東大医学部は「神田お玉ヶ池の種痘所」の原点に立ち返り、一から出直す覚悟を決めるべきだ。
2026年3月号
DEEP
[一から出直せ!]
by
尾崎章彦
(医療ガバナンス研究所理事)

謝罪会見を行った藤井輝夫・東大総長
「今更ですか、藤井先生?」
2026年1月28日、東京大学の藤井輝夫総長が開いた記者会見を見て、思わずそう呟いた。東京大学医学部附属病院皮膚科教授であり、副院長も務めていた佐藤伸一医師が、日本化粧品協会から多額の接待や供応を受けていたとして、収賄容疑で逮捕された件についてである。
「今更」と感じざるを得ないのは、この問題が突然発覚したものではないからだ。2025年には週刊誌で接待疑惑が報じられ、2024年には接待を受けているとされる写真まで流出していた。それでも大学は実質的な処分に踏み込まず、刑事事件化して初めて公式な対応を示した。この対応の遅れは、昨年摘発された整形外科の准教授による贈収賄事件とも重なる。すでに他大学で受け取りをめぐり有罪判決が出ていた奨学寄附金について、十分な管理が行われておらず、それが結果として事件につながった。
さらに言えば、こうした構造的問題は決して最近始まったものではない。筆者が同校の医学生だった20年以上前から、製薬企業の担当者が大学病院の医師に過剰なまでにへりくだる光景は日常だった。その延長線上に今回の事件があるとすれば、今になって神妙な顔で謝罪する姿は、率直に言って滑稽に映る。
興味深いのは、今回の不祥事が「国際卓越研究大学」制度との関係で語られている点である。本来、この制度は大学自らが構造改革を進め、研究と教育の質を高めるためのもののはずだ。しかし現実には、「改革を進める」というよりも、「補助金を失わないために問題を収拾する」という姿勢が前面に出てはいないか。自ら現状を変えるという気概より、外部評価や資金の行方への不安が先立っているように映る。
学問の府としての自律性、そして社会的責任を担う組織としての基本的な感覚は、すでに消えてしまっている。
一方、告発を行った贈賄側の日本化粧品協会もまた、健全な研究支援団体とは言い難い。週刊誌等では同協会を被害者的に扱う論調も見受けられるが、学術的関係を理由にソープランドで接待を行うこと自体、コンプライアンスの厳しい令和の時代にあって異様と言う外ない。流出した写真についても、撮影者や意図は不明のままだ。製薬関係者の一人は「現在、製薬企業がこのような接待を行うことはない」とした上で「性的なネタは相手の弱みを握るために使われることが多い」と指摘する。
訴訟資料や報道によると、日本化粧品協会は東京大学と総額約2億円規模の寄附講座契約を結んでいたとされるが、実際に大学側へ支払われた金額はごく一部(報道では100万円程度)にとどまっていた。
このような資金不履行の状況と、協会側による一連の接待行為を関連づけて解釈することは、推論が先行しすぎるだろうか。
日本化粧品協会は2012年設立だが、活動実態や組織運営の不透明さは早くから指摘されてきた。2019年以降のCBD製品に対する「独自検査」では、企業の同意なく検査・結果公表が行われ、「晒し行為」との批判も生じた。加えて、認定料を徴収する制度を設けたことで、「認証ビジネスではないか」との見方が広がり、多くの既存事業者が距離を置くに至った。そうした中で、自らの活動や認定制度に権威性を付与する目的から、強い社会的影響力を持つ東京大学教授である佐藤医師に接近した可能性がある。
また、代表理事・引地功一氏の過去の職歴について、大阪でホストとして働いていたとされる点以外に確認可能な職歴はなく、報道機関がその主張を無批判に受け入れられる人物とは言い難い。
とはいえ、「佐藤先生がこんな怪しげな団体に引っかかってしまって可哀想」などと同情する気は毛頭ない。むしろ、あれほどの地位と影響力を持つ人物が、不透明な団体の手口にあっさり絡め取られてしまった事実に、ただただ唖然としている。
むしろ、これは佐藤医師一人の問題に留まらない。自戒を込めて言えば、医師という職業に就く人間には、程度の差こそあれ「世間知らず」が少なくない。とりわけ、佐藤氏のように進学校から東大医学部、そして東大病院というエリートコースを一直線に歩んできた医師ほど、一般社会や商業的な世界との接点を持たず、外部との距離感や危機意識が欠如しがちである。

