「デフレの正体」信じる愚劣

「物価」と「価格」は違う。藻谷氏の勘違いに乗じ、金融政策は迷妄を突き進み、産業政策も干渉に回帰する。

2011年3月号 COVER STORY [日銀の隠れ蓑]
by 高橋洋一(嘉悦大学教授・政策工房会長)

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講演を終えて意気軒高な白川日銀総裁だが(2月7日)

AP/Aflo

国債格付けばかりか、経済そのものにも「疎い」菅直人首相が1月10日、東京・八重洲の書店で日本政策投資銀行参事役、藻谷浩介氏の『デフレの正体』(角川新書)など7冊を購入したというニュースがあった。やはり首相の経済ブレーンがしっかりしていないのだなと思わざるをえない。

同書はかなり好評で、公称50万部突破と売れている。「そうだったのか」のわかりやすい解説で定評のある池上彰氏も「藻谷さんは、労働力人口が減るということは、活発な消費活動をする若い人が激減するのだから、需要不足になり、デフレになるのは当然だ、と指摘します。(中略)目からウロコでした」(「文藝春秋」2010年8月号)と絶賛した。

実は「日本のデフレは金融緩和が効かない性質のもので、原因は人口減による供給過剰による」と藻谷氏が唱えるデフレの「人口原因説」はかなり以前からあった。

デフレでない「デフレ」

人口減少によっていろいろな経済現象を説明しようとする試みは、古今東西に数多い。有名なのは1990年代に株価予想で知られる米国のハリー・デント氏が唱えた「スペンディング・ウェーブ」(支出の波)というものだ。人口という単純な話で、複雑な経済現象が説明できるので、経済学を知らない人にもウケる。池上氏もそこに惹かれたのだろう。

実際にビジネスに携わる人からみれば、人口が需要要因として大きいのは自明だ。自分のビジネスの動向もなんとなく分かるという共感も得られる。しかし、正統派経済学からは異端視されている。というのは、人口要因が需要の大きな構成項目であるのは当然だが、供給面をまったく考慮していないからだ。

もっとも『デフレの正体』の問題はそこにはない。この本で扱っている“デフレ”が、本当のdeflationではないことが問題なのだ。

deflationとは、経済学で「一般的な物価水準の持続的下落」と定義されている。国際機関などでは、GDP(国内総生産)デフレーターが2年続けてマイナスの場合をいうのだ。「一般的な物価水準」とは個別品目の価格ではなく、全品目の加重平均である物価指数を指す。この意味でdeflationは、一般物価というマクロ経済現象なのだ。

国際標準の「デフレ」の意味で考えると、デフレの問題は雇用喪失や設備投資減少を引き起こすことにある。そのロジックは――マクロ的な意味での名目賃金や名目利子率には下方硬直性があるため、一般物価の下落に対して名目賃金や名目利子率がうまく対応できず、結果として実質賃金や実質利子率(それぞれ名目値から物価上昇率を引いたもの)が高くなるというものだ。ケインズの『一般理論』を読んだ人ならそれはイロハだろう。

だが、『デフレの正体』でいう“デフレ”とは、筆者自身の弁では、耐久消費財などの個別品目の価格の下落を意味しているという。であれば、その“デフレ”はdeflationとはまったく違う個別価格の下落現象である。要するにそれはミクロ現象であってマクロ現象ではない。

マスコミが使っている“デフレ”もdeflationではない場合がほとんどだ。要するにデフレという言葉をきちんとした定義もなく、場当たりで使っているだけなのだ。これではデフレの弊害も論じられず、解決策も出てこない。ミクロ経済とマクロ経済の混同は、プロである経済学者でも往々にして見られる。高名な経済学者が公開の議論の場で一般物価と個別価格(相対価格)の混同を指摘され、一悶着あったことさえある。

ちなみに法律の世界でもミクロとマクロは書き分けられている。若干の例外はあるが、「物価」は法律用語では一般物価を指し、「価格」は個別価格を指す。その例外の代表は「物価統制令」だろう。

ミクロの「価格」とマクロの「物価」の関係をあえてたとえれば、全国の学校で一斉テストをしたとき、ミクロとはあくまで個人のテストの成績であり、マクロとは全国平均である。全国平均はテストの難易度によって基本的に上下する。全国の生徒が総じて学力低下している場合もあるが、それは国際比較などでチェックするしかない。

