普天間の「他策」と自裁の毒杯

2010年6月号 連載 [手嶋龍一式INTELLIGENCE 第50回]

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「日本の開国を要求するそのペリー艦隊が、まず最初に立寄った地が琉球・那覇港という事実は、沖縄返還に関する日米首脳交渉史話を主題とする本著作に照らしても、意味深長と言わねばなるまい。彼は難航する交渉期間中何回も沖縄を訪れ、そこを拠点として日本政府に圧力をかけ、譲歩を迫り、翌年日米和親条約の獲得に成功したのであった」いまは亡き若泉敬は『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋)の筆を擱くにあたって「跋(ばつ)」にこう記している。戦火が極東に及んだ時には、核兵器を再び沖縄に持ち込むことを認める――。沖縄返還を巡る密約に日米で関わったのはたった4人。若泉はこの「極秘合意」なくして日米交渉は決着しなかったはずと自らに言い聞かせたかったのだろう。日清戦争の後、露・仏・独の干渉に遭って遼東半島を返還させられた経緯を記した陸奥宗光外相の『蹇蹇録(けんけんろ ………

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