2026年5月号
LIFE
by
伊藤博敏
(ジャーナリスト)

日本クルド文化協会のワッカス代表理事
晴天の3月22日にさいたま市の秋ヶ瀬公園で開催されたクルド人の祭り「ネウロズ」には、民族衣装を身に着けた女性など約1500人が集まって新春を祝った。「国を持たない民族」であるクルド人は、トルコ、シリア、イラク、イランなどのクルディスタンと呼ばれる地域に約3300万人が住み、欧州を中心に約200万人の移民・難民が暮らす。彼らの民族アイデンティティは、まずクルド語、そしてネウロズである。
午前11時、主催者である日本クルド文化協会のワッカス・チョーラク代表理事が挨拶に立ち、天候に恵まれた新しい(NEW)日(ROZ)の開催を宣言し、「クルドの苦難」にも触れつつ「クルドはひとつ!」とこぶしを突き上げた。確かに佳境を迎えた午後2時過ぎ、「反クルド」の言動で知られる河合悠祐戸田市議が「視察」に訪れ、暴行を受けるなど、華やかな祭りに差す影もある。
イスラエルとアメリカによるイラン攻撃に際しても、トランプ大統領がイランの反政府組織「イラン・クルド民主党」に「体制転換への参加」を呼びかけるなど、複雑な中東問題を理解するうえで「ペシュメルガ(クルド語で死と対峙する者)」という精鋭部隊を持つクルドの存在は欠かせない。

戸田市の河合市議らの視察で騒然とする会場
昨年末、在留外国人の数は400万人を突破したが、川口市と蕨市を中心に居住するクルド人の数は約3千人と言われており、1%に満たない。だが、ここ数年、「川口のクルド人問題」は、日本社会に悪影響を与える外国人の「右代表」として受け止められた感がある。本来、外国人の「数」で言えば約93万人の中国人を筆頭に、ベトナム、韓国、フィリピンと続く東アジア・東南アジア諸国との問題であり、「富」で言えば不動産を買い占める中国の問題だろう。
ただ、クルドには国を持たないがゆえの差別と迫害の歴史があり、それが部族やファミリーの結束につながり、移民・難民先で同化せずに摩擦を起こすこともある。しかも川口のクルド人男性の多くが、「3K」の代表的な仕事である解体業に従事しており、今や埼玉、東京圏の低層住宅解体の過半はクルド人に委ねられている。
日本の業者にピンハネされ、安値受注のあげく廃材を積んだ「クルドカー」を走らせると批判され、不法投棄に走って摘発される業者もいた。しかもビザなし入国が可能なトルコ国籍を持つクルド人が、入国後に難民申請を繰り返す例があり、その就労スタイルも批判された。
現在、行き過ぎたグローバリズムが先進国でナショナリズムの進展を生み外国人排斥につながっているが、日本での批判の多くが「クルドの歴史」を知らないことによる誤解から生じている。相互理解のためには、オスマン帝国崩壊からのクルド史と日本とクルドの18年史を辿る必要がある。
16世紀の最盛期、イスタンブールを首都に中東から東欧に至る広大な地域を支配していたオスマン帝国は、20世紀には老大国となり第一次世界大戦で敗戦国となって、1920年、英仏露によって分割統治された。この時、クルド人地区は独立を前提として自治を認められることになっていた。しかしオスマン帝国軍司令長官のムスタファ・ケマル・アタテュルクは、軍を率いて分割統治に反対し、23年に連合軍とローザンヌ条約を締結し、現在のトルコ領が確定した。「国父」と呼ばれたアタテュルクは、単一民族主義を唱えて少数民族の存在を認めず、クルド語の使用やネウロズを禁じ、逆らえば投獄し弾圧した。
耐えかねたクルド人の一部は、78年にクルド労働者党(PKK)を設立して抵抗を続け、トルコと同じマイノリティとして差別を受けたシリア、イラク、イランでも自治を求めて戦った。このうち自治を認められたのがイラクで、湾岸戦争(90年)、イラク戦争(03年)を経て、2005年6月、マスード・バルザーニがイラク・クルド自治政府(KRG)の初代大統領に就任した。サダム・フセインはクルド人を弾圧し、88年には化学兵器を使用して約5千人を惨殺したこともあった。そうした犠牲を払い自治政府の確立に至る。

民族衣装をまとった女性たち(写真は筆者提供)
川口地区にクルド人が住むようになったのは90年代からだが、大使館のない民族的不安定さを解消するために、KRGが発足すると幹部の意向を受け、08年、2人の青年が戦前、「大アジア主義」を唱えた玄洋社・頭山満の孫の頭山興助を訪ねてきた。興助もまた日中を始めとする海外との交流活動を行っていた。興助は海外でのNGO活動歴の長い側近の木下顕伸に具体的活動を託す。この時、クルド側の窓口となったのがワッカス・チョーラクだった。日本クルド友好協会代表理事の木下が説明する。
「最初にクルドに出向いたのが08年10月でした。そのうえで09年7月、日本クルド友好協会を設立し、9月に再訪してバルザーニ大統領などを表敬訪問して交流が始まりました」
クルドにも友好協会が設立され、クルドを理解してもらうために13年、日本クルド文化協会が設立されて実務はワッカス氏が担った。15年には日本クルド友好議員連盟が発足し、会長には平沼赳夫元経産相(現在は中谷元元防衛相)が就いた。
当時、国際的にクルド人が注目されていた。シリア内戦を機にシリアやイラクでイスラム原理主義者らのイスラム国(IS)が住民を惨殺するなど猛威を振るい、IS掃討を担ったのがペシュメルガだったからだ。だが、その頃まだ国内のクルド人は知られていない。
「クルド料理教室や語学教室、講習会などを通じて交流を始めていました。ゴミ出しの不備などトラブルもあって、友好協会とともにパトロールを行うなど共生の努力を重ねました」(ワッカス)
その「平穏」が破られるのは23年頃からである。対外的にはトルコのエルドアン政権からクルド人への圧力が同年5月の大統領選を前に日本でも高まり、国内的には難民申請3回目で強制送還を可能にする入管法改正論議が始まった。また、世界各国で移民排斥の「自国ファースト」が叫ばれるようになった。それが川口にコミュニティを形成するクルド人攻撃につながって、SNSを中心に批判動画があふれ、そこに外国人批判の政治家が相乗りし、収拾がつかない状態となった。河合市議への暴行は許されることではないが、双方、ヒートアップの結果である。
解決の糸口はある。トルコの差別構造は昨年のPKK解散によって解消の道筋がつけられ、シリアではアサド政権崩壊によってクルド語は公用語となりネウロズは祝日となった。イラン情勢は予断を許さないが、イラク自治政府はイランのクルド人勢力を抱え込む形での解決策を探っている。
国内においても「家業」と言っていい解体業の正常化に向けた見直しが進む。文化協会も関与する日本クルド建設業協会が24年に設立され、現在クルド系解体業者12社が参加。中原鉄寛代表理事が狙いを語る。
「法令順守の徹底と発注構造のゆがみの是正を通じた業界の健全化が主な狙いです。またクルド人の言語能力や法律知識の不足など個別問題にも対応しています」
外国人排斥を訴える勢力との溝は深いが、対決姿勢で臨んでも問題は解決しない。時間をかけてクルディスタンに差別解消の動きが表れたように、今後、日本とクルドの間に建設的な関係が築かれることを期待したい。(敬称略)