えっ、ロシア大使館はまだ「ソ連領」

解体から17年。狸穴も高輪も登記の名義変更を認めず、再開発に支障。誰が邪魔しているのか。

2009年1月号 DEEP

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ソビエト連邦の解体から17年の歳月が経過した。1991年12月、連邦政府の活動停止を宣言したゴルバチョフ大統領は過去の人となり、革命の赤に槌と鎌、五大陸の労働者の団結を意味する五芒星を配した国旗も記憶の彼方に遠のいた。

そのソ連が亡霊のように生きている場所が日本にある。東京・麻布台の外苑東通りに面した狸穴の一等地、ロシア大使館の所有権者として。大使館敷地1万325平方メートルと記された不動産登記簿謄本には「所有者 ソヴィエト社会主義共和国聯邦」といまだに記されている。

大使館だけではない。JR山手線品川駅に近い高級住宅街の港区高輪4丁目には、5835平方メートルの敷地にロシア通商代表部が事務所を構え、住居棟も併設しており、この敷地の所有者も「ソ連」である。

ソ連が解体、ロシア連邦を含めて15カ国に“分解”した時、国連常任理事国の地位、対外債権債務、核を含む軍事力を引き継いだのはロシア連邦だった。だから「ソ連大使館」「ソ連通商代表部」は、そのまま「ロシア」に移行した。

ウクライナが足かせに

ただ、対外資産については、ロシア連邦と他の14カ国との間に「在外資産の帰属と分割に関する条約」が締結されており、それに基づいて旧ソ連資産は自国に帰属すると宣言している国がある。ロシアとの関係が緊迫しているウクライナだ。

この両国の“対立”に踏み込みたくないとして、日本政府は「無視」を貫いているのだ。不動産開発においては、売買にせよ、定期借地権をつけた開発にせよ、まず不動産登記簿謄本で権利関係をハッキリさせなくてはならない。この「第一歩」の作業を、日本政府は門前払いする。

正確に言えば、法務省に送付された書類を、同省は受理すべきかどうかを外務省に問い合わせるのだが、外務省はこれまで「契約当事国全員の同意が必要なので、ロシア一国の申請は受理できない」と回答、それを法務省は申請者に伝え、「ソ連」の名を変えることができなかった。

この厚い壁に阻まれて、ロシアの同意を取り付けた開発業者やコンサルタントが“敗退”してきた。そのうちの一社の代理人が振り返る。

「まず、高輪の通商代表部の再開発に手をつけることになり、ロシアの海外資産を管理する大統領府総務局傘下の対外資産管理という会社から交渉権を与えられた。ロシア政府は意欲的で、日本の大手不動産会社も開発に前向きだったが、外務省がウンと言わなかった。ロシア側も日本政府と対立するのは好まないということで、白紙に戻った」

しかし、対外資産管理のポリカルポフ代表と2年越しの交渉を続け、ロシアのコージン大統領府総務局長の同意も得たハマーズ(本社・東京都千代田区)が、08年9月、通商代表部を核に、イタル・タス通信(渋谷区本町)の再開発を含めた「基本合意書」を対外資産管理との間で結び、一気に動き出した。

交渉にあたったのは、日興証券、クレディスイス・ファースト・ボストンを経て、99年にハマーズを設立した浜崎正信社長。クレディスイス時代からロシアを相手に金融ビジネスを行っていた浜崎社長は、ポリカルポフ代表から話を持ちかけられ、資産流動化が得意分野ということもあり、引き受けた。

永田町に近いビルの一室で、浜崎社長が説明する。

「品川駅近隣の通商代表部は、40年以上も前に建ち老朽化している棟もあって、再開発が急がれていました。ここに14階建ての中層と低層から成る複合ビルを、土地に定期借地権を設定のうえで建設するつもりです。同時にタス通信ビルを解体、事務所兼住居を建設、近隣に住居用マンションを建設するという三つのプロジェクトを同時に進めることで、基本合意に達したのです」

旧ソ連資産の取り扱いの難しさは承知していたという。ただ、ロシアとウクライナの“紛争”を国際法廷で解決した国ではロシアに継承権が認められたこと、ソ連崩壊以降、大使館などを使用しているのがロシアという実態から、米、英、韓国などでもロシアへの帰属が認められ、「外務省も今度は反対しないだろう」(浜崎社長)と、思っていた。

旧ソ連資産は高輪のロシア通商代表部、麻布台のロシア大使館だけではない。前述のタス通信、ノーボスチ通信、函館の領事館跡地、鎌倉の保養施設など数多い。管轄は、通商代表部が大統領府、大使館が内閣府などに分かれており、さらにタス通信のように「錯誤」ですでにロシア連邦に所有権を移転しているものもあって複雑だが、そうしたことも含め、浜崎社長はポリカルポフ代表の承認のもと、旧ソ連の資産整理に入っていくつもりだった。

しかしこれまで同様、第一歩で弾かれた。

旧ソ連の所有権をロシアに移転するのはロシア自身である。ロシア大使館の委任を受けて、ソ連の所有権登記をロシアに「更正」するという申請書を、東京法務局港出張所に提出したのは、登記法などに精通する新明一郎弁護士である。

未来永劫、幻の国を残す?

新明弁護士は、10月27日に「更正登記」を申請、11月7日、「受理できない」という連絡を受け、やむなく取り下げた経緯をこう明かした。

「ソ連は解体され、すべての権利義務を、実体法的にも手続法的にも継承したロシアが、所有権をロシア連邦に『更正登記』することを阻むものはないはずです。だから世界各国がロシアの所有を認めた。ロシア大使館が強硬な姿勢を取らないということなので、今回は外務省の意向を受け入れましたが、未来永劫、『ソ連』という実在しない国を、日本国内に残していいのか。はなはだ疑問です」

新明弁護士の言うように、ロシア大使館はウクライナ、日本両政府との摩擦を避けたいのか、「後日、連絡する」(担当総領事)と、繰り返したものの、連絡はなく、ウクライナ大使館も「担当者に連絡させる」と言ったまま、ナシのつぶてだ。

日本の外務省も明言を避ける。ロシア課の回答は「当事者間で解決されるべき問題であるので、外務省として取材をお受けする立場ではありません」とわずか2行の文書だけ。電話を叩き切る担当者の非礼に抗議すると、今度は平謝りになった。あきれるほど拙劣な対応で、こんな人間が外交官なのは日本の不幸だろう。

ロシアのメドベージェフ大統領が北方4島問題は「次世代に持ち越さない」と麻生首相に述べ、09年早々にはプーチン首相が来日する予定だ(76~77ページ「プーチン来日で『領土』乾坤一擲」参照)。なのに、役人が枝葉末節にこだわっては埒が明くはずもない。まさか、北方領土を返還するまで、都内の“旧ソ連領”は返還しないというしっぺ返し?――そう聞くと、ロシア課は「いや、そんなつもりはない」と平身低頭だった。

要するに、ロシアとウクライナが合意しない限り、火中の栗は拾えないという臆病な官僚の「保身の論理」ではないのか。

   

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