庄司 慈明氏 氏
石巻市議会議員・税理士
2011年9月号
LIFE [インタビュー]
インタビュアー 本誌 宮嶋
1951年石巻市生まれ。東北学院大卒。32歳で税理士事務所を開業。市議5期目(共産党所属)。自宅は全壊。湊小学校に避難し、災害対策本部長を務める。今も被災者のひとりとして避難所で暮らす。
――津波に追われたそうですね。
庄司 仕事中にビルが倒壊するような激震に見舞われました。ラジオで大津波が来ることを知った私は自転車に乗り避難を叫び続け、最後の瞬間、振り返らず湊小の2階へ駆け上がると、校庭にクルマやガレキを呑み込んだ真っ黒な泥流が押し寄せていました。もし5秒遅かったら命はなかったと思います。
自宅は全壊でした。震災当日、湊小の2~4階には約1100人が避難し、避難所のリーダーを務めることになりました。湊小は完全に孤立し、3日3晩飲まず食わずで、電気もガスも水道もなかった……。
――今はどうなっていますか?
庄司 私を含め70世帯109人が教室で寝起きしています。うち63世帯が仮設住宅の当選待ちです。8月4日現在、石巻市の69の避難所で2855人が暮らしています。かなり減ってきましたが、被災者の生活が回復したわけではありません。石巻には避難所に入らず自宅で生活する「在宅被災者」が約3千世帯(約1万人)もおり、市当局に日々の食料配給を求めています。
――電気、水道のライフラインが復旧し、商店も営業再開したのに、なぜ、配食支援を続けるのですか?
庄司 被災世帯の多くが肉親を亡くし、家を流されただけでなく、職も失いました。石巻市の被災は突出しています。人口16万3千人に対して死者3015人、行方不明890人。東北3県の死者の5人に一人は石巻市民です。ガレキの量も桁外れです。東北3県の合計2247万トンに対し、石巻市だけで616万トン(全体の27.4%)。これは岩手県全体のガレキの1.37倍。ちなみに石巻市のごみ処理量は年間5.8万トン。106年分の廃棄物が出たことになる。さらに、石巻市内の事業所約9千のうち浸水被害を受けた事業所が7800(87%)に及び、主力の水産加工業が壊滅したため、1万人を超える失業者が出ました。生活の展望も収入もないので公的支援に頼るのも無理はないのです。また湊地区では再開した商店はありません。多くのクルマが流出し、買い物に行けません。
――復旧需要の効果は?
庄司 建設・土木関連の求人は増えていますが、有効求人倍率は0.3に落ちています。今後、失業給付期間が切れ、石巻を離れざるを得なくなる人が続出しそうです。
――政府の復旧関連予算は?
庄司 総額2兆円の第2次補正は予備費が4割です。お話になりません。肝心の復興基本方針に基づく予算編成(今後5年間で13兆円投入)は、9月以降の「ポスト菅」政権に持ち越されました。民主党も自民、公明両党も、首相を引きずり降ろすための「復興政局」に明け暮れています。それゆえ震災から月日が経つのに、国の復興支援には財政的根拠がない。実は菅首相が「死に体」であろうとなかろうと、国がやるべきことは決まっています。本格的な復興政策を行う第3次補正は、次の総理の手でとは、何と悠長なことか。被災地の困窮は目に入らないようです。
――故郷をいかに復興しますか?
庄司 市は6月に「災害に強いまちづくり構想」を発表。甚大な被害を受けた市街地に建築制限をかけ、津波による被害を防ぐため、高盛土道路や防潮堤を二重に整備する構想です。また349人の住民の187人が死亡・行方不明となった釜谷地区や長面地区、漁港が壊滅した雄勝地区などは、防災集団移転促進事業による高台などへの住宅地移転を計画しています。しかし、現時点では、国の財政支援や安全基準が示されていないので、具体的な計画策定は進んでいません。失ったものは数えない。残ったものを数えて、光を見出そうとするが、失ったものがあまりに大きすぎるのも、事実です。
我々は防災に強いまちづくりに心血を注ぎますが、石巻の経済・雇用対策は地元の手に余る。政府の産業政策の一環として、国の力で我が国有数の水産都市を蘇らせてほしい。