住生活グループ――敗者復活の「ファウスト経営」

「稀代の趣味人」が父の呪縛から解き放たれて怒濤のM&A。側近に“疵モノ”三人衆を集めて突っ走る。

2010年12月号 BUSINESS [企業スキャン]

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父との確執から解き放たれた潮田洋一郎会長

Jiji Press

セ・リーグ最下位の「横浜ベイスターズ」球団を買収しようとして、土壇場で破談となった住生活グループはその5日後の11月1日、傘下5社の経営を統合し、来年4月から社名を「リクシル」(LIXIL)に統一することを明らかにした。

リクシルとは、LivingとLifeの二つの「LI」を掛けあわせた(×)という造語で、本来は球団名になるはずだった。住生活Gの悩みは、傘下にぶら下がる建材の「トステム」、衛生陶器の「INAX」などのブランドは有名でも、従業員6万人、売上高1兆円の持ち株会社「住生活グループ」は規模の割にほとんど知られていないことにある。

TBSのお荷物球団を肩代わりするのは、「リクシル」の知名度向上のため、と買収を率先した二代目オーナー、潮田洋一郎会長(56)はあけすけに語った。カチンときたのは松沢成文神奈川県知事。「会社の宣伝さえできればいいのか」と横ヤリを入れた。元ダイエーの林文子横浜市長も口を出し、地元ファンが声を荒らげ、球場株主がゴネだす。洋一郎は「ちょっと鬱陶しい」と言ってプイと横を向いてしまった。

その曲折がスポーツ紙やテレビで大々的に報じられ、皮肉にも破談で住生活Gの知名度は上がった。宣伝効果は数十億円相当と言われ「売名行為」との批判も出たが、断念の本当の理由は、読売巨人軍会長のドン渡邉恒雄が言うように「横浜球場(社名は横浜スタジアム)は株主がガメツイんだよ」の一語に尽きる。

球団経営の初歩も知らず

関内駅と横浜市役所前の一等地にある横浜スタジアムは、ベイスターズから入場料収入の25%を徴収するのに加え、広告料も物販収入もすべて吸い上げる。会長の藤木幸夫、社長の鶴岡博ともに港運、運輸会社の代表取締役で、親の代から横浜港ではコワモテの顔役。球場建設時にそうした旦那衆が、一口250万円で売り出された株を800口購入した歴史が引き継がれているからで、TBSも手を焼く存在なのだ。

だからこそ、交渉の最終段階で住生活G側が「本拠地を移したい」として新潟、静岡、横浜みなとみらいなどを候補に挙げたが、新球場建設の巨額の費用や日本野球機構の承認などの暗礁に乗り上げた。

しかし考えてみれば、事前のリサーチもなしに買収に手を挙げ、途中で球団と球場との契約が不透明なことに気づいて、泥ナワ式に本拠地移転を言い出したあげく、放り投げるというこのM&A(企業の合併・買収)は、あまりに場当たり的だった。洋一郎も含めて球界に詳しい幹部は社内に一人もおらず、打ち合わせにあたったTBSや球団関係者は、初歩から説明しなければならないことに唖然としたという。

潮田洋一郎とは何者か。

一代でトステム(旧トーヨーサッシ)を日本有数のサッシメーカーにした立志伝中の名経営者、潮田健次郎(84)の長男である。父とは違い東京大学経済学部卒業後、シカゴ大学大学院を修了した典型的な秀才コース。だが、「仕事の鬼」の父の陰で、長く鬱屈した人生を歩んだ。

「洋一郎は未だに人見知りする。君、友達になってくれないか」

ある上場企業の経営者が20年前、パーティーの席で健次郎にそう頼まれたことを覚えている。健次郎は小学校6年生で結核を患い、学歴は尋常小学校卒。宴席こそ好まなかったが、それを幅広い読書と経営者仲間の異業種交流で補い、人脈が広かった。くだんの件を頼まれた経営者も「潮田学校の生徒」を自任していた。そのとき、ポツンとひとりで酒を呑んでいた洋一郎の寂しそうな後ろ姿が今も忘れられないという。

「人嫌いではないが、仕事の話しかできない会社人間とは肌が合わなかったんだと思う。博学で頭のいい人、というのが第一印象。その思いは、小唄、長唄、端唄、茶道にピアノにカーレースと、趣味万端に及ぶことを知るにつれ強くなっていった。だけど逆に、趣味に生きて経営に身が入っていないという印象も受けた。彼は副社長から一度、平取に降格(03年6月)されているんだが、その時はやる気を完全に失っていた」

降格は強過ぎる父との確執が原因だった。本人も03年の降格は病気療養を理由にしたが、実は「もうお辞めになったらいかがですか」と進言して、父の怒りを買ったためであることを認めている。

父の「抑圧」から解放され

だが、トップ在任期間が上場企業で最長の57年に及び、「60年間、ほとんど休みを取らなかった」(08年3月に日本経済新聞連載の「私の履歴書」)健次郎もやはり老いる。

