2026年9月号 BUSINESS

栗栖義臣社長
相変わらず振り込め詐欺に騙される企業が後を絶たない。
直近の注目事案は東証グロース上場の「はてな」である。ブログサービスなどを手掛け、それなりに知名度が高い会社だ。多額の被害に気付いたのは今年4月21日。外部弁護士らによる特別調査委員会が行った調査によれば、事の顚末は次のとおりだった。

内部牽制がまったく働いていなかった 「はてな」(HPより)
前の日の午前8時過ぎ、自宅にいた経理部長の私用携帯端末に電話があった。声の主は警察官を名乗り、大規模な資金洗浄グループの捜査を進めているという。そうした中、経理部長にも関与の疑いが浮上したというのである。家族への口外を禁じられ、孤立無援の中、パニック状態に陥った経理部長は指示されるまま通信アプリでのやりとりに移行した。相手先のアカウント名は「記録4612」。ビデオ通話を始めると、相手は「警察手帳」や「検察官証」を見せてきた――。
今流行りの典型的なニセ警察官詐欺だが、経理部長は不審に思うことなく、自らの素性を明らかにしてしまう。すると、ニセ警察官は栗栖義臣社長らの名前を挙げ会社そのものが資金洗浄の嫌疑をかけられているのだと言い出した。捜査協力を要請された経理部長は会社支給のパソコンから口座情報にアクセス、預金残高などの企業秘密を徐々に相手に伝えていってしまう。
致命的だったのはリモート操作が可能になるアプリをパソコンにダウンロードしてしまったことだ。詐欺グループによって最初の不正送金が行われたのは最初の電話からわずか3時間あまり後の午前11時41分。外部への送金はこの後も断続的に行われることとなる。 この間、経理部長は上司に資金移動の承認を求めている。しかし、肝心の上司は「給与支払いのため」といった言葉を信じあっさり追認しただけでなく、銀行から入った緊急連絡に対しても深く考えることがなかった。9999万円という詐欺事件でよく見られる端数の送金が複数回行われていることに不審を抱いた銀行がわざわざ注意喚起してくれたのにである。内部牽制はまったく働いていなかった。経理部長がようやく詐欺に気付いたのは翌21日午前11時頃のことだ。銀行の問い合わせ窓口と電話で話すうち冷静さを取り戻したのである。
結局、外部流出額は11億7900万円にも上った。同社の今年1月末時点の保有現預金は約18億円だから6割以上もの大金を一度に失った形だ。経営にとって致命傷である。
警察庁の統計によれば、2025年における特殊詐欺の認知件数は前年比32%増の2万7832件。被害額は同98%増と一気に跳ね上がり1423億円にも上った。被害者への接触手段は電話やメールなど以前から変わりないが、簡単なマニュアルだけを頼りにしたかつての家内工業的な手口と異なり、現在は自動化システムまで駆使し、もはや一大産業の観さえある。
そんな中、日本企業も次々と騙されているわけだが、以前は取引先を装ったビジネスメールによって海外子会社が被害に遭う事案が多かった。日本経済新聞社やトヨタ紡織、出光興産、スタンレー電気など数十億円を失ったケースも少なくない。加えて、最近はインターネットのポップアップ表示やビジネスチャットなどを通じ日本国内で被害に遭う事案も目立つ。

前述の統計によれば、特殊詐欺以上に急増中なのがSNS型投資・ロマンス詐欺だ。25年の認知件数は前年比48%増の1万5168件で、被害額は同44%増の1834億円と特殊詐欺を上回る。SNSを通じ株式や暗号資産などの儲け話を被害者に持ち掛ける手口は相手の欲望を刺激するだけに、1件あたりの被害額が大きくなりがちなのだろう。
そんな中、有名経営者でさえまんまと引っ掛かっているのが今日的風景だ。ここでは裁判上の代替氏名である若園転空氏と被害者を呼ぶことにしよう。代替氏名は23年の民事訴訟法改正で導入された制度で、裁判所が認めれば、当事者は本名でなく仮名で一切の手続きを進められるものだ。80代前半の若園氏は通信業界で誰もが知る大物。代替氏名を使ったのは、あまりに幼稚な手口に引っ掛かったことが恥ずかしかったからだろう(もっとも、同氏は提訴3カ月後に代替氏名を取り下げ、本名を明らかにしている)。

「32億円被害」の黒歴史(日経新聞本社)
裁判記録によると、若園氏が「三木谷@プラ垢」を名乗るアカウントとLINEでやりとりを始めたのは23年12月1日のことだ。
「三木谷さん、どうぞよろしくお願いします」
若園氏は件のアカウントについて楽天グループの三木谷浩史会長兼社長が限定会員だけを集め極秘に開設したものと理解していた。そこでは三木谷氏から株式投資について指南が直々に受けられるという。ごく普通に考えて、ありえない話である。
「私のアシスタントの安井美咲があなたに連絡を取ることになります」
ニセ三木谷氏からそんなメッセージが来たのは翌2日深夜。以降、頻繁なやりとりが始まり、安井女史は絵文字も交えながら若園氏を「○○ちゃん」(○○は本名)と呼ぶ馴れ馴れしさだ。それに気を許した若園氏は無邪気にも自らの素性を明らかにしていく。翌24年1月16日、本尊たるニセ三木谷氏から久しぶりにメッセージが届いた。
「○○○○さん、おはようございます。まず、失礼しましたが、私はあなたが○○○○さん本人でないとずっと思っていました。助手の安井美咲さんの説明で初めて知りました」
詐欺グループにとっては望外の大物だったようだ。指示に従い若園氏が最初に投資資金を指定口座に振り込んだのは同月18日。三菱UFJ銀行池袋東口支店に開設された「ヴィースタイル」なる会社名義の口座で、送金額は300万円だった。以後、件の安井女史から儲け話が次々と持ち込まれ、投資資金は膨らんでいく。なぜか指定口座は毎回違った。
「国際ゴールド取引のシステムは、元手が大きければ大きいほど、利益も高くなります」
金取引を持ち掛けられたのは1月27日のことだ。この話に乗った若園氏は3日後、PayPay銀行に開設された「フィット」名義の口座にじつに7千万円を送金する。その後も数千万円単位で投資資金を振り込み続けた。この間、件の安井女史からは「21624ドル」などともっともらしい数字の利益額が伝えられた。
結局、2月6日までに若園氏による送金回数は計11回、総額で5億200万円にも上った。資金が入り用になったのか、同月13日になり若園氏は全額の返金を求めたが、相手は引き延ばしにかかる。
「○○さん、さっきアシスタントからのフィードバックで、すべての資金を引き出すつもりだと知りましたが、何か問題が発生したんでしょうか?」
ニセ三木谷氏からはそんなメッセージが来た。結局、返金は1円もなされなかった。若園氏がようやく詐欺に気づき、有名弁護士に連絡を取ったのは3月2日のことだ。銀行照会で送金先を調べても、出てくるのはベトナム人と思しき外国人が取締役となっているようなペーパー会社ばかり。
東京地裁に裁判を起こしたものの、訴状送達が確認できた先はほぼ皆無で、資金回収はほとんど無理だろう。
あまりにお粗末なこの惨状。騙す方が悪いのは当然だが、騙される方にも問題はないのか……。