小沢一郎の「本当の病状」

専門医の見立ては心不全・重症度Ⅲ。安静にしなければ、明日をも知れぬ。

2006年11月号 POLITICS

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 民主党臨時党大会で再任を決めた小沢一郎代表は、来年夏の参院選に党の顔として臨むことが確定した。しかし、党大会直後、記者会見をキャンセルしての緊急入院。本誌8月号で指摘したとおり「心臓病を抱え激務に耐えられない」との見方を裏づけた。

 10月5日に退院し、東京・赤坂の事務所前に番記者を集めた小沢氏は「年齢なりに動脈硬化はあるが、特に危険、心配なことはないということだった」と現場復帰を宣言した。入院理由は「くたびれて、疲労を感じた」というもの。検査は手足を除く体のほとんどの部分に及んだという。特に綿密な検査が行われたのはやはり心臓だった。「心臓だけのCTスキャンや超音波診断をやったり、あらゆる検査をしてもらった。心臓というのは意外と単純な臓器で、世間で言うほどおっかないものじゃない。ただ、知らずに放置しておくと、発作がやってきて、心臓が止まったらいっぺんに駄目だから、用心しなければならない……」

「重病説」打ち消しに躍起

 入院は突然だった。9月25日午後2時過ぎ。東京・芝の東京プリンスホテルで開かれた臨時党大会は、小沢代表の再任を拍手で了承した。「関ケ原の一戦と言える来夏の参院選で野党が過半数を獲得し、自民党政権を崩壊させたい。私自身の政治経験、政治生命のすべてを賭けて決戦の先頭に立つ」と宣言。小沢氏は満面に笑みを浮かべた。

 だが、その後、事態は急変する。午後3時、予定どおりに終わった党大会の場から、小沢氏はそっと抜け出す。その不在に感づいたマスコミ各社は騒然となる。小沢氏が向かった先は、東京・千駄木の日本医科大病院。1991年6月29日の早朝、突然に胸の痛みを訴えた小沢氏が救急車で担ぎ込まれた病院だった。

 午後4時前、同ホテルで予定されていた記者会見は、菅直人代表代行が代わりを務めた。菅氏が小沢氏の入院の事実を明らかにすると、会見室から、携帯電話を片手に各社の記者が飛び出した。菅氏もさすがに硬い表情で、「入院先はわからない」と言葉を濁すばかりだった。その直後、自民党幹部から党詰めの記者に対して小沢氏の入院先が明かされた。野党側が入院先を隠すことを見越してのリークだった。

「話している途中で急に言葉が出なくなった」「脳血栓で警察病院に担ぎ込まれた」。与党側からは未確認情報が次々と流された。2000年5月14日、脳梗塞で亡くなった小渕恵三元首相が倒れたのが、連立離脱をめぐる小沢氏との会談直後だっただけに、「小渕さんの呪いだ」などと危篤説まで流れた。

 民主党サイドも防戦に出る。午後5時過ぎ、小沢氏を囲む若手議員の会「一新会」のメンバーである喜納昌吉参院議員が、沖縄県知事選に立候補予定の糸数慶子参院議員と日本医科大病院に入った。「ピンピンしていた。たいしたことないよ。俺たちがバタバタしてないのを見れば分かるだろ」(喜納氏)。側近議員は重病説の打ち消しに懸命だった。

 しかし、情報戦は与党側が優勢だった。翌朝の新聞各紙は、民主党大会で小沢代表が再任されたことよりも、緊急入院を大きく扱い、日本医科大前には、小沢番の記者が連日張り込むことになった。

 小沢氏の病状はいかなるものか。15年前に病院に担ぎ込まれた小沢氏の病名は「狭心症」と発表された。狭心症とは、心臓の栄養血管である冠動脈が狭くなって、心筋が酸素不足に陥り胸が締めつけられるように痛む病気だ。しかし、入院が42日の長期に及び、退院直後に足を引きずるように歩いていたことから、「実際は心筋梗塞を起こして心臓の3分の2が駄目になり、太ももの血管を心臓に移植するバイパス手術を受けた」との風評が広がった。

 その後、小沢氏は好きなタバコを断ち、医師の忠告を守り朝の散歩と食後の安静を日課としてきた。このため昼食後の休息と重なる午後1時開会の本会議をたびたび欠席。与党側から「本会議に出席できないほど心臓が悪いのなら国会議員を辞めて静養したら」と揶揄されていた。

「4月に代表に就任し、挙党一致に、円満に、と気を使ってやってきた。参院選の候補者選考も急がなくちゃいけない。その前に地方選挙が始まる。精一杯張り切ってきたので多少くたびれた。疲労を感じた」(小沢氏)。代表の激務が衰えた心臓に負担だったことは容易に想像がつく。

 狭心症に端を発する慢性心不全の症状(呼吸困難、むくみ、疲労感、動悸、胸の痛み)は年齢とともに進行する。よく使われるNYHA(ニューヨーク心臓協会)の重症度分類によれば、心不全は日常の生活動作では症状が出ない軽度のクラスⅠから、動くだけで症状が出る重度のクラスⅣに区分される。15年前に長期入院し、食後の安静が欠かせない小沢氏の病状は「階段や坂道を登るなどの労作(生活動作)で症状が出るクラスⅡから、新聞を取りに行くような簡単な労作でも症状が出るクラスⅢに進行しているはず」というのが外部の専門医の見立てだ。

 NYHAの統計によれば、クラスⅣになった患者は2年以内に半数が亡くなっており、今はⅢでも過去に一度Ⅳを経験している患者の5年後生存率は約50%といわれる。小沢氏もすでに64歳。父の佐重喜氏(享年69)も心不全で亡くなっている。重症化しないように、いかに健康管理するかが命を左右する。無理を重ねれば明日をも知れぬ病人であることは明らかではないか。

民主党の救いがたい病状

 しかし、「斃(たお)れて後巳(や)む」のが大物政治家の宿命か。永田町では重病説だけが独り歩きしたわけではない。「仮病だよ。安倍晋三新首相誕生について、あれこれコメントを求められるのを嫌ったんだ」。小沢氏を知る自民党元三役は解説する。多弁ではない小沢氏が安倍氏に勝負を挑むのは、一対一の対決の場である党首討論だ。その前に、いろいろなコメントをすれば、党首討論でのやりとりが陳腐なものになるという懸念が小沢氏にはあるようだ。

 民主党内には、さらにドライな受けとめ方もある。来夏の参院選で与野党逆転を果たすためには、改選議席を大幅に上回る当選者を出さなければならない。そうなると、小沢氏が命がけで選挙を戦っているという「物語」は、必ずしもマイナスにはならず、むしろ有利に働くという、そろばんが弾ける。「参院選の最中に代表が倒れたら……」。脳裏に浮かぶのは80年夏の衆参同日選。自民党分裂の危機を抱えながらも、大平正芳首相の急逝で「弔い合戦」となり自民党が大勝したケースだ。

 臨時党大会で国会対策委員長を離れた渡部恒三氏が数カ月前に「(心臓病で)本会議にほとんど出られない小沢氏は、民主党が政権を取っても首相の激務に耐えられない。鳩山(由紀夫幹事長)と菅(直人代表代行)の両氏は、首相の座を譲ってもらうことを期待して、小沢氏を支えている」と皮肉ったことがある。

 心臓病の小沢代表に取って代わり、参院選を戦おうと声を上げるリーダーが現れないことこそ異常だ。「小沢続投」――。そこに民主党の救いがたい病状が見える。

   

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