「宝永噴火」(1707年)はM8.6の大地震の直後に発生。火山灰などによる健康被害は1250万人に及ぶ。
2011年8月号 DISASTER [ 想像絶する「火山灰被害」]
およそ300年前のある日の昼下がりにタイムスリップしてみよう。農家の縁先には茶飲み客がいた。「夕べの地震は魂消(たまげ)た。今朝までに7、8回揺れましたな」と客が言う。「先月起きた東海道の大地震とは違う揺れ方だった」と主が応ずる。キセルを手にして2人の会話は続く。「江戸で大地震があったのは4年前。あれから地震続き。富士山の方からは変な音がする」「もう、うんざり……」と客が熱い茶を啜ろうとした時、突如雷鳴が轟き、地面が大きく揺れ、稲妻が走った。富士山から黒雲がわき上がり、あたり一面が暗くなり、ほどなく空から無数の石が降り、地面で砕け散った。主は台所から鍋を持ち出し、2人は鍋を被って遁走した。
1707(宝永4)年11月23日、富士山が噴火。山腹の南東側6合目付近に宝永火口が出現した。「宝永噴火」の始まりである。富士山麓の自衛隊演習場に近い御殿場市中畑には、 ………
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