時価総額40兆円超えは世界的半導体ブームのおかげだが、元商社マンの功績もある。
2026年7月号 BUSINESS
2024年12月、東京証券取引所に上場したキオクシアホールディングス。わずか1年半で時価総額が一時45兆円に達し、ソニーグループやトヨタ自動車といった日本を代表する企業を上回った。

河村氏に対する株式市場の信頼が株高を支えている
人工知能(AI)の急拡大に伴う半導体チップの争奪戦という特需が、同社株急伸の最大要因だ。ただ株高は外部要因だけではない。株式市場の企業統治(ガバナンス)不安を払拭する、ある人物の加入が同社株を押し上げた。
河村芳彦氏(69)。25年6月に68歳でキオクシアに入社した人物で、26年4月にキオクシアの最高財務責任者(CFO)に就任した。
河村氏は華麗な経歴を持つ。1979年に慶応大学経済学部を卒業して三菱商事に入社した。情報通信分野でキャリアを積んだ後、社長の補佐役が集まる社長室会事務局(現・経営企画部)の一員になった。
「社長室会事務局はエリートの集団で、アシックスの最高経営責任者(CEO)である廣田康人氏も在籍していた」(三菱商事関係者)。河村氏はその後、世界銀行に出向。「16年に三菱商事社長に就いた垣内威彦氏(現会長)とは一時、社長の椅子を巡って競い合った」(関係者)という。
そのまま三菱商事の子会社トップを務めるか、外に職を求めるか。還暦を前に河村氏は旧知の財界人に相談した。その噂を聞きつけた日立の東原敏昭会長(当時社長)が招き入れる形で15年4月に日立に入社した。
当時の日立は事業構造改革の真っ只中。「社会イノベーション」の旗印の下、日立グループの形を大きく変えていた時期だ。売却手続き中の子会社があり、1兆円規模の大型の海外企業買収も控えていた。社内外を納得させるだけのロジックと成長戦略を描ける人材として河村氏に期待を寄せた。「銀行など外部リソースを巧みに使う。日立になかった知見をもたらした」。日立幹部は河村氏が日立の構造改革を加速させたと評価する。
自前主義が根付く日立は社内で完結させようとする傾向が強い。河村氏は証券会社や銀行を使って子会社の売り先を探し、ディールが成立したら成果報酬を弾む手法で次々と子会社整理を進めていった。
元商社マンらしく酒席も積極的にこなし、決して偉ぶらない。プライドが高く排他的な日立のプロパー幹部にも溶け込んでいった。18年には最高戦略責任者(CSO)、20年には代表執行役CFOに昇格し、全社の財務戦略を担う立場となった。
日立の長い歴史の中で外部企業出身者のCFO就任は初めて。一部で社内の嫉妬を買ったものの、最高実力者となっていた東原氏が河村氏の庇護役となった。
日立の事業構造改革が一区切りついたことで24年4月にはCFO職をプロパー役員に譲り、エグゼクティブアドバイザーに就いた。当時67歳だった河村氏は引退を考えたというが、三菱商事と日立という日本を代表する企業戦略を担った人物には次々とオファーが舞い込んだ。25年6月には電通グループとコニカミノルタの社外取締役に就任。同じタイミングでキオクシアにも副社長として招かれた。
それにしても“老兵”が選んだ先はなぜキオクシアなのか。その疑問の答えは、同社の生い立ちにある。
キオクシアは東芝の半導体メモリー部門が分社して発足した。16年12月に公表した米原子力発電事業の巨額損失によって東芝が債務超過に陥り、資金捻出のために売却を決めた事業だ。
東芝メモリの売却プロセスは異例の経過をたどった。債務超過を回避するために東芝は売却価格を2兆円として入札を始めた。入札開始前に売却価格を提示するという愚を犯し、買い手側に足元を見られ続けた。さらに「日本の重要産業を守る」との理屈で、経済産業省は日本企業が過半を握る株主構成を東芝側に要求した。
複数のファンドが事業会社を巻き込んで買収スキームを練りあげて買収合戦を繰り広げた。最終的には米ベインキャピタルが主導し、競合の韓国SKハイニックスが資金を拠出する形で買収を完了した。実質的にベイン傘下としてキオクシアは発足した。
単独企業として出発したものの、キオクシアの中身は東芝の半導体メモリー部門だ。主力生産拠点の四日市工場(三重県四日市市)に目が向くものの、経営企画や財務、法務などのコーポレート部門は事業部単位の浅い経験しかない。
ましてや東芝のコーポレート部隊は、経営トップに忖度を繰り返して不正会計を見逃してきたガバナンス不全の集団だ。かつて経済誌に「技術一流、経営三流」とこき下ろされた東芝の企業文化はキオクシアにも引き継がれている。
26年4月に社長を退いた早坂伸夫氏、初代社長の成毛康雄氏(故人)はともに博士号を持つ技術者だった。経営戦略や財務、投資家対応などを担った経験はない。巨大企業東芝の一部門が上場企業になった格好で、素人集団が経営を続けてきた。
キオクシアにとってのアキレス腱がまさにガバナンスだった。株価を安定的に高めていくために必要なピースが、経営体制の下地を整えて発展させられる人物。ベインが三顧の礼で招いたのが、日立退社を決めていた河村氏だった。
電機アナリストは「日立の河村さんが来てくれるのなら、東芝のような不測の『下げ』はないだろう」と話す。河村氏が人員を補強し、コーポレート部門の体制を固めている。
24年12月の東証プライム上場から1兆円前後で推移していたキオクシアホールディングスの時価総額は、25年9月に火が付いたように上昇を始めた。10月には国内半導体メーカー最高位だったルネサスエレクトロニクスを超えた。26年1月には10兆円の大台を突破し、4月には20兆円に達した。日立とソニーを抜き去り、一時45兆円とトヨタを超えて、ソフトバンクグループに次ぐ日本企業2位となった。
現状のキオクシア内部に目を凝らすと日本を代表する企業としての経営体制にはなっていない。それでも株式市場では「河村さんが変えてくれる」(大手ファンド運用担当者)との期待もあり、上場1年半で株価は40倍に急騰した。
一時は上場すら危ぶまれ、キオクシア株を米同業に売却することも検討したベイン。うまく売り抜けられれば、2120億円程度の投資で10兆円を上回る収益を得る。ファンドの世界は「勝てば官軍」。ベイン幹部の高笑いが聞こえてくる。