅」の路上には犬が寝ころび、子どもたちがふざけ合っていた。その敷地内に町が独自に導入した「ホールボディーカウンター」棟が完成し、すべての町民を対象とする内部被曝検査が始まった。

浪江の悲劇は、10キロ圏内に避難指示が出た3月12日の朝、町民約8千人が北西29キロの津島地区に逃げたことに始まる。その後、3→2→4号機で水素爆発が起こり、風に乗った放射能が雨雪交じりに降り注いだ。ところが、県の災害対策本部は、12日からメール送信されていたSPEEDIの拡散イメージ図86通を握りつぶし、文部科学省は毎時300μSVを超える線量を計測していたのに、町には何も知らせなかった。国と県が直ちに情報を公開していれば無用の被曝は避けられた。避難先を転々として命を落とさずに済んだ人もいたはずだ。認定された震災関連死者は80人を数える。みなし仮設(借り上げアパート)に住む50代の女性は「もっと亡くなっている」と言う。

娘夫婦と仮設住まいを始めた老父は精神を病み、夕方になると「死にたい、死にたい」と涙を流すようになり、ある晩、首を吊った。「目を離したばっかりに……」と嘆き悲しむ娘夫婦はどこへとは言わずに出て行った――。適切な避難指示を出せず多くの関連死を招いたとして、浪江の馬場有(たもつ)町長は業務上過失致死で国と県の担当者の刑事告発を検討している。

   

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