『特務機関長 許斐氏利』
2010年12月号
連載 [BOOK Review]
by 石田修大
タイトルを聞いて、一瞬首をかしげた。戦後65年、特務機関という言葉も死語に等しいし、機関など聞いた記憶もない。なぜ今頃、そんな人物の評伝が本になったのか。著者が新聞記者時代の先輩でなかったら、あるいは見過ごしてしまったかもしれない。だが、本を開いてすぐに疑問は氷解し、謀略渦巻く戦時中の日中、アジアを股にかけた男たちの世界に引き込まれていった。
許斐氏利(うじとし)は戦後、東京・銀座に日本初のトルコ風呂「東京温泉」を建設した人物であり、左手の小指、薬指の先がない不気味な男だった。薬指を切ったのは東京温泉発足に際し、今後は政治活動から足を洗うとの誓い。小指を切り落としたのは、それより前、沖縄戦直後だった。義兄弟の契りを結び「死ぬときは一緒」と約束した沖縄防衛軍参謀長、長勇中将の自刃に際し、特攻機に便乗して沖縄を目指したが、海上に墜落、約束を果たせなかったためという。
明治末の福岡生まれ。柔道より実戦的な双水執流殺しの術を体得、学生時代から右翼団体に加わり、政友会代議士や外交官時代の吉田茂を襲撃する武闘派だった。二・二六事件では北一輝のボディーガードを務め、その後、上海派遣軍参謀の長勇に請われて中国に渡る。
日中戦争勃発後、長の指示により上海で30人の民間人を部下に許斐機関を組織。反共親日の汪兆銘を主席とした偽南京国民政府時代に、蒋介石の中国軍秘密組織と暗闘を繰り返した。さらに長が印度支那派遣軍参謀長に任じられると、彼の下で軍需物資の調達・買い付けなどにもかかわっている。
中国、ベトナムでテロや秘密工作にかかわり、陸軍のアヘン工作にも関係が疑われるという。が、戦後、戦犯容疑で占領軍に取り調べられた際にも、ハンストで完全黙秘、特務機関長としての活動内容は一切明かさなかった。本人の生の証言がほとんど残っていない、そんな人物の実像解明に著者が挑んだのは、ベトナム戦争時のサイゴン体験があったからだ。
著者は40年ほど前、日経特派員としてサイゴン(現ホーチミン)陥落に遭遇。そこで知り合った許斐の二男に、30年後、ベトナムで再会、「オヤジはどんな男だったか、調べてほしい」と依頼された。わずかな証言、あてにならぬ資料を丁寧に読み解く地道な努力により、ゆっくりと、しかし確実に許斐の実像に肉薄していく。
にもかかわらず、本書では特務機関の暗闘の詳細は一部にとどまり、全編これ血湧き肉躍る戦争活劇にはなっていない。本人が詳細を語らなかったからだが、著者はそれを逆手に取り、「日本改造法案大綱」の北一輝や大川周明、最後の殿様・徳川義親ら、国家主義グループの観点による戦前、戦中の日本を浮き彫りにしていく。そうした歴史の大きな動きの中に許斐を置き、彼なりの正義感で東奔西走した奮闘ぶりを描いた。
大川・長による日中和平工作がある程度進みながら、東条首相に一蹴され、長は沖縄戦の死地に追われる。許斐もまた敬愛する長と運命を共にする願いかなわず、むなしく終戦を迎えた。正史に残らぬ許斐ら特務機関の実相を再現することで、貴重な裏面史の証言がまた一つ加わった。