01年にINAXと経営統合、「住宅関連でナンバーワン企業となる」という夢の実現に近づいたものの、側近を次々に首にし、長男まで追い出して、後継者がいなくなった。

「すると洋一郎が『それなら私が経営しましょうか』と言ってきた。洋一郎は私が本気で経営から引く覚悟だと知り、やる気になったようだ」(「私の履歴書」)

06年11月、洋一郎が住生活グループの会長兼CEO(最高経営責任者)に就任、健次郎は取締役に退いた。さらに07年6月、健次郎は65歳の定年内規を復活させ、自分を含めて4人の取締役を退任させ、「洋一郎が経営しやすいように若返りを進めたのである」(「私の履歴書」)というから堂々の世襲。洋一郎は、嫌った父のワンマン経営によって、自由に腕を振るえる環境を手にした。

そこからは「ワンマンの抑圧」から解放され、思う存分活躍できるようになり、ここ1年はM&Aにのめり込んで、驚異的スピードで買収を進めている。

09年5月、衛生陶器世界最大手のアメリカンスタンダードからアジア部門を買収した。今年に入ると、「リクシル」をコーポレートブランドとしてまずスタートさせ、4月、株式会社LIXILを設立した。

同月、キッチン大手のサンウエーブ工業とサッシの新日軽を子会社化、9月には中国への本格進出の布石となる家電大手のハイアール(海爾)との提携を発表、10月26日、中国カーテンウオール3位の上海美特幕1に49%を出資して傘下に収めた。

その延長線上に横浜ベイスターズの買収が検討された。M&Aで拡散するグループを「リクシル」というブランドで一本化する計画は、経済合理性の通じない「プロ野球の壁」に阻まれても頓挫しない。怒濤のようなM&Aに変わりはなく、11月1日、カーテンなど内装大手の川島織物セルコンとの資本・業務提携を経営統合と合わせて発表、年内の第三者割当増資の引き受けで筆頭株主に躍り出ることになる。

洋一郎の戦略は明快である。住宅用サッシ・ドア、キッチン、トイレ、バスルーム、洗面化粧台、住宅用外壁と、住宅設備機器のすべての分野を網羅する強みを生かし、市場占有率をさらにアップ、中国を軸に世界の市場に打って出ること。そのために非効率は徹底的に排除、効率的な流通ネットワークを構築する。具体的には、今回の経営統合で各社がそれぞれに持つ総務・経理部門を効率化、ショールームなどの重複を避ける。同時に国内外でのM&Aを加速、住宅着工件数の激減という業界に漂う暗雲を吹き飛ばしたい考えだ。

「健次郎時代」を支えたトステム元幹部は、「時間をカネで買うM&A戦略は間違っていない」と言う。「年間100万戸から70万戸へと住宅着工件数が3割も減り、この減少傾向に歯止めはかからない。住宅流通を押さえたうえで、家電業界を取り込んで、セットで売り込むという発想もわかる。太陽光発電システム事業への進出、ハイアールとの提携はそこから生まれたものだ」

「失敗は経験」と社外に人材

ただ、07年6月の健次郎引退からわずか3年で、ここまで大きく舵を切った経営に社員や組織はついていけるのか。元幹部はそこに一抹の不安を覚えるという。

「トステム幹部に共通するのは、健次郎さんへの愛憎。取り立てられ、子会社の社長に据えてもらって、健次郎さんへの感謝と尊敬の念を持っていたのに、本人にしてみればささいなことで切られ、放逐され、非情な健次郎さんを憎む。そんなことが繰り返された。二代目の洋一郎さんに、そんな強さはあるだろうか」

トステムは1985年、東証2部に上場、「大型上場」と話題になり、公募増資で200億円を集めM&Aを活発に行った。85年には、高層ビル用カーテンウオールで定評があった日鉄カーテンウオール、中堅厨房機器メーカーの明和工業(現トステム可児)を相次いで買収した。同時に、門扉の東洋エクステリア、住宅用品のビバホームといった子会社戦略も進める。急拡大するグループを束ねるのは健次郎のオーナーシップであり、信賞必罰で臨んだ。その結果、社長のクビが次々にすげ替えられ、健次郎への「愛憎」が生まれた。

そして今、洋一郎も父親以上のスピードで慣習を打破して改革を断行、流通網の整備に乗り出し、海外にも打って出ている。住宅不況が逆に「何でもありの状態となって、M&Aを仕掛けやすい土壌が形成されている」と公言、スピードを鈍らせるつもりはない。

