「企業を買う」から「持ち、変える」実践

『ベインキャピタル』 企業価値向上力の秘密 著者/ベインキャピタル 評者/鳥海智絵

2026年9月号 連載 [BOOK Review]

『ベインキャピタル』 企業価値向上力の秘密

『ベインキャピタル』 企業価値向上力の秘密

著者/ベインキャピタル
出版社/日経BP
定価/2640円(税込)

30年ほど前、上司から「これから何をやりたい?」と聞かれた私は、「PEに興味があります」と答えた。返ってきたのは「日本企業が子会社や事業を売る時代なんて来ないよ。それに、そんなシビアな交渉は女性には難しい」という言葉だった。

当時は「失われた30年」の入り口で、企業は事業と雇用を守ることを当然とし、プライベートエクイティという言葉も一般的ではなかった。振り返れば、上司の感覚もあながち的外れではなかったのだろう。

本書は、プライベートエクイティ(PE)ファンドであるベインキャピタルの投資事例を、三つのカテゴリーから紹介し、その企業変革のプロセスを描いている。

PEファンドというと、企業を買収し、リストラを行い、高値で売却する投資家というイメージを持つ人も多い。しかし、本書で繰り返し登場するのは、むしろ人と組織、そしてテナシティ(粘り強さ)である。

例えばユキグニファクトリーでは現地に常駐し、経営者だけでなく従業員とも対話を重ねる。組織の意思決定を見直し、工場や店舗のオペレーションを改善する。描かれている仕事は、想像以上に泥臭く、愚直だ。

経営者にとって、人・組織・オペレーションが企業価値の源泉であることは当たり前である。しかし、それをPEファンドがオーナーとして地道に実践していることは印象的だった。もちろん、本書には「ハゲタカ」というPEのイメージを払拭したいという意図もあるだろうし、成功事例だけが全てではないだろう。それでも、「企業を買う」のではなく、「持ち、変える」ことがPEの本質だというメッセージは十分に伝わってきた。

本書を読んで感じたのは、この30年で変わったのはPEへの見方だけではなく、資本を企業へ配分する仕組みそのものではないか、ということである。高度成長期には銀行が目利きをして、資本配分の大きな役割を担った。その後、経済が成熟し、次の成長分野が見えにくくなると、市場が多様な参加者の知見を集めながら資本を配分する役割を強めていった。

市場には、多くの知恵を価格に反映できる強みがある。一方、成果が表れるまで時間を要する事業改革や人材への投資を辛抱強く支え続けることは、必ずしも得意ではない。

その意味で、PEは銀行や市場に代わる存在ではなく、それぞれとは異なる時間軸で企業に向き合う存在なのかもしれない。もっとも、PEにも出資者があり、リターンをあげる責任がある。したがって、社会全体としてどこに長期の資本を振り向けるべきかという問いまで、PEだけが答えを持つわけではない。銀行、株式市場、PE、それぞれの強みをどう生かしながら、日本全体として長期的な価値創造を支えていくか。その視点はこれからますます重要になるだろう。

最後に、30年前の上司のもう一つの言葉を思い出した。日本企業が事業を売る時代は来た。しかし、PE業界で経営レベルの意思決定を担う女性は、今なお多くはないように見受ける。この点については、30年前の予想は、まだ完全には外れていないのかもしれない。

『ベインキャピタル』は、一当事者の取り組みを紹介する本である。しかし私には、日本の企業や資本市場の役割の変化を考えるきっかけとなる一冊だった。

■評者プロフィール

 鳥海智絵
 野村證券顧問