プライベートバンク口座ご用心、国税が包囲網

スイス神話が崩壊。絶対バレないはずと預けた資産に「足がついた」。シティやクレディを狙い撃ち。

2010年4月号 DEEP

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「私のスイスの口座は、大丈夫でしょうね?」

スイス系プライベートバンク(PB)の東京拠点には最近、不安がる顧客からの問い合わせが相次いでいるという。顧客は、いずれも10億円を超える金融資産をこのPBの口座に預けている「富裕層」だ。

不安がるのも仕方がない。その巨額の資産が「きれいなカネ」かどうかは別として、彼らが安心して預けられる「前提」が覆される事件が、相次いで発覚したからだ。

最低500万ユーロ(約6億円)程度の金融資産を預けないと口座の開設ができないというスイスのPBは、顧客情報の保秘が極めて厳格。口座は番号だけで管理される「ナンバーアカウント」で、担当者と直属の上司しか真の所有者は分からない。何より、一度海外に流れた資金の行方を日本の国税当局が独自に捕捉するのは事実上不可能。それゆえ、PBには、日本だけでなく世界中から「脱税マネー」が流れ込んでいるとささやかれてきた。

だが、2月、シティバンク在日支店でPB部門のトップだった北出高一郎氏や、スイスのPBの雄クレディ・スイスの日本法人の元部長が、海外の口座で得た数億円もの報酬や運用益を申告しなかった脱税の疑いで、国税当局から検察に告発された。

クレディでは100人超

2人より少額だったため刑事事件にこそならなかったが、クレディでは100人超の社員がスイスやアメリカの口座で管理していたストックオプションをめぐって申告漏れを指摘されたという。いずれも年数千万円から億円単位の報酬を得ている高給取りだ。

PBの秘匿性を熟知し、それを顧客への売りにしていたバンカーたちの相次ぐ摘発。北出氏の容疑の一つは、スイスのPBの中でも格段の伝統を誇る「ロンバー・オディエ・ダリエ・ヘンチ」の口座での運用益の無申告だったとされる。

日本在住のプライベートバンカーらは騒然となった。

「日本の国税は海外口座の情報をどうやってつかんだのか」

そもそも、日本の国税当局の権限は、海外の金融機関には及ばない。日本の金融機関から海外への送金は一回100万円超なら税務署に自動的に記録が提出される。が、摘発された外資系金融機関の役員・社員らのように、ストックオプションを外国の親会社から直接海外に開いた口座で受け取れば本来、「足がつかない」はずだった。

ではなぜ国税は知り得たのか。

国税OB税理士は「個人の富裕層や多国籍企業をターゲットに、先進各国は、海外での脱税摘発と租税回避スキームの解明をめざし、協力して情報交換を進めてきた。その成果がようやく日本でも表れてきたということだろう」と解説する。

発端は、2001年9月11日の同時多発テロに遡るという。テロ組織の資金が、タックスヘイブン(租税回避地)を通じてマネーロンダリング(資金洗浄)されていたことや、PBの秘匿口座にプールされていたことなどが判明。その金脈を断とうと米国主導で、口座所有者や資金操作の解明と口座凍結の促進のため、各国の金融・税務当局は連携して情報交換することに合意。タックスヘイブンへの圧力を強め始めたのだ。

先の税理士によれば、その結果、日本の国税にも欧米当局から、日本人らしき人物の口座情報が寄せられるようになったという。それでも、スイスなどタックスヘイブンに数えられる一部の国は、金融機関の守秘義務を保護する法律を盾に、情報交換を拒否し続けた。

が、08年のリーマン・ショックの後、状況は一変した。

運営する投資ファンドの拠点を置くなど、タックスヘイブンをむしろ「メシの種」にしてきた欧米の投資銀行など金融機関は、相場の暴落で一気に経営難に直面。当局のタックスヘイブン叩きにも抗しきれなくなった。そして、そんな金融機関の救済に巨額の財政資金を投入することになった各国は、財政難もあり、巨額の税逃れをますます見逃せなくなったのだ。

時を同じくして08年、秘匿性を誇るPBにメスが入る事件が起こった。タックスヘイブンのリヒテンシュタインにあるPB元職員が、約1400件分の顧客情報を持ち出し、ドイツなど数カ国の当局に提供。ドイツは自国の資産家ら150人以上を脱税容疑で強制捜査したのだ。

矛先は、隣国のスイスにも向かった。数カ月後、クレディと並ぶPBの名門、UBSの米国関連法人の幹部を、米連邦捜査局(FBI)が脱税幇助容疑で逮捕。これを受け、米内国歳入庁(IRS)は、UBSが米国内で組織的に顧客の脱税工作に加担していたと判断し、脱税の疑いがある米国人の口座記録の提出をUBSに要求した。

租税回避地から極秘情報

年が明けて09年2月、UBSの「おうかがい」を受けたスイス政府は、UBSの米国人口座約300件分を米側に情報提供することに同意せざるを得なかった。ところがIRSはさらに約5万2千件の顧客情報の提供を求め、応じなければ米国でのUBSの免許取り消しやスイスの本社幹部の訴追もあり得るなどと迫った。現在も最終決着に至っていないが、スイス側は大きく譲歩せざるを得ない状況に追い込まれているようだ。

一方、IRSや欧州の当局ほど強力な権限を持たない日本の国税当局は、水面下で各国と歩調を合わせるかのように、情報収集や摘発を進めているようだ。

タックスヘイブンと数えられるシンガポール、バミューダ諸島、ルクセンブルク――。昨年から今年にかけ、相次いで租税条約・協定の締結や改定が実現している。

「表面的には二重課税の防止が目的だが、租税条約の重要な目的は水面下での情報交換。日本から送金すると『足がつく』ため、PBの顧客になるような我が国の富裕層は、こうしたタックスヘイブン経由で欧州などに送金することが多い。日本人の不審な送金記録を提供してもらえれば、脱税の摘発につなげられる」。財務省幹部はそう解説する。

今後は、これまで「ブラックボックス」だったタックスヘイブンからも、日本人とおぼしき口座の所有者の名前や利子、配当など「極秘情報」が国税庁に届くことになりそうだ。

さらに、日本に拠点を持つ外資系金融機関関係者の間で話題になっているのが、国税当局が極秘に進めているとされる「税務調査」だ。これは金融機関自体の法人税について調べるのではなく、金融機関が抱える顧客の口座情報やファンドへの出資情報などについて資料提供を求めるものだという。権限が及ばない本国から情報が取れないのであれば、日本国内の拠点でプレッシャーをかけるという発想らしい。

100人超の申告漏れが発覚したクレディ・スイスも、国税当局が社員へのストックオプションの権利付与情報を入手したことで、端緒をつかんだ可能性が高い。申告漏れと指摘された金額は総額20億円超になるという。

富裕層への包囲網が徐々に狭まっているようだ。「身に覚え」のある人は、今からでも税務署に駆け込むほうがいいかも知れない。

   

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