ただ、自らも苦しんだ「愛憎」ゆえに、父のような内部の軋轢を避けるためか、側近を社外に求めた。その代表が“ワケあり”三人衆である。

筒井高志副社長

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まずM&A戦略の遂行役である筒井高志副社長執行役員。筒井は野村ホールディングス取締役、野村証券専務などを経て、05年6月、ジャスダック証券取引所の社長に就任した。08年、ジャスダックは長年の協議の末、大阪証券取引所の傘下入りを決定したが、システム統合などをめぐって筒井は大証と意見が対立、煙たがられて09年1月、失意のうちに退任している。同年6月、住生活Gに入社、現在はIR(投資家向け広報)、営業開発本部、投資戦略委員会を率いており、ベイスターズ買収断念の会見にも臨んで、健在ぶりを世に示した。

工作機ファナックのCFO(最高財務責任者)から今年2月、住生活Gに移ったのが、今は構造改革本部を率いる丹澤信一専務執行役員である。

40代でファナック役員となり、注目を集めた丹澤は、近年はファナックを支配する稲葉清右衛門名誉会長に疎んじられ、出世競争からも外れて腐っていた。大学の先輩の洋一郎から「一緒に大きな仕事を!」と口説かれて住生活Gに飛び込んだ。今は五つの事業会社をリクシルのもとに統合する改革を実行中だ。

3人目は、三洋電機前社長の井植敏雅副社長執行役員である。三洋の創業家、井植家の三代目で、世襲批判を浴びながらも05年6月、社長に就任した井植は何の結果も残せず、増資引き受けの金融機関に「三行半」を突き付けられ、07年4月に職を辞した。原因の多くは父の敏に帰すもの。敏雅は「三洋を知悉する自分の改革」にこだわったが、金融機関との溝は埋まらなかった。

井植敏雅副社長

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三洋はパナソニックの完全子会社となったが、その太陽電池の実力は高く評価されており、住生活Gでも太陽発電システム事業と中国という今後を左右する二本柱を託された。中国は三洋がハイアールとの提携に将来をかけ、一敗地にまみれた国でもある。井植は今年2月に入社、洋一郎は「彼ほど修羅場を見てきた経営者はいない」と買っている。

3人とも敗者復活戦なのだ。当然、トステムやINAXには「社内にも人材はいる」と不満の声が出る。

なかでも異論が多かったのが井植である。今年1月、洋一郎は太陽光発電システム事業への参入を表明、「最後で最大のチャンスだ」と語った。住生活Gでは、太陽光発電システムを住宅設備機器の一端と位置づけ、工事やメンテナンスを含めて売り込んでいくが、太陽電池そのものの知識はない。それを補うのが井植で、技術畑ではないものの、電池事業を積極的に推進したひとりだった。

だが、三洋の敗因のひとつにハイアールとの提携失敗がある。02年1月、三洋はハイアールと包括的提携で合意、中身は家電製品を共同開発、それを日本市場で「ハイアールブランド」として販売するという“お人よし”なものだった。結果は大方の予想通り、技術だけ取られて終わった。推進役だった父の敏が05年6月に業績悪化の責任を取って退任、後継としてニュースキャスターの野中ともよを代表取締役会長に指名、その“目くらまし”の陰で敏雅は社長に就いた。

ハイアールとの提携失敗も含めた経営責任は敏雅にもあるが、「電機と建材の連携は、絶対に必要」が持論の洋一郎は敏雅の「失敗の経験」を使えると見て賭けたのである。

短兵急すぎる「資本の論理」

洋一郎のスピード感はしかし「短兵急」と表裏である。それが如実に出たのが横浜ベイスターズの買収だろう。住宅関連業界のM&Aは経済合理性でカタがつくが、本当の経営の苦労は「資本の論理」が通用しない組織や人間とどう折り合いをつけるかにある。球団買収はまさにそれで、それを「鬱陶しい」と感じた洋一郎の感性は、リクシル拡大戦略の先行きに不安を感じさせる。

米国に留学後、20代でトステム取締役に就任した洋一郎は、単なる趣味人の域を出られないのか。

「幼馴染と40数年ぶりに新橋で痛飲した。住生活グループを率いる潮田洋一郎君とである。数寄者・粋人になっていた彼の東西古典、小唄・長唄、鳴りもの、茶道具、建築にわたる学識と行動力に圧倒された。彼が『晩年はファウストのように生きたい』とメールに書きよこした」(「日経ビジネス」09年8月31日号)

そう書いたのは一橋大学の米倉誠一郎教授である。

悪魔のメフィストフェレスに魂を売り渡し、この世の歓楽のすべてを味わおうとした博覧強記のファウスト博士のどこに惹かれるのか。第二部で神聖ローマ帝国の救世主となったファウストは、ギリシャの絶世の美女ヘレーナを蘇らせて結婚する。が、その子オイフォーリンとともにヘレーナは冥府に消えてしまう。抜けがらの衣装とヴェールが残った。

悪魔が囁く。「せめてあとに残ったものをしっかり握っていらっしゃい。その衣装を手から離してはだめですよ。もう幽鬼たちが、裾に手をかけて、出来ることなら地獄へ持ち去ろうとしていますからね」

球団買収を断念した2代目洋一郎の「ファウスト経営」が、そうならないことを祈る。(敬称略)

   

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