アッキーが号泣しながら総理大臣の弔辞を代読。公私のケジメのかけらもない。
2007年7月号 POLITICS
5月30日、ある元首相秘書官はテレビのニュース映像に目を疑った。
「あなたの死は余りに突然で、訃報に接した時、茫然自失として私は言葉を失いました――」
画面が映したのは熊本県阿蘇市で営まれた前農水相・松岡利勝の密葬の模様だった。首相・安倍晋三の妻、昭恵が号泣しながら「内閣総理大臣の弔辞」を代読していた。
密葬は元来、近親者や友人ら内輪で営むものだが、昭恵は知人ではなく「首相の名代」として参列した。現職大臣の自殺が戦後初の衝撃なら、首相のこんな公私混同もまた、前代未聞だった。
首相の公務を官房長官や副長官が代行する例はある。大相撲の千秋楽に優勝力士に授与する内閣総理大臣杯。昨年の秋場所では官房長官だった安倍が横綱朝青龍に手渡した。土俵に女性を上げない慣習はともかく、首相夫人がしゃしゃり出るなどありえない。日本の政治・行政システムは夫人が「首相の代理」を演じる余地など認めていない。
自民党と松岡後援会は後日、合同告別式を営むことにしていた。安倍はそちらに自民党総裁として列席するのが自然だった。身内で済ませるべき密葬に首相として参列したい、弔辞を読みたいという発想自体、社会通念上も違和感があるうえ、内閣総理大臣という最高権力者として公私のけじめの感覚を欠いていた。
しかも、この日は国会で民主党代表・小沢一郎との党首討論の開催が決まっていた。安倍は密葬に出たいと日延べを求めたが、小沢は拒んだ。
「残念だ。立場は違ってもお互いに惻隠の情は持つべきではないか」
安倍は小沢をなじったが、ここには首相の公務や国会での与野党合意の履行という「公」や「理」よりも、「密葬での弔辞」が象徴する「私」や「情」を優先させがちな体質が露呈していた。百歩譲って、どうしても首相の弔辞を手向けたいなら、官房長官・塩崎恭久は危機管理の任で東京を離れられないから、政務担当の官房副長官・下村博文あたりの派遣が筋だった。アッキーは禁じ手だ。実はこの手の公私混同、けじめのなさ、首相ポストの重みへの無自覚は安倍の際立った特徴である。
5月16日、安倍は首相官邸にテレビ朝日アナウンサーだった丸川珠代を招き、自民党公認候補として東京選挙区からの参院選出馬を要請した。「首相から声をかけていただき、光栄です」。丸川は面会後、官邸の玄関ロビーで即席の出馬会見に及んだ。
出馬要請は首相の公務ではない。一政党にすぎない自民党の総裁としての党務だ。それを堂々と官邸を舞台に敢行し、記者会見までさせて何とも思わないのはいかにも無神経だ。
5月18日、安倍は北海道に飛んだ。08年に主催する主要先進国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)のメーン会場に選んだ「ザ・ウィンザーホテル洞爺」に1泊し、翌19日朝には施設内を視察した。ここまでは首相の公務。この後、参院選に向けた地方遊説の第一弾で帯広市内などを回った。これは総裁としての党務だった。
サミット会場視察は首相の公務だから官邸担当の記者を同行させろ。いや、選挙対策の党務なら自民党担当記者が行くのが筋だ。たかが1泊2日の取材に2人も行くのか――官邸と自民党、さらに両記者クラブの間で滑稽な混乱が生じた。選挙運動期間中でもないのに、公務と党務をごった煮にした日程を組んでドサ回りに出る首相など過去にはいなかった。首相と党総裁。同一人物なのだから、そんな区別はどうでもいい、と見過ごすわけにはいかない。事が憲法改正となったら、どうだろう。
「憲法を是非、私の内閣として改正を目指して行きたい。当然、参院選でも訴えて参りたい」