逮捕された佐藤伸一・東大皮膚科元教授
まして「東大教授」という肩書だ。製薬企業や医療機器企業からは、圧倒的な影響力を持つ存在として特別扱いされる。実際、佐藤医師は2019年から23年の5年間で、製薬企業を中心に、合計で約5114万円の資金提供を受けている。東大病院の現役教授の中で、支払額は最高額だった。
もちろん、かかる資金提供の背景には、業界側の構造的要因もある。前回も紹介したとおり、近年、皮膚科学領域では生物学的製剤をはじめとする高額な新薬の投入が相次いでいるが、薬剤間で明確な優劣がつきにくい。そのため、製薬企業は「キー・オピニオン・リーダー」を重視し、プロモーション活動に励んできた。そのような関係性の中で、医師はしばしば過剰に「神輿」として担がれてきた。
しかし近年、製薬企業から医師への資金の流れは大きく変化している。象徴的なのが、整形外科准教授の逮捕事件とも関係した奨学寄附金である。これらは長らく処方のキックバックとして暗黙裡に扱われてきたが、2号前の記事でも紹介した筆者らの調査では、製薬企業からの奨学寄附金は2016年の約224億円から、2023年には約52億円へと大幅に縮小している。
加えて、今回の事件の焦点となった寄附講座について、元製薬企業幹部は「研究のためというより、関係のある教授から部下のポスト確保を頼まれて、渋々引き受けてきた事業に近い。研究を行うのであれば、本来は別途、共同研究契約を結ぶ」と述べ、日本化粧品協会の掲げた目的に、手段が合致していない可能性を示唆した。そのうえで、「寄附講座は最低でも年間3000万円程度のコストがかかり、費用対効果の面から、近年は関与しようとする製薬企業はほとんどない」と指摘している。
それにもかかわらず、佐藤医師は日本化粧品協会からの寄附講座の提案を十分に吟味しないまま受け入れてしまった。しかし、そこには、製薬企業との関係とは異なり、どのような振る舞いをしても訴訟リスクを想定せずに済むような安定した関係性は存在しなかった。その点で、本件は医師個人の問題にとどまらず、長年にわたる「製薬マネー」依存の文化と、その変質を見誤った鈍感さが背景にあるといえる。
事実、佐藤医師の事例は氷山の一角に過ぎない。東大病院において、製薬企業や医療機器企業から巨額の資金提供を受けている医師は多数存在する(表参照)。

例えば、昨年逮捕された准教授の上司で、当時病院長を務めていた田中栄医師は、2019年から2023年までの5年間で約4744万円を受領しており、佐藤医師に次ぐ2番目の高額受領者であった。
また、皮膚科と同様に近年高額な生物学的製剤の導入が進むアレルギー・リウマチ内科では藤尾圭志医師が約3935万円、前院長の門脇孝医師の後任として糖尿病・代謝内科教授となった山内敏正医師も約3055万円を受領している。
一方で、リハビリテーション科(約114万円)、形成外科・美容外科(約31万円)、検査部(約11万円)といった診療領域の教授陣の受領額は低水準にとどまっている。これらの領域では新薬導入の頻度や処方の裁量が比較的限定的であり、製薬企業のマーケティング上の「訴求余地」が小さいことが背景にあると考えられる。
つまるところ、製薬・医療機器マネーの流れは単なる個人の影響力以上に、専門分野の市場性や製薬企業の投資戦略と密接に連動している。裏を返せば、同様の構造的条件下にある医師たちは、いつ佐藤医師のような事態に陥ってもおかしくない「予備軍」だ。
こうした状況を踏まえると、東京大学本部が検討している「附属病院を医学部から切り離し、本部直属とする」改革案の背景にも、一定の理解は及ぶ。病院を医局支配や研究室利権から解き放ち、より公共性の高い組織へと脱皮させる狙いがあるのだろう。しかし、その旗振り役たる藤井総長以下の執行部に、それを断行できる胆力と構想力が備わっているかと言えば、極めて疑わしい。
佐藤医師のように、言語道断の不祥事で世間を騒がせた人物に対してすら、刑事事件に発展する前段階で懲戒処分に踏み切ることができていないのだ。こうした体制の下では、東大が使命として掲げる「世界的視野をもった市民的エリート」の育成は、絵に描いた餅と言わざるを得ない。
ある関係者によれば、藤井総長の記者会見は「世論を味方につけるためのポーズ」という意味もあったのだという。だが、「東京大学医学部附属病院」という巨大利権構造に切り込むには、それでは到底不十分だろう。改革には強靭な意志と、既得権益層との対決を厭わぬ覚悟が求められる。
焦点を東大医学部に戻すと、今回の逮捕に先立ち、学内でも佐藤医師を批判する声が存在していたとされる。しかし、それが具体的なアクションに結びつくことはなかった。その理由の一端は、医学部の高い同質性にある。東大医学部を出てそのまま大学に残る人材が大多数を占め、「空気を読む」文化の中で、内部批判や改革の声は封じられてしまう。
その閉鎖性は、学問の革新性や公共的使命感をも蝕む。ノーベル賞を取るような革新的研究は出ず、組織としての社会的理念も希薄化している。少なくとも筆者が学生だった20年前、東大医学部に「理念」と呼べるような明確な軸は感じ取れなかった。仮にあったとしても、それは国家や国民の側に立つものではなかったように思う。それでも東大医学部は、日本にとってかけがえのない知的財産である。その重みを自覚するならば、今回の事態を「一教授の不祥事」として矮小化してはなるまい。
まずは、あまりに現実から乖離した自分たちの在り方を正確に認識することだ。自らを「名誉白人」になぞらえて欧米の二番煎じ的学問に閉じこもるより、もっと国民の暮らしに近い場所で、本当に必要とされる知と実践を積み上げる。
そのためには、教育のあり方そのものを見直す必要がある。大学を卒業し、ほぼ純粋培養のまま教授職へと至る現在のキャリアパスは、すでに限界に達している。医師であれ研究者であれ、多様な現場に身を置き、成功も失敗も含めて「揉まれる」経験が不可欠だ。制度の内側だけで育てられた人材が、複雑な社会的利害や倫理的葛藤に耐えられないのは、自然な帰結である。
手前味噌になるが、私自身は震災後の福島の現場で、多様な生き方や価値観に触れてきた。強烈なリーダーシップを発揮する人物もいれば、公的資源に群がる人々もいる。医療職に限らず、行政、住民や患者、企業、支援者など、異なる立場の人々と関わる中で得た経験は、机上の教育では得がたい学びだった。教育とは本来、そうした現実との摩擦の中でこそ形づくられるものではないだろうか。
東大医学部と附属病院は「神田お玉ヶ池の種痘所」の原点に立ち返り、一から出直す覚悟を決めるべきだろう。