物価は価格の平均なのだから、価格が物価に影響する、という程度の理解なら、両者をあえて区別する意味も少ないように見える。それをなぜ区別するかと言えば、物価の決まり方に特徴があるからだ。

物価と人口増減は低相関

その理解のために、耐久財と非耐久財があるとして、耐久財の個別価格が下がる時をイメージする。ベースマネーが所与の場合、非耐久財の個別価格は上がる。その理由は耐久財が安くなる分、余裕ができて非耐久財を買うからだ。こう考えると、ミクロの個別価格の変動がマクロの物価に影響を与えないこともわかるだろう。ミクロの個別価格の平均としてマクロの物価があると思い込んでいると、個別価格が上がればその平均も上がると考えがちだが、ちょっと短絡的だ。マクロ物価はベースマネーから決まってくる。この点において、ミクロの価格とマクロの物価を区別する意味が出てくる。

一方、個別価格が人口によって左右されることはよくある。個別価格は需要と供給との関係で決まるが、人口は需要の大きな要素になり得るからだ。供給については短期的に調整できない。特に競争的な産業では、個別企業での生産量縮小は自らの収益減になるため、各社がカルテルでも結ばない限り生産調整はできず、需要減がそのまま価格低下に結びつくことが多いからだ。

以上は抽象的な思考の結果であるが、具体的なデータで確認しよう。

物価の下落(本来の意味でのデフレ)は、実は人口の増減と関係がない。日本の物価上昇率と人口増減率を1990~2008年の時系列でみよう。その場合、両者の関係を示す相関係数は0.4程度でやや相関があり、物価と人口増減とで関係があるようにみえる。しかし、データを00~08年に絞ると、相関係数はマイナス0.7。むしろ人口減はインフレと関係があることになる。

また、各都道府県を横断的に見て、人口増減率と物価上昇率を00~08年で平均してみよう。その場合の相関計数はマイナス0.3程度であり、このデータからも人口減はデフレの原因とはいえないことになる。

次に世界銀行のデータベースから、世界各国を横断的に見てみよう。人口増加率と物価上昇率を00~08年で平均してみる。173カ国の中でジンバブエの物価上昇率は異常に大きいので除外しておく。すると相関係数は0.1程度と、ほとんど相関がない。なお人口の増減だけでなく、年齢構成など人口の構造にも関係するかもしれないので、非生産人口比率(15歳未満、65歳以上の人口の比率)の増減をとっても、物価上昇率との相関係数はほぼゼロだった。

人口が減少したり、生産人口比率が低下している東欧ではデフレになっていない。人口減少速度の大きな韓国もそうだ。他方、世界各国の通貨量増減率と物価上昇率の関係をみてみると、相関係数は0.7程度とかなり高い。これほど相関度のある他の要素は見あたらない。

以上から、デフレは人口とは無関係で、通貨量と関係があることが確認できる。

行政ニュートラルから脱線

一方、個別の価格、例えば耐久消費財の価格は、平均の物価に比して最近時点でより低下が大きくなっており、需要減のためと思われるが、その原因として人口要因があるだろう。ちなみにその場合、理論の想定どおりに非耐久財の価格は平均の物価より高めになっている。

『デフレの正体』も、著者が言うように「耐久消費財価格の下落の正体」としておけば、正しい分析であっただろう。マスコミを含む多くの人が「耐久消費財価格の下落」を“デフレ”と勘違いしているのは何とも皮肉な話だ。この誤用は二つの意味で罪深い。

第一は、金融政策のベースマネーで対処できるはずのデフレが、人口要因に規定されて「金融政策では対処できない」との印象を広く一般に振りまくことだ。

第二は、行政は本来、一般物価を対象とすべきなのに、個別価格へも政策関与したい官僚にお墨付きを与え、その権限拡大本能を助長し、官僚主義を許してしまうことだ。

前者は日銀、後者は政府、とりわけ60~80年代の日本株式会社型産業政策に郷愁の強い経済産業省を利することになる。これは本来すべき仕事をさぼって、別の余計な仕事をつくり出すという意味で二重に悪い。

そもそも金融政策はマクロの物価へ働きかける政策であって、個別の価格決定に関与しないところにメリットがある。産業政策も個別の価格に関与すると、官僚の干渉で個々のビジネスが歪み、サジ加減次第では腐敗の温床にもなりかねない。経産省内には過当競争の国内業界を再編し、安売り競争を回避させるために必要と割り切る向きもあるが、行政はニュートラルでなければならない。