1月4日、安倍は年頭記者会見で「内閣として」憲法改正を目指すと宣言した。ただ、憲法99条は公務員の憲法遵守義務を定める。内閣による憲法改正原案の国会提出が認められるかどうかも学説上の論争がある。発言の危うさに気づいたのか、安倍は5月11日の参院憲法調査特別委員会では微妙に軌道修正した。
「私は党総裁としてあるべき新憲法の姿を語ってきた。政党のリーダーとして申し上げる。行政府の長としては憲法を尊重し、遵守していく」
議員立法として提出された国民投票法案の審議の場だった。安倍は首相として答弁したのか、党総裁として語ったのか、判然としなかった。
「人生いろいろ、会社もいろいろ」など永田町の常識を超えた自由奔放な国会答弁を繰り出し、ちゃらんぽらんにも見えた前首相・小泉純一郎。この「変人」は首相と党総裁、公私の峻別には意外に厳格だった。
05年8月19日。小泉は「郵政解散」を受けた衆院選に広島6区から出馬するライブドア社長・堀江貴文(当時)と面会するため、自民党本部に足を運んだ。あえて官邸を避ける配慮だった。ホリエモンを公認も推薦もしなかった。最低限のけじめと危機管理だった。安易に官邸に招き、公認のお墨付きでも与えていたら堀江逮捕で政権は吹っ飛んでいた。
小泉は5年5カ月の首相在任中、ゴルフは封印。私的な会合への出席も極力、控えた。構造改革路線や「官邸主導」の政治手法に批判はあっても、「どす黒いまでの孤独」(外相・麻生太郎)に耐え、やせ我慢とも見えるほど公務に専念してみせた姿が「40%の岩盤」と言われた内閣支持率を維持できた一因だった。
安倍は5月の週末、2週続けて出身校である成蹊大学の卒業30周年記念同窓会と、父・晋太郎の母校、旧制六高の同窓会に顔を出した。ゴルフも解禁した。休日に何をしようが勝手と言いたいのだろうか。3月10日には頑張る地方視察と称してかつての勤務先である神戸製鋼の加古川製鉄所をちゃっかり訪れた。これも公私混同の典型例だ。
「女は産む機械」発言の厚生労働相・柳澤伯夫をかばい続け、「政治とカネ」の疑惑にまみれた松岡をとうとう自殺に追いやった安倍。日ごろのけじめなき言動と通底するのは「情」に名を借りた「身内」への甘さだ。小泉が政権奪取に貢献した外相・田中真紀子を害が大きすぎると見るや切り捨てた非情さとは対照的だ。
「私が任命した大臣なのだから、本人が辞表を持ってこない限り、辞めさせたりはしない」
安倍は松岡や柳澤の更迭論をこう言ってはねつけてきた。任命責任論を警戒、「部下を守る指導者」を演じようとするあまり、最高権力者の最大の武器である人事権を放棄したに等しい。その甘さが結局は松岡も殺した。「郵政解散」を非情と難詰された小泉は「政治の非情が国民にとって温情になる場合もある」と反論した。身内にばかり温情を注ぐ安倍はまるで逆だ。
昨秋の組閣で、塩崎や首相補佐官ら官邸スタッフを「お友達」で固めた時から安倍の器は見えていた。要の官房長官に中曽根康弘は田中角栄の懐刀だった後藤田正晴を、橋本龍太郎は同じ派閥ながら反りの合わなかった「緻密な武闘派」梶山静六をあえて起用し、政権を安定させた。財務省高官は「私的な好き嫌いなど超えて有為の人材を使いこなす度量もなしに、国家は動かせない」と喝破する。
「電球から日本を明るくしよう」
6月5日、朝刊を開いた元秘書官はまたも仰天した。白熱電球を蛍光ランプに取り替える安倍をニッコリ微笑んで見つめる昭恵。CO2削減を訴える政府の全面広告だった。税金を使った政府広報に昭恵が登場するのは「内助の功」ではなく、公私混同にほかならない。そんな区別もわからない宰相の資質こそを参院選で問わねばならない。(敬称略)