日銀の白川方明総裁は、この「物価と価格の違い」を当然知っているはずだが、流行のデフレ「人口原因説」に便乗している節がある。

2月7日の日本外国特派員協会での講演でも「潤沢な資金供給は重要だが、これだけでデフレの問題が解決するわけではない」と述べたが、米国の例を出したのはミスリードだろう。確かに米国の物価の動きは鈍いが、物価より経済活動に重要な予想インフレ率ではすでに回復し、そのために実質金利が下がり、設備投資の増加が見込まれているからだ。

米国より目に見えてわかりやすいのはスウェーデンだ。同国でもリーマン・ショック直後は物価上昇率がマイナスになった。そこでスウェーデンの中央銀行はバランスシートを3倍に膨らます金融緩和措置を行い、今ではインフレ率は2%程度まで回復している(図1参照)。

他の先進国でも中央銀行は大胆な金融緩和でデフレからすぐ脱却した。ところが、日銀は出し惜しんで形ばかりの金融緩和でお茶を濁し、いまだにデフレから脱却できない。日本と他の先進国の経済運営の差は、中央銀行にあることがリーマン・ショック以降明らかになった(図2参照)。

日銀はバランスシート拡大に慎重な理由を日本の金融機関の健全性に求めていた。だが、金融機関の健全なスウェーデンでもバランスシートを拡大させてデフレ脱却を遂げたのでもう理由にならない。

そこで持ち出すのが人口原因説である。白川総裁の講演は『デフレの正体』をアリバイにしている。

「90年代末以降における緩やかながらも長期にわたるデフレ傾向は、短期・循環的な要因だけでは説明できません。より根源的な原因は、日本経済の成長力の趨勢的な低下傾向にあると判断しています。成長率が長期にわたって低下する状況の下では、人々の所得増加期待は低下し、企業や家計の支出活動が抑制されてしまうため、物価下落圧力が続きます」

「成長力の趨勢的な低下傾向」の裏に人口減少の想定があることは明らかだろう。他の先進国の中央銀行が行った金融緩和を怠ったにもかかわらず、日銀は精一杯やってもできなかったという言い訳にしている。だが、その説明で使った図(前ページ参照)は、潜在的な成長率は予想インフレ率と高い相関があることを示している。これは笑える。日銀は墓穴を掘ったことに気がつかないのか。

利上げDNAがちらり

まさしく予想インフレ率を動かすことが中央銀行の仕事なのだ。すでにリーマン・ショック以降、米国では予想インフレ率が上昇したと書いたが、他の先進国でも同じだ。日本でも遅ればせながら金融緩和したことで予想インフレ率は少し上昇している。その度合いは、どの程度緩和したかに依存している(図3参照)。

このように中央銀行のバランスシートの拡大による通貨増(ベースマネー増)は、まず予想インフレ率の上昇になる。その次に実質金利が下がって設備投資需要が拡大したり、通貨安になって輸出が伸びたり、株式等資産市場が活況になり消費が増えたりするが、ベースマネーが増加しても物価はすぐに上昇せず、遅れて上昇するタイムラグがある。

だから、白川総裁が米国の例を挙げてデフレ脱却が難しいといったのは的外れで、ポイントは予想インフレ率なのだ。先の資料でも、予想インフレ率と潜在的な成長率には関係があると示しているではないか。

同じ講演で白川総裁は、国内景気について「踊り場から脱却する蓋然性が高まってきた」「早晩回復基調に復していく」とも述べている。日銀の宿痾――景気が上向けば、一日も早くゼロ金利から脱したいというDNAをちらつかせ始めたのだ。

だが、日銀の言う「物価の安定」が0~2%のインフレ率だとするなら、白川総裁は就任以来、達成した打率はわずか1割8分。残りはマイナス方向ばかりだ。昨年10~12月の実質成長率も年率1・1%減とマイナス成長。なのに、景気の持ち直しを自らの手柄とし、国債の格下げについては財政が「非常に悪い」と突き放す。資源や食料の価格高騰で長期金利が上昇しても、知らん顔で済ますつもりだろうか。

その隠れ蓑として『デフレの正体』に依存しているようでは、日本経済は浮かばれない。

   

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